またしてオーディオ機器を作る

・ガートナーが面白い意見を唱えているようだ。確かに、OSが何であるかは大きな問題ではなくなりつつある。かつて自社ネットを立ち上げ、「世界中のユーザーが加入し、結果インターネットは不要になる」とほざいたどこぞのソフト会社が、ネット検索の大手を買収しようとするだけで、十分に皮肉だ。

憧れの送信管アンプ(その7)

アンプのパーツを入手するためにネットオークションを利用するようになった。秋葉原でさえ、古いデバイスを扱う店が減り続けている現状では、「商品」と成り得るものを持っている個人から購入するというチャンネルは貴重かもしれない。オークションの仕組みで、土壇場で価格が上がったり、惜しいところで買い逃したり、まぁいろいろあるが、新年早々大きめのスピーカを入手し、SV-2の圧倒的な情報量を音圧に換えることが出来るようになった。機械を置いたリビングは、リスニング向けの間取りではないためセッティングが悩ましいが、とにかく以前とは比較にならない音が出て来ることは事実で、小型の真空管システムを用意した書斎は、「暖房がもったいない」という心にもない理由で使われなくなり、リビングにノートパソコンを持ち出して、音楽を浴びながら仕事をするのが習慣になった。

ネットを泳いでいると色々な情報が手に入るが、SV-2のNFB(負帰還という歪み打ち消し、周波数特性改善技術)レベルを可変にするという改造を試みた方が何人かいらっしゃるようで、その中のお一人の方法を真似してみようと思い立った。測定器を持たない素人がやみくもに手を出すと、せいぜい発信して慌てて電源を落すのが関の山、という難しい改造だが、同じ回路で実験した結果がアップされているから、かなり安心して挑戦できる。
チョークコイルの間にある放熱穴からリード線を引き出し、帰還抵抗を露出させる。
抵抗は端子板で接続し、抵抗を取り替えては音を出し、帰還の掛り具合を確かめる。数種類用意しておいた抵抗の中から、現在のシステムで好ましい音質を聴かせてくれたものを選び、標準仕様のもの、そして帰還をOFFにする設定の三種類をスイッチで切り替えることにする。パーツ箱から6Pセンターオフのトグルスイッチを引っ張り出し、ネジの径を計り、SV-2の初段管の間に穴を開ける。金属クズが残らないよう神経を使いながらも簡単に穴があき、抵抗とリード線をハンダ付けしたスイッチをネジ止めすると、あっさりと完成。


音量が上がり、高音の輝きが増すが、場合によったら音が荒く感じられるかもしれない無帰還は、女性ボーカルやピアノソロに向いている。帰還量を増やした設定では、音量が下がった見返りにゾクッとするほどつややかな音を聴かせてくれる。こちらは大音量のオーケストラなどに向いているようだ。

30年の憧れだった送信管アンプ、改造用のパーツもまだストックしてあるが、これにて一応の完成ということにしよう。

自作の機械は、自作というだけで良い音が出るような気がするが、それを確かめるには別の機械と音の聴き比べをするしかない。幸い、非常に良い石のアンプを持っているから、これと聴き比べをすれば、確かにすばらしい音質のアンプが出来たと断言できる。だが、パワーアンプにCD(とDAコンバータ)とスピーカを繋いで音を聴くのはいいが、以前のKT88を鳴らしたり、真空管バッファ付きCDPを鳴らそうと思うと非常に面倒くさい。キャスター付きのラックを引っ張り出し、裏に回ってケーブルを差し替えるのは、決してスマートではないし、線を引っかけでもしたら一大事だ。こうなると、何系統かの入力セレクターと、やはり何系統かの出力を持ち、どんなソースもパワーアンプにピッタリの信号にして送りだすプリアンプが欲しい。

