禍福

去年とは打って変わり、大雪の年越しになった。慣れているとはいえ、朝起きたら50センチ以上の積雪、というパワフルな天候には、ほとほと泣かされる。そして足元をすくう大雪のせいで、更に静かな大晦日になった。母と猫たちの様子を視界のどこかに認めながら、簡単な掃除だけで年内の予定を終えた。

思えばいろいろなことがあった。糾う縄の如く禍福が交々現れる、変転の激しい一年だった。非常に重要な変化の年であったことは確かだが、一刻も早く終わってほしい忌々しい年でもあった。

目前に迫った新しい年。春までには、母の健康面の不安を一切、払拭してしまいたい。そして、新しい環境で、再スタートのつもりで日々の勤めに励んでいこうと思う。

今年は本当にお世話になりました。新年の挨拶は失礼させていただきます。どうぞ良い年をお迎え下さい。>各位

オーディオ機器を作る 又

このエントリが『パイプのけむり』のように続いたら、それはとても幸せかな、などと不遜この上ないことを考えつつ。

ここまでメインに使ってきたオーディオ機器は、バブル絶頂期に購入した普通に高級な「ピュアオーディオ」マシン。世の趨勢か、後継機種が出ず、「最後のピュアオーディオ」とでもいうべきマシンで、いつも音楽を聴いていた。

アンプは金沢の湿度にやられ、いくつかのスイッチに「ガリ」が出るようになり、CDPは、稼動部分のゴムパーツがいかれた。こんなトラブルのたびになんとか修理をし、「端整」と評するのがふさわしい音を鳴らし続けた。

ところが、アンプを真空管(TU-879S with KT88)に変えると、「音の広がり」に驚嘆した。従前の石のアンプで出てくる音は、二つのスピーカの間にピタッと定位し、額に入れた絵のようにくっきりとした二次元的な音像だ。これに対して球から出る音は、奥行きが顕著だ。三次元というと大げさだが、自分の耳からスピーカの向こうの壁まで、音が広がっている。どちらも良い音だが、あきらかに石とは違う球の音は、非常に魅力的だ。

すると今度は、球のアンプから出る音をより良くするにはどうすればいいか、と考え、DAコンバータを変えるという方法を試すことにした。
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続々・オーディオ機器を作る

エレキットのアンプは、半田ごてさえ使えれば、本当に誰でも作ることができると思う。よく考えられた製品で、作り易いだけでなく音質も優れているから、真空管アンプの自作に挑戦したいという向きには第一のお薦めだ。もっとも、プリント基板への半田付けは細かい手作業だから、この点だけは事前に練習したほうがよい。

だが、比較的容易に高い完成度を狙えるプリント基盤使用のキットは、いくつ作っても回路の勉強にはならない。極論すれば、回路図を一切読めなくても、親切なマニュアルと基板上の印刷を頼りに部品を取りつけていけば、完成させることができる。これはこれで、「作る楽しみ」と「完成させる満足感」、そして「使う喜び」を体験できる貴重なしくみ、仕掛けなのだが、どうも物足りなく感じるのも事実。古典的な真空管アンプの作法、「手配線」こそ漢のアンプという気がしないでもない。

ケースの内部に見えるソケットやトランスの端子をうまく使い、足りないところは最小限のラグ板を固定し、スズメッキ線や色分けしたリード線で、まさに理路整然と配線していく。理路整然じゃないと、見た目が悪いだけじゃなく、かなりの高確率でノイズを拾い、最悪、アンプとして使い物にならなくなる。プリント基板よりはるかに難しいことは間違いないが、難しい分だけ余計に挑戦する価値がありそうだ。

