2008.06.09 月曜日 22:31
里帰り
多分、月一程度の頻度で帰省しているから、狭い庭を眺めても、会津の季節の変化をしみじみ感じることが出来る。昨年、随分な数の花をつけた、とある山野草は、父が持っていってしまったのか、一つの芽も出なかった。およそ一年以上、手を入れる気持ちの余裕もないから、無秩序な部分が日に日に増えてくる。母の具合も落ち着いてきたことだし、次の帰省の折にはしっかりと草むしりでもするかな。
日曜日、父の一周忌の法要を、ごく内輪で執り行った。母はまだ長時間同じ姿勢でいることができず、私と、父方母方の親戚代表とで菩提寺に赴き経を読んで貰うだけの、はなはだ質素な法要だった。私が戻るまで準備らしい準備もできないことが気になっていたが、土曜日の明け方、夢に父が出てきた。法事の準備で、従兄と道を急いでいて、ふと振り返ると父が笑っている。諸々のドタバタやら不手際やら、許してくれているようだ。
同じ頃、秋葉ではとんでもない事件が起こっていた。次の土曜、秋葉に行く予定だ。キット屋さんの試聴会があり、ついでに設計中のアンプのパーツを調達しようと思っていた。
江戸時代は火除け地としての空き地だった。戦後、『ロクタル管の話』(柴田翔)で描かれた、進駐軍放出の電気部品を扱う露天商は、高度成長期に巨大な電器店街に成長した。卸も小売も渾然と、製品も部材も区別なく商う町は、ある意味豊かさを具現し、憧れを集めた。シロモノ家電もハイファイオーディオも、みんなその町にあった。DOS/Vパソコンの自作も、その町から始まった。私には理解できない不思議な風俗も、その町で生まれた。戦後一貫して猥雑なエネルギーを産み出し続けた町に、何が起こってしまったのか。
無性に腹立たしく、悲しい。
日曜日、父の一周忌の法要を、ごく内輪で執り行った。母はまだ長時間同じ姿勢でいることができず、私と、父方母方の親戚代表とで菩提寺に赴き経を読んで貰うだけの、はなはだ質素な法要だった。私が戻るまで準備らしい準備もできないことが気になっていたが、土曜日の明け方、夢に父が出てきた。法事の準備で、従兄と道を急いでいて、ふと振り返ると父が笑っている。諸々のドタバタやら不手際やら、許してくれているようだ。
同じ頃、秋葉ではとんでもない事件が起こっていた。次の土曜、秋葉に行く予定だ。キット屋さんの試聴会があり、ついでに設計中のアンプのパーツを調達しようと思っていた。
江戸時代は火除け地としての空き地だった。戦後、『ロクタル管の話』(柴田翔)で描かれた、進駐軍放出の電気部品を扱う露天商は、高度成長期に巨大な電器店街に成長した。卸も小売も渾然と、製品も部材も区別なく商う町は、ある意味豊かさを具現し、憧れを集めた。シロモノ家電もハイファイオーディオも、みんなその町にあった。DOS/Vパソコンの自作も、その町から始まった。私には理解できない不思議な風俗も、その町で生まれた。戦後一貫して猥雑なエネルギーを産み出し続けた町に、何が起こってしまったのか。
無性に腹立たしく、悲しい。
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