金沢はおいしい

あまり雨に降られたという実感はないが、甲州ではこの梅雨の降水量が平年を越えているとか。暑くてたまらない、と言うほどには気温が上がってないし、出かける時は何故か雨があがっているしで、梅雨を意識しないで過ごせている。そういえば、梅雨入り以降、長傘をさした記憶がない。年に400日くらい雨か雪か雹が降りそうな加賀とはえらい違いだ。

だが、7月の声が聞こえる辺りから、明らかに不快指数が上がり始めた。窓を開けておけばかなり涼しい外気が流れ込むが、やはり梅雨なのか、湿度が高く、次第に蒸し暑さを感じるようになった。書斎も、パソコンの排熱が酷い。軽くwebpageをブラウズするだけで、内部に付けた温度センサーが僅かな負荷による温度上昇を感知し、いくつものFANが一斉に回転数を上げるから、うるさくてかなわない。冷房を使えばいいのだが、より「音のいい」リビングのノートパソコンで仕事をする方が、なんとなくはかどるような気がするので、この週末は、持ち帰り残業だけを書斎で片付けた。少しでも早く終わらせて脱出するよう、仕事の空間を快適な方向に持っていくことはしない。

だが、リビングも次第に息苦しいような不快感を生じるようになってきた。冷房を使わず、自然の対流だけでは、CDをかけるのも難儀になってきた。はっきりいって暑いのだ(爆)。左右のスピーカの間に、何か熱源でもあるのか、顔が火照ってくる(猛爆)。熱の放射量の少ない夏向きアンプを作る、という課題は恐らく来年に持ち越し。それでも何か作ろうと、BGMを聴きながらハンダゴテをふるったら暑いのなんのって。おまけに出来たアンプはやっぱりストーブ兼用(爆沈)。

体調は上向きだが、力の入らない妙にふわふわした感じが。以前にも経験があるこの感覚は、夏バテの仲間か。外気から取り込んでしまう湿度と室内から生じる熱で、じっとしていても汗ばんでくる。精のつくものを食べたいが何がいいか、と、しばらく前に届いたDMを思い出した。カレンダーで受け取りの日程をシミュレートし、サクッとFAXを流す。そして翌日、宅急便屋さんが待望の荷物を届けてくれた。

かつて、徒歩5分で近江町市場という街場に住んでいたが、近江町で馴染むほど通った店はほんの僅か。そのうち一軒から、うなぎの蒲焼きを取り寄せた。
蟹で有名な魚屋さんが、夏場はうなぎを売る。人気ナンバーワンの店ではないが、私のお気に入りは新力水産。カニも鮮魚も勿論逸品揃いだが、うなぎに関してはタレの味が気に入っている。近江町ではこれで標準だが、罰が当たりそうなくらい身が厚い。そこいらのスーパーで売っている「うなぎ」の倍以上は楽にある。晩飯には、腹の裂けるくらいうなぎを喰ったことは言うまでもない。これが週末の話。

そして週明け月曜日。金沢のO嬢を煩わせ手配してもらった夏の名物が届いた。
兼六園下の「中島」の氷室まんじゅう。毎年、蒸したてを買い込んで、学校で振る舞ったものだ。宅配だから一日経ってはいるが、やはり上手い。恐らく、誰かが見ていたら気味悪いだろう程の笑顔でかぶりついて、ふと顔を上げたらローカル番組で「糖尿病とは?」。やかましいわ!。

金沢の夏に必ず食べていた好物が二つまで届いた。実に、金沢の食べ物はおいしい。いや、なに、甲府の食べ物がおいしくないなんて言っているわけではない。まだ美味しい店を知らないだけだ(やはり爆)。ただ、長年親しんだ金沢の味は、やはり格別だ。でも、一番食べたい「あれ」は、なかなかチャンスがない。もう3ヶ月、週に1回以上必ず食べていた「あれ」を食べていない。今週末も会津だし、いつ行けるかなぁ。ねぇ、姉さん。