ということで次回からプリアンプ編・・・・。

楽しかった週末

娘たちとの楽しい休日の余韻が残っている。

キッチンのカウンターには、心のこもったおみやげの数々。食べ物以外に、O嬢が持ってきてくれたのがこの本。表紙だけで萌え死にそう。実家の猫たちは、こんな自然な表情を見せてはくれず、必ずカメラ目線になる。

二日間で撮りまくった写真を整理して、桃の花は右のPhotorollerに載せてみた。割と気に入った出来だったのが初日に参拝した武田神社で催されていた神楽。


舞が終わった後、楽師の座布団が「風林火山」になっていることに気づいた。

それはそれは温かい春の休日だった。

春の訪問者

甲府に移って二度目の春、加賀から愛娘たちが訪ねてくれた。にぎやかだった加賀の住まいの、およそ倍近い広さを持ちながら、とても静かだったここ、甲府の住まいが初めて、沸き返るような華やかさに満たされた。T嬢、K嬢、F嬢、O嬢、横浜からC嬢が、週末を使って甲府に、というか私に会いにやってきてくれたのだ。

身辺が騒がかったうえに、こちらで初めての集団の客ということで、満足にもてなすことができず、近いうちに再度の来訪を求めることとしたが、貴重な週末を使ってまで訪ねてやろうという彼女たちの心根が嬉しい。

夏から秋にかけて、甲府盆地名産の果物を存分に振る舞うから楽しみにしているように。

折りよく当地では桃の花が見ごろ。団子の前に花を楽しんだ。

何故、説明がないのか

裁判員法が来年5月21日施行と決まった。(参考

法成立時に設定した期限ギリギリに施行となったが、ギリギリまで待たねばならない状況は決して良好とはいえまい。「参加したくない」という声はいくらでも聞こえてくるし、辞退の要件はどんどん拡大されていく。

何故、こんこな制度が必要で、何故こんな制度をつくったのか。あと一年で制度が動きだすというのに、誰も責任持って説明しようとしないのは何故か。

立法、行政、司法の三権のうち、もっとも民意、言い替えれば主権者たる国民から遠いのが司法だ。その権力の発生時に民意を全く反映しないし、かすかな罷免権も実行されたことがない有り様では、民主主義が聞いて呆れる。いやしくも民主主義国であるならば、三権は総て国民に由来するのであり、その意思を全く反映しない組織機構が権力の三分の一を行使する現状は、非常に問題である。だから、国民の司法参加が必要なのだ。国民の司法不信は、「こんなに酷い事件なのに何故死刑じゃないのか」といった、刑事訴訟の結果に対する感覚のズレから生じた部分が大であるが、世論に対して「法律はこうだから」としか発言しなかった政府、司法関係者は民主主義を無視している。国民が白というなら、黒と定めた法律を白に改正することが民主主義なのだ。司法の現場に国民が関わることで、時代に応じた国民感情が裁判に反映し、あるいは法改正や新たな立法に繋がることが期待される。

ところが、裁判員制度にはまた非常に問題が多い。平たく言えば不十分過ぎる。このままでは、国民が司法に参加し、主権者として重要な職責を果たすことは期待できない。が、裁判員が実質的に機能しなくても、結局、職業裁判官の手によって、事件はこれまで通りに処理される仕組みになっている。

国民感情からズレた判決を書く司法に対する不信は確実に存在するが、そんな国民に対する司法側からの不信のほうが、遥かに強いのではないか。アメリカ型陪審制度と比較すれば、日本の裁判員の権限の弱さと、義務の重さがよくわかる。形だけ「国民の司法参加」システムを作り、従来通りの司法の運営にお墨付きを与えることだけが目的なのではないか、と勘繰りたくなる。理念と現実を結びつけることができる必要十分な説明がなされていないからだ。

後期高齢者医療制度も、暫定税率も、年金の諸問題にしたって、制度の創設、改変、存続の必要性について、誰か責任ある立場の人間が噛み砕いた説明をしたか。構造改革ということばを金科玉条にした内閣があったが、その必要性、改革後の将来のビジョンについて、ただの一言の説明も無かった。