プリント基盤タイプには、それなりの自信がある。が、手配線は未経験だから、とにかく作って経験値を上げなければ始まらない。

で、夏休み開けが締切の面倒な仕事が片付いた10月のある日、秋葉原の春日無線が出しているこんなキットを取り寄せてみた。穴あけ加工済のケースとパーツ一式、それに親切な説明書がすぐに届いた。6BM8というテレビ用の複合管をchあたり一本使った小さなアンプ。回路図を熟読し、実体配線図でイメージを固めてから作製にかかった。部品点数が少ないので、初めてでもなんとか組み立てられる。4時間弱で完成し、わくわくしながら通電するが、音が出ない。慌ててコンセントを抜き、回路図と自分の配線を見比べるが、原因が分からない。するととたんに疲れが出て、その日の作業は打ち切りに。翌朝、コーヒーを飲みながら自分の配線を再度チェックして、ガックリきた。アース回路で二ヶ所、半田付けをしていなかった。これでは動くはずがない。ササッと半田付けし、改めて試運転。アルテック404-8Aから、きれいな音が出てきた。ノイズは全く聞こえない。「慣らし」に時間のかかるロシア製の真空管だから、最初は薄っぺらくて色気のない音だが、見る見るうちに音の透明度が上がっていく。部品配置など、とても恥ずかしくて写真も撮っていないが、初めての手配線はなんとか成功し、魅力的なサブアンプが完成した。

年の瀬のことども

昨年までは、用もないのに出校を義務づけられ、一日でも早く帰省するめ、奥歯を噛み締めながら下げたくもない頭を下げ、ストレス満タンで会津に戻っていた。今年はそんな苦労など忘れ、早々と戻ったものの、ローカルな行事に惣領として臨まなければならないことが、新たなストレスになる。

でも今日はストレスフリーのイベント。数年ぶり、恐らくは5年ぶりくらいに、蕎麦打ちの練習に出かけた。私の師匠は父方の従兄。市内だけでも、跡取りとして農地を守る従兄が6人いて、そのうち何人かが蕎麦を打つ。そのなかでも一番美味い蕎麦を打つと評判の高い従兄に、久し振りに教わりに行った。

細かい過程は略すとして、結果は、従兄の指導よろしきを得て上々の打ち上がり。都合一升五合程の蕎麦を打ち、とても食べきれないので、持ち帰って近所に配った。

自家製の蕎麦の実を自家製粉するから粉の鮮度が高い。それだけで美味いのが当然だが、彼の住む集落では、地下水脈が岩塩層に接しているのか、井戸水にわずかに塩気がある。彼によると、この水で打たないと、味が出ないとか。奥が深い。

父たちの世代の「兄弟会」が途絶えて久しいが、先日「従兄弟会」の準備会が開かれた。来年、農閑期で私が帰省できるとき、正式に第一回を開くとのこと。当家一族の男は、手先が器用で、マメであることが徳目。私も一族から追放されたりしないように精進しなければ、と決意を新たにした。

暮れの帰省

晴天の甲府から東京に出て土産を見繕い、新幹線で北に向かいました。よく考えたら休日でクリスマスイブ。東京駅周辺は大層な人手でした。人口密度の低いところばかりで生息しているため、人ごみは好きじゃありませんし、荷物を持っているときは特に空いている方向に進みたくなります。

郡山あたりで外を見るとどんよりとした曇りで、会津の方は更に黒い雲が。雪が舞っているようです。夕日の残照が山の向こうに沈みこんでしまう少し前、実家に帰り着きました。今度は母の健康状態に問題が生じ、寂しく、重苦しい年末の帰省となりました。

居間で冷えた身体を温めるよりも先に、猫たちが集まってきました。夏場と違い、寒い季節は遊びたい盛りの四女や長男も家にいることが多いようです。次女は何やら言いながら(世間一般では「鳴きながら」と書くらしい)足元に纏わりついて離れません。

これからしばらくは、母と5匹の猫たちと、静かに過ごします。

続・オーディオ機器を作る

404-8Aという、ちょっとした憧れの的だったユニットが手に入ったのはいいが、箱については本当に考えていなかったから、正直途方に暮れた。自慢じゃないが(確かに自慢にゃならんな)、木材加工は下手だ。エンクロージャ用に寸分の狂いもなく加工しなければならないとなると、電動工具なしでは無理だし、工具を買い込んでいたら完成品を買う方が絶対に安い。