ある一審判決

有明海の漁業被害で開門命令・佐賀地裁判決

正直、驚いた。莫大な税金を投入した国家プロジェクトは、どれほどの利権を生むのか知らないが、一度走り出したらブレーキの壊れた機関車のように、終点の車止めに体当たりするまで止まらない。あまりの破壊力に、線路脇にはぺんぺん草一本生えないのではないかとすら思う。

科学的な分析を理解する頭はないが、轟音をたてて水門が閉っていく場面をテレビで見て、背筋が寒くなった。これは間違いだと直感した。少なくとも、減反と外米輸入を強行しながら干拓地を作るという明らかな矛盾を、「始めちゃったから」という以上のまともな理由で説明できる者は一人もなく、そして豊壌の海は消えた。

消えた海が蘇ることがあるのかどうか、分からないが、「水門を開け」などという判決が出るとは思わなかった。まだ一審だし、総理の英断で公共事業の間違いを認めて控訴断念なんて、フジテレビ以外の局では流れないニュースだから、諌早の海はまだまだ楽観はできない。でも、この小さな裁判所の判決が蟻の一穴にならないとも限らない。

地裁レベルでは、なかなか考えさせられる判決が出る。これが高裁に上がると、住民訴訟砂漠、というイメージがあるが、やはり人事構成の問題だろうか。住民訴訟が原則住民敗訴という流れに落ち着くのは、石田和外が第5代最高裁長官に就任してからだといわれる。最高裁からリベラル色が消え、高裁が露骨に最高裁を見つめるようになって以降、国を相手取っての裁判は、最終的に非常に高い壁に遮られてきた。そしてごく近年に至り、最高裁の論調に微妙な変化を感じるよことがある。

蟻の一穴が、不必要に丈夫な壁を壊す日が来るかもしれない。

罰当たりめ!

今度は京都で不埒者が出たらしい。つい先日、熊野古道で牛馬童子が壊され、文化への下劣な攻撃に、血圧が上がるくらい怒ったばかりなのに、そんなに私を病院送りにしたい馬鹿者がいるのだろうか。

典型的な模倣犯。耳目を集めたいが人前に顔を出すほどの度胸もない卑小なクズが、長い長い時を経て息づく人々の信仰、心など一顧だにせず、薄汚い自己顕示欲のために形あるものを壊した。ものに込められた人々の心を踏みにじった。

太宰権帥として客死した菅原道真公は雷となって清涼殿を焼き、皇位簒奪をでっち上げた時平の子分共を焼き殺した。時平の落命も、菅公の祟りといわれた。その菅公の使いであるなで牛を叩き壊したのだ。天罰は自ずから重いものと知れ。

ひねもすオーディオ機器を作る

・私の健康状態について、ご心配いただき有り難うございます。当面の危険は完全になくなったものと考えていますが、薬が効いた状態に身体が慣れていないため、ぼんやりが続いています。追い追い個別にご報告します。

・下山判事の準抗告が棄却されていました。最高裁は、国会の裁判官訴追委員会に訴追を請求しました。久し振りに弾劾裁判が行われることになりそうです。このあたりの手続は、今後マスコミが詳細に説明してくれるでしょうから、講義する側としては非常に有り難い状況です。それにしても、弾劾裁判所のURL、力強くて大好きです。

音の良いプリアンプを作ろう(その3)

日頃の行いは決してよくないが、時折、ぽっかりと時間が空くことがある。料理、読書、写真などなど、どんな趣味に費やすか、はたまたひたすら寝て過ごすか。まぁほとんど実家との往復で消えてしまう纏まった自由時間だが、日程の関係で甲府にいなければならず、しかも喫緊の用向きは全部処理済、なんて僥倖も訪れることがある。