もし、伝統に則って国民を愚昧視しているのなら、国会議員も役人も、今すぐに職を辞せ。

中庸なき国

殺伐としたニュースが後を絶たない。加害者にいかほどの苦悩があったか知らないが、あまりに重大な結果はあまりに唐突に現れた感がある。

沖縄戦集団自決訴訟判決要旨を読むと、やはり唐突な、中間省略的な空気を感じる。以前のエントリでも書いたが、裁判というシステムの制約上、白黒をつけざるを得ないとはいえ、こんな問題を法廷に持ち出さなければならないというのは、歴史学の貧困に起因するとも言える。皇国史観が一夜で吹き飛び、怒涛のごとく押し寄せた唯物史観が雲霞のごとく空を暗くした時代、新旧両極端な思想的バイアスをもってひとつの事象を見たら、どうなるか。いずれにも与しない理性的、合理的な発想は、右からも左からも攻撃された。

判決は白黒をつけたが、本件について、なんらの解決をもたらすものではない。真実は(おそらく)白でも黒でもなく、濃い灰色のなかに白い点があったり、白い塊の中に黒っぽいしみがあったりするのだろう。

在宅時はもっぱら、音楽を流しているから、テレビの視聴時間がどんどん減っている。当然、観てはいないのだが、TBSがとんでない番組を流したらしい。会津若松市長が抗議文を発表した。

TBSが流したクイズ番組は、戊辰戦争最大の籠城戦である鶴ヶ城攻防戦について、会津藩が降伏したのは城内でし尿の処理ができなかったから、との珍説を正解にした、というのだ。2ヶ月の籠城の間、雨あられと襲いかかる砲弾の下ではし尿の運び出しなどできるはずもなく、城内に穴を掘って投棄した、といった話を、籠城経験者からの聞き書きなどで読んだ記憶がある。出題者はおそらく、そのへんの話を中途半端に聞きかじり、「正解」を作り上げたのだろう。

自分の目先にあるものだけですべてを決することができるほど、この世の中はシンプルではない。深く考えなくても目に飛び込んでくるようなことは、往々にして極論だ。

なおかつオーディオ機器を作る

・高速を使って1時間ちょっとで、母の病院に着く。先週末、およそ記憶にないくらい長々しいオペが終わったが、長かった分回復は遅いだろう。こちらに居られるのもあと数日。母が自分の具合よりも心配する猫の世話が気がかり。

・寒暖にかかわらず、気が向くと「話しかけてくる」猫どもとの日々も捨てがたい。ただ、一人でローカルな宗教的(土俗的?)行事をこなすのは、正直言って無理。例年は見るチャンスのない「彼岸獅子」を見れたから、これまたよしとする。

憧れの送信管アンプ(その6)

SV-2(2003)に付いている真空管は中国製。西側先進国で選別した特性の優れたものだというが、私の知る範囲では、これらよりも良いとされる球は無数にある。ただ、球を換える前に、現在の球をある程度こなれた状態にしなければならないだろう。必要程度のエージングが進み、球本来の音が出て、それが満足できないときに交換というチョイスが現実化する。そうじゃないと、最悪、音ではなくブランドを基準に大枚をはたくことにもなりかねない。

ただ、SV-2に使われている3種類の真空管のうち、初段とドライブ段の球は、付属品よりも良いと確信するものを既に持っている。キット屋さんから買っておいた松下製の12AX7、そして前任校のY先生に頂戴したKT88だ。およそ100時間の慣らし運転が終わった頃合を見て、まず12AX7を換えてみた。未使用品だから改めてエージングが必要だが、換えた直後から顕著な音の変化に驚く。あきらかに輪郭が鮮明になり、定位性が高まった。カメラのピントがスッと合うときのような感じで、音の「細部」まで明確に聞こえる。