それにエンクロージャの場合、木工ボンドで接着し、1日から2日、狂いが出ないように細工をして乾燥させる。が、この1日から2日という時間が、私にとっては非常に苦痛になる。物を作る時は、一気呵成にやってしまいたい質なのだ。テンションの高いうちは、疲れていても集中力が続き、ミスも少ない。しかし、一度集中力が切れてしまうと、「再充電」にはどれくらい時間がかかるか、わからない。

結果、材木(カット済みを含む)を調達し、箱を組み立てるのは、あまり自分向きとは思えず、404に良く合う箱の完成品を探すことにした。そして、自作オーディオ関連の通販で圧倒的なシェアを持つ「キット屋」さんに、丁度いいWE標準箱があることがわかり(私の購入直後、製造者の都合でラインナップから消えてしまったのは残念)、早速注文した。
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オーディオ機器を作る

TU-879Sの箱を眺めている頃、甲府の、その手の趣味のある人(そういう意味ではないぞ>奥一同)には著名な電器店に、スピーカのキットを注文した。ウッドコーンという新技術と、それを用いたユニットを2Wayにしたキットが発売されるということを、なにかの雑誌で読んで非常に気になっていた。

随分人気がある商品らしく、しばらく待たされたが、梅雨のある日、とうとう入荷した。これはキットといっても至って簡単なもので、ネットワークのハンダ付けが少々面倒かな、という程度。事前にネットワークのアレンジに関する情報も仕入れていたから、先ずは組んで鳴らしてみることにした。最初の音出しでは「なんだこりゃ?」ってくらいくぐもった、訳のわからない音が出たが、見る間に霧が晴れるように音が透明になっていく。ユニット、ケーブル、そしてネットワーク素子が、単なる部品から音響機器に変化していくのだろう。1時間もすると(耳がバカになるせいもあるが)、非常に聴きやすい、ヌケのいい高音とサイズからは考えられない低音を出し始める。これまでメインだったNS-1classicsの音が物足りなく感じられるのだから、人間という奴は贅沢だ。

間もなくアキバでパーツを買い、ネットワークとアンプに簡単な改造を施す。
ネットワークの変更でスピーカは、低域のスピード感が上がり、高域も伸びが良くなったように感じられる。アンプは、カップリングコンデンサを評判の高級品に交換したのだが、低音の迫力が明らかに増した。この低音、好みの別れるところだろうが、私には非常に心地よい。
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年内最後の出校日

思えば、「アッ」という間もないくらい、慌ただしい1年だった。

一年前の今頃、北陸を去ると決めた。そして、戦争のような3ヶ月を過ごし、万感の思いを胸に、友人、知人、弟子たちに別れを告げた。

甲府でも慌ただしさは変わらず、それでも住まいと研究室と、それなりに使える程度にまで整備し、さあ明日から講義だという日に、父が倒れ、最後の入院をした。「病院への送り迎えに、いまより大きい車が欲しい」という母の希望で買った新しいセダン、とうとう父は一度も乗ることがなかった。70年を一期に逝ってしまった。

金沢、甲府をはじめ、各地から温かい善意が寄せられ、それに縋って辛い季節を乗り越えた。だか悪いことはそうそう簡単には終ってくれない。夏の盛りから、母の具合が悪くなった。気持ちの張りをなくした老体に、5年にわたる看病疲れがのしかかった。

大きな心配事を抱えながら、秋からはいくつか、活字になる仕事をした。仕事が出来る、あるいは仕事をさせる環境をくれた現任校には、感謝してもしたりない。私まで気持ちの張りを失ったら、原家は滅亡してしまう。

これまでと少しも変わらない講義をしていたら、「ゼミを取りたい」という奇特な学生が現われた。物を書いていたら、新しい発見で少しだけ目が開いた。音楽、演奏と再生の両方に時間を振り分け、見るべき進歩があった。

でもやっぱり時間の使い方が下手。講義が終り、後始末と書類の整理をしていたら、外はもう暗い。義務はないけど、明日も出校して、せめて少しくらい掃除をしておこう。

定期演奏会

みぞれの降る寒い土曜の夜、金沢のとある小さなホールで指揮棒を振りました。3月まで、まさに苦楽を共にした前任大学吹奏楽部の定期演奏会に客演指揮者として呼ばれたのです。