音の良いプリアンプ作戦は、1月末日から2月の頭にかけての週末、午後と土日を使って決行と相成った。暖房なしでも汗ばむくらい日差しの暖かな窓辺で、金属板に穴を開けるという初めての作業に挑んだ。CADを使い実寸で出力した配置図をシャーシに貼り、パンチで穴の位置を決め、細めのドリルで穴を開けていく。必要な大きさまで次第に太いチャックを使い、更にステップドリル、油圧パンチで予定したサイズまで穴を広げていく。のだが、何分初めてのことで、刃先が暴れ。穴が微妙に、時に明確にずれてしまう。穴を開け終わるまで数時間を要し、キズ数ヶ所と使えない穴数個も含めて、使用に耐えうるギリギリの線で止まった。もうちょっとミスったら構造部品の組み付けに齟齬が生じ、ケース一つをボツにするところだった。真っ直ぐに並ぶはずのトランス3つが何故か蛇行し(?!)、修行不足を思い知った。父が存命だったら、「下手くそ」と一言で評価を下し、アドバイスをくれただろうに。残念でならない。これで初日の作業はおしまい。目と肩が凝って、これ以上の継続は無理と判断した。
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当面の関心事

・お世話になっている先生から、『山梨交響楽団定期演奏会』のチケットを頂戴したので、有り難く聴かせていただいた。梨響はアマオケだがレベルはなかなかのもので、ブルックナーのロマンティックなどという、アマチュアには相当厳しいプログラムに果敢に挑んでいた。アマ固有の弱点も見えるが、是非頑張って上手くなってもらいたいものだ。

・服用中の薬に起因するんじゃないか、と思われる「ボーッ」とした感覚だが、どうもすっきりしない。もしかして、これが常態で、冴えていたことなんか無かったんじゃなかろうか、と考えるとちょっと怖い。

下山判事の保釈申請が却下された。そもそも判事が被告人になることが希だが、最近まで所属していた甲府地裁に保釈を却下されて、少しは自分のやったことの愚かしさに気づいただろうか。容疑を否認しているようだし、かなりの強弁を繰り替えているようだから、懲役以上の重罪犯なら間違いなく保釈されないだろう。だが、「ストーカー禁止法の初犯だからどう間違っても罰金止まり」などと都合のいいことだけを考えての否認だとすると、随分高くつく。

犯罪の増加、悪質化を感じさせる兇悪事件の頻発で、日本社会では今、犯罪者への憐憫の情が薄れてしまっている。犯罪にいたった個々の事情は(面白くないのか)報道されず、結果の兇悪さばかりが喧伝され、そのため、人と罪とを同時に憎むのが通例だ。そして公務員の職務に関する事柄なら、過失ですら憎悪の対象となる。このあたりは、社会保険庁が東の正横綱、国土交通省道路事務所が西の正横綱で、厚生労働相一門と財務省一門が有力力士を輩出している。しかも全部日本人だ。些細なミスでも下手な隠しだてをして、憎悪の対象になってくれるところが、学習効果の低さが見えて楽しいと言えば楽しい。

公務員は「完璧が当然」と看做され、減点法でしか評価されない気の毒な存在だ。プラス評価のゆとりを国民から奪ったのは公務員の総元締たちだから、国民を恨むのは筋違いだが、今回は、もっとも厳格であるべき裁判官の破廉恥はなはだしい犯罪だ。ここで中途半端な処置でお茶を濁したら、来年の裁判員制度はどうなるか、火を見るより明らかだろう。

甲府地裁は現在立替中で、ぱっとしないプレハブの仮庁舎で執務が行われている。まだ一度も傍聴したことがないが、時間があったら傍聴券を求めて列に並んでみるか(前任大学時代はマスコミさんから傍聴券を貰えたこともあったのに、ここではただの人だから無理か)。これまで座っていた場所から真正面の数段低い位置に立たされた被告人が何を言うのか、直に聞いてみたい。そして、証拠として出てくることは必至の、若者のフリをして妙な語調になったメールを、検察官がどんな顔をして読むのか、見てみたい気がする。とても気の毒だ。もしも私が検事だったら、朗読途中に情けなくて涙が出てくるだろう。

人として既にダメなオヤジが公務員だったら、国民の目は二重に厳しい。

秋葉へ

週末だからといって、余裕をぶっこいていられるはずはないのだが、このところ短時間で決着を着ける(いや、本当は計画的に時間をかければいいのだけれど)作業が多く、健康の問題とあいまっていささかストレスが嵩んだ。疲れているのに眠りが浅く、早朝に目覚めると二度寝が出来ず悶々と・・・。