これまでKT88を搭載し、当家の「メインアンプ」として活躍した初号機と並べてみる。TU-879Sはコストパフォーマンスも完成度も高い、非常に優れたアンプキットといえる。はんだ付けができて、真空管アンプを自作したい向きには、迷わずこれに挑戦することをお勧めする。だが、SV-2はふた桁くらい違う。十分に良い音を聞かせてくれるKT88の後に845というどでかい送信管が待ち構えているわけで、出で来る音の「密度」が圧倒的に違う。情報量が多いのだ。これまで聞こえなかった小さな音、気配まで再生される。けっして大音量で鳴らすわけではないが、非常に多くの情報が増幅されて出てくるのだ。あたかも、非常に精度の高いレンズ越しに美しい音を見ているような感じ、といえばいいだろうか。何気なく聴き流すことができない、ついつい引き込まれてしまう音なのだ。たっぷりとした厚み、幅をもった中低音はとてもシングルとは思えない。伸びやかな高音は、これが送信管の音、とでも言うべきもの。音はもちろん、姿もいい。トリタンフィラメントは、この光り方がまたいい。

数日後、ドライブ段のKT88をGoldLionに換えてみたが、こちらは変化を感じない。中国製が優秀なのか音質に与える影響が少ない部分なのか、わからないが、せっかくだからイギリス製を使うことする。
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春の帰省

15日の卒業式が終わるとすぐに甲府を離れ、会津に。前日まで汗を流した引越し後の整備もなんとか間に合い、研究室でゼミ生諸君と挨拶を交わすことができて、安堵の胸をなでおろしたが、同時刻に卒業式に出ている前任校の諸君とのコンタクトはいまいち。2週間前に会ったから、まぁ勘弁な。

昨年の今頃は転居の最中。でも今年は実家で猫の面倒を見る毎日。母親の具合はどうにか安定し、時間の許す限り猫とすごし、病人の心配事を減らしてやるのが任務。

帰った日にはまだ、日陰に随分な雪が残っていたが、消えたらすぐに福寿草が。今朝は黄色が見えはじめたと思ったら、午後にはきれいに咲いていた。

穏やかな日差しの下では、長い冬、室内で退屈しきっていた猫がのびのびと。雪囲いに使った木材の上で思いっきり伸びをするのは次女。

末っ子と四女にベッドを占領されてしまった。さて、どこで寝ようかな。

歴史は繰り返す?

$1 = \99
この水準を「バブル」と呼ばれた時代に見た記憶がある。まだユーロがなかった当時、10000円札は世界最高額の紙幣だった。土地神話が株価を押し上げ、バイト暮らしの学生でも結構な贅沢ができた。景気の拡大が急激過ぎたし、土地を巡って表向き法に従わなければならないゼネコンが、裏社会の力を借りて地上げを強行したり、社会のあちこちにひずみが生じたが、それでもある瞬間まで、国民の多くに経済的恩恵があった。企業の内部保留でほとんどすべての拡大分が消えてなくなった現下の景気拡大とは根本的に異なる。たしかこのころ、日銀が円売りドル買い介入で為替操作を行ったが、以来、一度も市場への介入を実施していないという。じゃあ、何をしているのだろうか。

ITバブルが崩壊したとき、株価の大幅下落が企業の含み益を吹き飛ばし、ただでさえ可処分所得の減少に苦しんでいた国民生活に、さらに冷や水をぶっかけた。でも日銀は何もしなかった。ゼロ金利では、金利引き下げというカンフルは打てない。

アメリカに発する株式市場の暴落が、全世界経済を飲み込んでからわずかに100年。第一次大戦後のベルサイユ体制が崩れ、ナチスの軍拡がヨーロッパを焦土にする、そのきっかけは「大恐慌」とよばれる。大恐慌の影響は、金解禁直後の日本から、貴重な金の大量流出という結果で終わるが、政府、中央銀行はとうとう効果的な対策を打ち出すことはなかった。

