政治力学

教科書問題が囂しい。

集団自決という史上稀に見る悲劇が軍の指示によるものか否か、私には即断するだけの材料がないが、戦陣訓を刷り込まれた職業軍人とは違う民間人が、集団心理の作用があったとしても、「集団で」自ら命を絶つという決断をなし得たか。

対する軍、特に陸軍は、他国には見られない特殊な世界観を持っていた。近代戦争では、兵力の1/3が失われると「全滅」と呼ばれる。前線で戦闘に加わる兵力は、全軍の1/3が通例で、他の2/3は兵站、通信、医療などの後方支援部隊を構成する。それくらい後方がいないと、実際に戦闘を継続することはできない。ところが日本軍は、烹炊兵も衛生兵も残らず倒れて「玉砕」と称した。この発想に照らせば、「軍に協力し行動をともにした民間人」の運命はについては、多言を要しないであろう。

ただ、この論法を採ると、「軍」という組織は見事に一体性を保ち、人間性のかけらもない集団ということになる。まさか、一線で兵や民間人と接していた尉官、佐官クラスに人格者がひとりもいなかった、ということはなかろう。現実に沖縄戦で、自殺しようとする民間人を少しでも安全な場所に逃がそうとした指揮官が存在したことが知られている。極限状態まで追い詰められた人間の行動を、白か黒かのいずれか一方に決めようというのが間違っている。

さて、このエントリの主題は、軍事史研究者としての私の見解を表明することではない。

いま問題になっている教科書の検定結果が発表されたのは今年の3月。夏前には沖縄で反対の声が巻き起こり、時の安倍首相も6月の「慰霊の日」に、沖縄で記者の質問に答えている。

それがここにきて、俄に記述の見直しに進みそうな雲行きになった。そこには史実を発見しようという学問的視座はなく、徹頭徹尾悪の軍、検定で心情を傷つけられた沖縄の人々というシンプルな書き割りの舞台で、次の選挙を心配する政府与党の姿がセリ上がってきただけである。

セリを上げた野党、民主党は、まだ板の上に出姿を見せない。板に出て最初の見得で、屋号を連呼してもらえるか、「ダイコン!」と罵られるか。それによって彼らが名代になれるか名代下のまま終わるかが別れるような気がする。

今の二枚目に匹敵する名代が次に控えるような二大政党制なら、いい世の中になるのだが。

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