そこで来週頭に仕上げる予定の用事を総て金曜までにやっつけ、楽しみにしていた「キット屋」さんの東京試聴会にでかけた。過日、刈谷の本社ショールームで視聴させていただき、こちらのキットに一層惚れ込んだのだが、その折に聴くことができなかったアンプ、SPなども登場するということで、勇んで先着順の申し込みを送った。

午前中9時台の特急で東京に出て、ちょっと街を流してから会場に行く予定で動きだした。ところが道中でメールがあり、東北地方の地震を知った。携帯では十分な情報が入らず、新宿のホームで会津に電話する。着信規制もなく通話でき、母の無事を確認。発災と同時に猫たちが飛び出して戻らないとのことで、やはり耐震補強が必要かと、またしても暗澹たる気分。つい先日、屋外の散水、除雪用の井戸を掘り直した(=費用を負担した)ばかりなのに(ToT)。

試聴会の会場は言うまでもなく秋葉。電気街からちょっとだけ神田方向の貸しホールだが、街の雰囲気が微妙にぎこちない。人ごみの向うに献花台のテントが見える。メイド服のお嬢ちゃんが、大声でAED設置のための募金を呼び掛けている。時間まで、街の変貌とはあまり関係ない駅前の小店を覗くと、闇市を思わせる狭い通路の両側に並んだ店先には1コ数十円のパーツ類が整然と並び、むしろ落ち着きすら感じられるから不思議だ。ただ、トランス専門店のおじさんが、値上げが目前に迫っていること、材料高騰で商品の入荷が遅れに遅れていることなど、通り過ぎるだけでは分からない実情を話してくれる。

視聴会場に向かうと、犯行現場が遠望される。重力場が乱れたように(って経験はないけど)重苦しさが波紋になって広がっている。昌平橋を渡ってすぐに会場が見え、汗をかくまでもなく冷房の効いた室内へ。丁度、私が申し込んだ午後の一回目の受付が始まったようだが、会場には既に熱心なファンが大勢いて、思い思いに機器類を眺めている。店主の大橋氏に挨拶し、前の方に座を占めて、開始を待つ。

試聴会は、キット屋さんの代表的パワーアンプを2群に分け、間にスピーカークラフトのウィンズさんのデモを挟む三部構成。私の大好きな送信管中心に多極管とOTLで構成されたB群と、(恐らく)世界一人気の高い真空管300Bを使ったキット屋さんの代表的アンプ群、プラスソ連の6C33というA群。個人的にはB群が面白いが、A群の魅力も捨てがたい。ウィンズさんは必然的にSP主体になるが、私も使っているWE標準箱の本来のサイズ(8インチ用。私のは4インチ用)の鳴りっぷりに感激し、更に小さな箱を鳴らす技術の高さと、低音を補強する小さなトーンコントロールプリの性能に脱帽。ただ、次にキット屋さんで購入するアンプキットは、今回は登場せず、年内に生産中止が決まっている送信管プッシュプルモノラルアンプのペア。この線だだけは動かせない。

各アンプ、SPとソースの組み合わせはそれこそ無数にあり、自分の耳の心地よい組み合わせもあれば、多少疑問の残るセットもあった。だが、何かが悪いというのではなく、飽くまで好みの問題。もっとも極端な場合、真空管という増幅素子を交換するだけで、音は全く別物になる。ハイテク技術の粋を集め、クリーンルームで全自動で作られるLSIとは違った動作になるのも当然だろう。

楽しい90分はあっという間で、改めて電気街のパーツショップや真空管専門店で、現在製作、設計、企画、妄想中などのアンプに使うパーツ類を揃える。有名な専門店で買った良質なパーツが、後で寄った小店で6掛けで売られていてショック。もっとも今回は、高額でも5,000円を越えないトランスと、それこれ数十円の抵抗類が主眼だから、かさばってもあまり懐には響かない。