近代日本は、何度となく不景気を乗り越えた。ただ、一度も国家の政策で立ち直ったことはない。すべて「神の見えざる手」にすがって再起した。政府、日銀が「史上最長の景気拡大」と言い募る未曾有の不景気から立ち直る日は来るのだろうか。再起するだけの体力が、国民に残っているだろうか。毎朝、経済欄に目を通すたびに悲観的になっていくのは、私だけではあるまい。

功名とは

先週末、「中山研一先生を囲む会」に出席した。およそ1年前、「脱北」を電話でご報告した折り、先生は「バンザーイ!」と、本当に大きな声で叫んで下さった。

久しぶりに元気なお姿を拝し、かつて苦楽を共にした友人諸賢と再会し、更に会いたいと思い続けていた方々とも楽しい時間を過ごして、大いに浩然の気を養った。

よく油を売りに行ったセンターのN先生、Y先生、相変わらずお忙しそうですね。私の手元にある情報でお役に立つなら、いつでも提供します。Oさん、コーヒーご馳走様。すっかりスキルアップされたようで、いつかテクニカルな話題で盛り上がりたいものです。(今回連絡できなかった向きには心よりお詫びします。また行くからね。)



研究第一という有難いお姿を拝して心を入れ替えたわけではないが・・・。

専門の(ここを強調しないといけないのが悲しい・・・)法制史の講義で、時代劇の間違いを指摘するのはある種の常套手段だ。受講者の興味を喚起するには、わかりやすい例示が一番、ということで、例えば銭形の親分あたりにご登場いただくのだが、最初に指摘しなければならないのが、岡っ引が、実は非合法な存在だった、ということ。与力や同心が、捕まえた犯罪者の中から目端の効きそうなヤツに声をかけ、自分の手下として働かせる。現役犯罪者の知見を次の犯罪捜査に活かそうという発想だ。

明治に入ると奉行所から警察へとシステムが変わるが、江戸期の隠密廻同心を引き継いだような「探偵吏」というポストが設けられた。内偵や潜入捜査が専門で、民権運動弾圧のための囮捜査も行った。今日的な感覚ではかなりダーティーな仕事っぷりといえよう。この時代の警察を作った薩摩では、志布志事件によって古色蒼然たる警察機構の存在が明らかになったが、今度は福岡だ。

兄殺害に無罪判決 妹の告白「信用性ない」 福岡地裁支部

マスコミの報道からの印象だが、とにかく警察のやり方が胡散臭い。告白を聞いたとされる同房者が実はお奉行だったとか、その手下だったとかいうのなら有罪でも良かろうが、現代日本の刑事手続では、ちょっと認められそうもない手法だ。判決をみつけたら読んでみたい。

先日、志布志事件に関して鹿児島県警が表彰を返納するという記事を読んだ。まだ返していなかったのか、というのが正直な感想だ。「正義の実現」でも「真実の発見」でもなく、「認知した事件の処置」すなわち「未決案件を増やさないこと」が表彰の対象なのだろうか。制服を着る職業は、100の仕事を100こなして始めて当然と看做される。99では不足なのだ。事務上の功名をもらおうなどと思うなら、今すぐ制服を脱げ。

慶事 再び

四月の半ば、金沢からOG会の面々が甲府に訪ねて来ることになっている。かつては月に一度は会食していた連中と、年に一、二度会うか会わないかになってしまい、なんとも所在なくアンプばかり作っていたが、初の集団による甲府来襲となった。どうやってもてなすか、今から楽しみだ。

が、そのメンバーの一人、M夫人から『急遽不参加』というメールが来た。理由は、大慶事だ。

「『おじいちゃん、お小遣いちょうだい』って言わせます」

目出度いから何でも可。特段の慈悲により赦して取らす。
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