プログラムの紹介欄にはこんな文句が。
本吹奏楽部の演奏会で使用するクラシック楽曲は殆どが氏の編曲によるもので、一切の妥協なき「真っ黒な楽譜」は歴代部員を震撼させてきた。
なかなかセンスのいいフレーズ、気に入りました。で、今年演奏したのは、こんな曲。

    1.『椿姫』より序奏と乾杯の歌
    2.Canon
    3.主よ、人の望みの喜びよ
    4.海ゆかば
    5.Clarinet Candy
    6.謝肉祭序曲

1.4.6.がオリジナルアレンジ。1.と6.は特に黒くて波打った楽譜です。

このプログラム、最初は3月に初演した「謝肉祭」だけが決まっていました。アシスタントコンダクターを務める弟子と相談した時に、「お祭り騒ぎ」という「隠しテーマ」が浮かび、オープニングには以前に編曲した『椿姫』、そして「騒ぎ」と「祈り」の意味を込められる曲が選ばれました。「海ゆかば」は夏休みに書き下ろしましたが、散々迷ったあげく、ラッパ譜「海ゆかば」を舞台袖で効果音的に鳴らし、信時の「海ゆかば」を小さな重奏とTuttiと、二度演奏することにしました。

でもこれだけでは楽譜の黒さが足りないと考え、アンサンブル用に、モーツァルトの「グランパルティータ」から楽章を一つ、アレンジして突き付け、「震撼させる」という初期の目的を達成できたと思います。

技術的には「全然」、「全く」というレベルですが、常任の指導者がいなくなったハンデを背負って、それでもハイレベルな演奏会を目指したメンバー達を評価します。もう彼らと音楽をする機会もないのか、と思うと、一抹の淋しさを禁じ得ません。

音楽との接し方

夏頃からこんな雑誌こんな雑誌を定期購読している。今から30年以上前、『初歩のラジオ』という、「これが初歩だったら応用は一体どこまで行っちまうんだ!」ってくらいハイレベルな記事が山盛りの雑誌を読んでいた。勿論理解などできる筈もなく、たまに本当に初歩向けの製作記事の通りに何か作ろうとして、ほとんど失敗するような、今から思えば、将来文系に進むことを予感させる少年時代を過ごした。

でも『初歩のラジオ』を読んで、HiFiオーディオという存在を知り、お年玉を貯めて、ケンクラフト(現在のケンウッド)のプリアンプキットを買った。結局プロの手を借りたが、完成したアンプは何年も私の勉強部屋の一角に座を占めていた。

高校、大学と文系に進み、演奏と鑑賞を趣味の両輪とする放蕩な生活を続けたが、自作オーディオに戻ることはなかった。財力が問題だった。大学専任者になるとまもなくPCの自作を始め、実用性を重視しつつ「作る」楽しみを味わう生活に落ち着いた。音楽は、MIDIと編曲、手兵の吹奏楽部を指揮してのオリジナルアレンジ作品自演という、音大も出ていない素人では普通できないような贅沢が可能であり、毎年、寒い季節になると棒を持って部室に出入りしていた。

音楽活動環境(と友人関係、食べ物等々)には恵まれた金沢生活が終わり、知り人ひとりいない甲府に移ると、「趣味」の質的低下は決定的となった。その上、父を亡くし、精神的に疲れ切った夏の始め、何かのはずみに、『初歩のラジオ』を読みふけっていたころの憧れを思い出した。

真空管アンプ

トランジスタやIC、LSIが出現する基礎となった真空管による増幅技術は、ラジオ、テレビ、初期のコンピュータを世に送ったが、先進国では真空管の生産などとっくに終わっていた。だが、『初歩のラジオ』で読んだ高圧、高温のガラス製部品を使ったアンプは、色褪せるどころか、手の届く現実として蘇った。主としてPCを目的に歩き回ることの多かった秋葉原に、そういった機器を扱う小店が沢山ある(あった)ことは分かっている。まだ雑誌も何点か発行されている。ネットのおかげで、キットの購入などいとも簡単だ。そう思ったら矢も楯もたまらず、一台のアンプキットを注文していた。
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