2008.06.03 火曜日 22:06
「弁護士ゼロ地域」の解消
この件に関して、日弁連会長のコメントが発表された。「司法」という「サービス」を拡充するために不可欠な弁護士増員だが、今回、裁判所支部(全国で203ヶ所)の所在地でありながら、常駐する弁護士のいない「弁護士ゼロ地域」がなくなったという。御同慶の至りである。1996年から12年かけて、47ヶ所の「ゼロ地域」が解消されていった。関係各位の御努力に心からなる敬意を表する。
「無医村をなくそう」という国家的事業と同様に、重要な社会的意義のある「無弁村」撲滅は、しかし、非常に地味に、静かに進行したようだ。人は、少なくともこの日本で、医療と無縁のまま生涯を終わることはできない。だが、法律家と会話することなく天寿を全うすることは、決して珍しくない。犯罪はもちろん、紛争をともなう重大な権利の変動も経験せずに一生を送れたら、それはとても幸せであるが、決して夢ではない。この国は、地域の中で紛争を未然に防ぐとともに、発生してしまった紛争も、極力「お上の手を煩わせる」ことなく、地域の創意で解決する伝統を持っていたのだ。
「持っていた」という過去形である。今や、近隣のトラブルすら穏便に解決する術を失い、地域は単なる偶然で一致した居住地という意味しか持たない、といった有り様も散見せられる。隣近所のささいな揉め事をうまく纏めてくれる長老、ご隠居ははるか昔に消えてしまったから、公平な第三者として問題解決にあたる「司法サービス」が必要になる。しかもその「サービス」とは名ばかりで、とてもじゃないが使い難い。そもそも「司法サービス」以前に、弁護士を始めとする街の法律家の「サービス」を受けないと、「司法サービス」まで辿りつかないのが現状だ。裁判所のある隣町まで出かけても、弁護士がいないんじゃ、いつになったら裁判というサービスを受けられるのか。
司法試験合格者の大増員は、どうやら消えたようだ。粗製濫造は断じて断りだが、相談する弁護士を選べないという状況は望ましくない。横丁のご隠居のように、街の人々のちょっとした困り事にも気軽に智恵を貸してくれる、そんな街の法律家が増えることを念じて止まない。裁判所と支部のない市町村は、ほぼ例外なく「無弁市町村」だが、司法サービスが不要なほど、古き良き日本が残されているわけではないのだ。
「無医村をなくそう」という国家的事業と同様に、重要な社会的意義のある「無弁村」撲滅は、しかし、非常に地味に、静かに進行したようだ。人は、少なくともこの日本で、医療と無縁のまま生涯を終わることはできない。だが、法律家と会話することなく天寿を全うすることは、決して珍しくない。犯罪はもちろん、紛争をともなう重大な権利の変動も経験せずに一生を送れたら、それはとても幸せであるが、決して夢ではない。この国は、地域の中で紛争を未然に防ぐとともに、発生してしまった紛争も、極力「お上の手を煩わせる」ことなく、地域の創意で解決する伝統を持っていたのだ。
「持っていた」という過去形である。今や、近隣のトラブルすら穏便に解決する術を失い、地域は単なる偶然で一致した居住地という意味しか持たない、といった有り様も散見せられる。隣近所のささいな揉め事をうまく纏めてくれる長老、ご隠居ははるか昔に消えてしまったから、公平な第三者として問題解決にあたる「司法サービス」が必要になる。しかもその「サービス」とは名ばかりで、とてもじゃないが使い難い。そもそも「司法サービス」以前に、弁護士を始めとする街の法律家の「サービス」を受けないと、「司法サービス」まで辿りつかないのが現状だ。裁判所のある隣町まで出かけても、弁護士がいないんじゃ、いつになったら裁判というサービスを受けられるのか。
司法試験合格者の大増員は、どうやら消えたようだ。粗製濫造は断じて断りだが、相談する弁護士を選べないという状況は望ましくない。横丁のご隠居のように、街の人々のちょっとした困り事にも気軽に智恵を貸してくれる、そんな街の法律家が増えることを念じて止まない。裁判所と支部のない市町村は、ほぼ例外なく「無弁市町村」だが、司法サービスが不要なほど、古き良き日本が残されているわけではないのだ。
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