が、小店から路地に出ると、険悪な空気が。十数人の警官が青年一人を取り囲み、当該青年が甲高い声で悪態をついている。買い物をしたばかりの店の店員氏によると、ドライバーを持って歩いているところを咎められたとか。ここは秋葉だから、奇抜さだけの気味の悪い格好より、工具を持って歩く方がよほど自然だと思うのだが。もちろん、ドライバも振り回したら兇器になる。時節を考え、剥き身で持ち歩くのは止めたまえ。

たんとパーツを買ったから、これから校務がひとつ片付くたびに、一工程か二工程くらい、空いた時間の応じて製作を進めよう。

さてさてオーディオ機器を作る

医師の指導に従い服薬を継続している。通院の端緒となった極めて不快な症状は雲散霧消し、かえって薬が効きすぎたかのような気分すら味わう日々。でも、頭の廻りが芳しくないことへの言い訳はしっかりゲットした ( ̄ー ̄)ニヤリ

いつもお世話になっている隣の研究室の先生から、面白そうな判例をいただいた。薬の影響を脱して頭が廻ったら、エントリを立てるか。

音の良いプリアンプを作ろう(その2)

考えるまでもなく無謀なプランだ。およそ1年の間にキットを数点、人手を借りずに完成させたことがあるとはいえ、回路図に書かれたパーツの意味が総て分かる訳もなく、部品の定数を決める知識などある筈もない。本を読んで勉強するのは本業だから苦にならないが、付け焼き刃ではすぐにボロが出る。なにより、失敗しても誰にも頼ることができないという不安は大きい。

逆に、だからこそ作ってみたいという野望も止まない。少しずつ道具を買い揃え、細かい手仕事の末に何かを作り上げるという、どこから見ても地味な作業の見本を見せてくれたのは、父だった。黙々と何かを作っている父を見て育った私には、ものを作ることは当然過ぎることかもしれない。「エレクトロニクス少年」が長じて「真空管おやじ」へと、時代を遡っただけなのだ。

今回の単段増幅コントロールアンプは、キット屋さんの現行商品の中で、恐らく一二を争う部品の少なさだと思う。各パーツの意味はどうにか理解した。通販で、様々なパーツが届くと、次第に興奮が高まってくる。信号系は完全に公表された回路図のまま組み上げるが、電源回路は使う真空管が異なり、そのための特注トランスを用いることを前提に、若干の手直しが必要になる。幸い、電源回路シミュレータというソフトを手に入れたので、計算をせずに抵抗やコンデンサの値を絞り込める。こうして考えた回路に必要な部品が次々と届く。

が、ここで、アルミと鉄のシャーシに丸や四角、サイズも色々な穴を開けるという工程が待っている。父に習っておけばよかったと思っても、後の祭。(何故か)以前から持っていた電気ドリルを主として使うが、これでは10mmを越える穴は開けられない。そこで、近所のホームセンターでステップドリルを一つ買った。だがこれでも直径20mmより大きな穴は無理。適切な道具を使わなければ、不満足な結果にすら到達できない恐れが大きい。悩んでいると、ネットで10,000円未満で販売されている油圧パンチを見つけた。もし、ショップにシャーシの穴あけ加工を依頼すると、1回5,000円から10,000円かかる。二つシャーシの加工をすれば元が取れるではないか。国産の1/10程度の価格だから、より難しい角穴の加工などはできないが、やはり専用の工具は魅力だ。

ほどなく重たい油圧パンチが届き、加工技術の低さを前提に、かなり大きめのシャーシも注文した。フリーのCADソフトで、実寸の配置図を考えたりしながら、数日間連続で自宅に引き籠っていられるチャンスを待つことにした。また回路図は暗記してしまった。我ながら、なんで「道楽」となるとこんなに勤勉なのだろう・・・。「道楽」だからか・・・・・。

里帰り

多分、月一程度の頻度で帰省しているから、狭い庭を眺めても、会津の季節の変化をしみじみ感じることが出来る。昨年、随分な数の花をつけた、とある山野草は、父が持っていってしまったのか、一つの芽も出なかった。およそ一年以上、手を入れる気持ちの余裕もないから、無秩序な部分が日に日に増えてくる。母の具合も落ち着いてきたことだし、次の帰省の折にはしっかりと草むしりでもするかな。

日曜日、父の一周忌の法要を、ごく内輪で執り行った。母はまだ長時間同じ姿勢でいることができず、私と、父方母方の親戚代表とで菩提寺に赴き経を読んで貰うだけの、はなはだ質素な法要だった。私が戻るまで準備らしい準備もできないことが気になっていたが、土曜日の明け方、夢に父が出てきた。法事の準備で、従兄と道を急いでいて、ふと振り返ると父が笑っている。諸々のドタバタやら不手際やら、許してくれているようだ。

同じ頃、秋葉ではとんでもない事件が起こっていた。次の土曜、秋葉に行く予定だ。キット屋さんの試聴会があり、ついでに設計中のアンプのパーツを調達しようと思っていた。

江戸時代は火除け地としての空き地だった。戦後、『ロクタル管の話』(柴田翔)で描かれた、進駐軍放出の電気部品を扱う露天商は、高度成長期に巨大な電器店街に成長した。卸も小売も渾然と、製品も部材も区別なく商う町は、ある意味豊かさを具現し、憧れを集めた。シロモノ家電もハイファイオーディオも、みんなその町にあった。DOS/Vパソコンの自作も、その町から始まった。私には理解できない不思議な風俗も、その町で生まれた。戦後一貫して猥雑なエネルギーを産み出し続けた町に、何が起こってしまったのか。

無性に腹立たしく、悲しい。

「弁護士ゼロ地域」の解消

この件に関して、日弁連会長のコメントが発表された。「司法」という「サービス」を拡充するために不可欠な弁護士増員だが、今回、裁判所支部(全国で203ヶ所)の所在地でありながら、常駐する弁護士のいない「弁護士ゼロ地域」がなくなったという。御同慶の至りである。1996年から12年かけて、47ヶ所の「ゼロ地域」が解消されていった。関係各位の御努力に心からなる敬意を表する。

「無医村をなくそう」という国家的事業と同様に、重要な社会的意義のある「無弁村」撲滅は、しかし、非常に地味に、静かに進行したようだ。人は、少なくともこの日本で、医療と無縁のまま生涯を終わることはできない。だが、法律家と会話することなく天寿を全うすることは、決して珍しくない。犯罪はもちろん、紛争をともなう重大な権利の変動も経験せずに一生を送れたら、それはとても幸せであるが、決して夢ではない。この国は、地域の中で紛争を未然に防ぐとともに、発生してしまった紛争も、極力「お上の手を煩わせる」ことなく、地域の創意で解決する伝統を持っていたのだ。

「持っていた」という過去形である。今や、近隣のトラブルすら穏便に解決する術を失い、地域は単なる偶然で一致した居住地という意味しか持たない、といった有り様も散見せられる。隣近所のささいな揉め事をうまく纏めてくれる長老、ご隠居ははるか昔に消えてしまったから、公平な第三者として問題解決にあたる「司法サービス」が必要になる。しかもその「サービス」とは名ばかりで、とてもじゃないが使い難い。そもそも「司法サービス」以前に、弁護士を始めとする街の法律家の「サービス」を受けないと、「司法サービス」まで辿りつかないのが現状だ。裁判所のある隣町まで出かけても、弁護士がいないんじゃ、いつになったら裁判というサービスを受けられるのか。

司法試験合格者の大増員は、どうやら消えたようだ。粗製濫造は断じて断りだが、相談する弁護士を選べないという状況は望ましくない。横丁のご隠居のように、街の人々のちょっとした困り事にも気軽に智恵を貸してくれる、そんな街の法律家が増えることを念じて止まない。裁判所と支部のない市町村は、ほぼ例外なく「無弁市町村」だが、司法サービスが不要なほど、古き良き日本が残されているわけではないのだ。
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