功名とは

先週末、「中山研一先生を囲む会」に出席した。およそ1年前、「脱北」を電話でご報告した折り、先生は「バンザーイ!」と、本当に大きな声で叫んで下さった。

久しぶりに元気なお姿を拝し、かつて苦楽を共にした友人諸賢と再会し、更に会いたいと思い続けていた方々とも楽しい時間を過ごして、大いに浩然の気を養った。

よく油を売りに行ったセンターのN先生、Y先生、相変わらずお忙しそうですね。私の手元にある情報でお役に立つなら、いつでも提供します。Oさん、コーヒーご馳走様。すっかりスキルアップされたようで、いつかテクニカルな話題で盛り上がりたいものです。(今回連絡できなかった向きには心よりお詫びします。また行くからね。)



研究第一という有難いお姿を拝して心を入れ替えたわけではないが・・・。

専門の(ここを強調しないといけないのが悲しい・・・)法制史の講義で、時代劇の間違いを指摘するのはある種の常套手段だ。受講者の興味を喚起するには、わかりやすい例示が一番、ということで、例えば銭形の親分あたりにご登場いただくのだが、最初に指摘しなければならないのが、岡っ引が、実は非合法な存在だった、ということ。与力や同心が、捕まえた犯罪者の中から目端の効きそうなヤツに声をかけ、自分の手下として働かせる。現役犯罪者の知見を次の犯罪捜査に活かそうという発想だ。

明治に入ると奉行所から警察へとシステムが変わるが、江戸期の隠密廻同心を引き継いだような「探偵吏」というポストが設けられた。内偵や潜入捜査が専門で、民権運動弾圧のための囮捜査も行った。今日的な感覚ではかなりダーティーな仕事っぷりといえよう。この時代の警察を作った薩摩では、志布志事件によって古色蒼然たる警察機構の存在が明らかになったが、今度は福岡だ。

兄殺害に無罪判決 妹の告白「信用性ない」 福岡地裁支部

マスコミの報道からの印象だが、とにかく警察のやり方が胡散臭い。告白を聞いたとされる同房者が実はお奉行だったとか、その手下だったとかいうのなら有罪でも良かろうが、現代日本の刑事手続では、ちょっと認められそうもない手法だ。判決をみつけたら読んでみたい。

先日、志布志事件に関して鹿児島県警が表彰を返納するという記事を読んだ。まだ返していなかったのか、というのが正直な感想だ。「正義の実現」でも「真実の発見」でもなく、「認知した事件の処置」すなわち「未決案件を増やさないこと」が表彰の対象なのだろうか。制服を着る職業は、100の仕事を100こなして始めて当然と看做される。99では不足なのだ。事務上の功名をもらおうなどと思うなら、今すぐ制服を脱げ。

小さな違憲判決

税法の遡及適用は違憲、福岡地裁が住宅売却損の控除認める

税法の遡及適用は違憲、福岡地裁が住宅売却損の控除認める(読売新聞) - Yahoo!ニュース

この改正については全く記憶がない。ノーケアで上記記事のみがソースだが、第一印象として、不利益を遡及させちゃダメだろ、という感じだ。ガソリン暫定税率でにわかに脚光を浴びている(?)租税特別措置法だが、
「法改正要旨が報道されたのは遡及適用のわずか2週間前。国民に周知されていたといえない」
とあるように、通則法の定める20日という周知期間もないようだ。ここで、この改正法の経緯を調べることはできないが、当該改正法は16年3月31日法律14号と思われるから、多分、国会の期末ギリギリに成立して即日施行となったものだろう。これではダメだ。

法学の講義のネタにはちょうど良いが、当事者にとってはこんな不幸はない。人の不幸をめしの種にするような、そんな人間にはなりたくないから、私もせめて「違憲」説を基本に据えよう

法理と心情の狭間で

ハードル高い危険運転致死傷罪(毎日新聞) Yahoo!ニュース

取り敢えず目についた記事を引用したが、なんともコメントし難い判決になった。昨年、裁判所が訴因として業務上過失致死傷の追加を促した時点で判決は決まっていたとはいえ、いざ業過で7年半が出てみるとやりきれない気分がする。

焦点の危険運転致死傷罪は、以下のように定める。
第二百八条の二  アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2  人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

判決では、「正常な運転が困難な状態」という要件を厳格に適用した結果、この条文ではなく、業務上過失致死傷($211)で有罪となったわけだが、やはりこの条文の構成に無理があると言わざるをえない。悪質な交通死亡事故の多発と、量刑の軽い法体系に対する強い批判を受けて追加された条文であるから、検察が同条で起訴した場合、裁判所が認めないというケースは少ないようだが、被害の大きさと、事故発生後に被告人の採った盗人猛々しい行動とで世間の耳目を集めた本件において、危険運転罪が適用できなかったという事実は重い。上級審の判断も見たいと思うが、早晩、同条の改正論議が沸き上がるだろう。

感情に走り、単に重罰化を押し進めても、悪質な飲酒事故がなくなることはないだろう。他の罪種との刑の均衡を損ねるようなことになると、また別の問題が生じる。とはいえ、市民の素朴な処罰感情に適わない法律が堂々と存在することは、法に対する市民の信頼を著しく損なう。裁判員制度実施を目前にして、立法、司法双方の責任は嫌が上にも重い。

気になっていた判決

二週間ちょっと前、久し振りに金沢に里帰りし、古巣の吹奏楽部で棒を振った。二日間指導して、甲府に帰り着いたら、恐らく最前列のあいつあたりから貰ったウィルスが悪さを始めて、以来ずっと喉痛、発熱を繰り返した。当然、ただでさえ脆いガラスの勤労意欲は粉々。あいつには、音符3割増くらいの礼をしてやろう。

熱で動きが悪かったあいだ、ボツネタで気になる判決を紹介していた。これだけではさっぱり分からず、判例を調べに行く気力もなく、延び延びになっていたのだが、たまたま親族法の先生に「こんな判決ご存じですか」と質問したところ、ご親切に、家裁月報と民商法雑誌のコピーを届けて下さり、解説までして頂けた。

親が亡くなり、たった一人の相続人は、借金取りから逃れるため、相続を放棄した。ところが清算が終わったところ、財産が残ったので、特別縁故者としてこれを取得した。という事例。相続人は放棄することにより、限定承認した場合の、そりゃあ面倒くさい手続きをパスし、コストを負担することなく財産の取得が出来てしまったというのだ。

原審の判断が分からないが、禁反言か、特別縁故者の範囲を限定的に解釈したか、どちらかだろう。それを高裁がひっくり返し、他に相続人や特別縁故者がいなかったため、そのまま確定した。

一旦相続を放棄したものが、後から別な名目で手をあげるのは、なんとなく釈然としないし、特別縁故者は、相続人がいない場合、被相続人との関係において、財産を受けるにふさわしいもの、例えば内妻、未認知の子、被相続人の最後を世話した家政婦などが考えられる。そもそも第一順位の法廷相続人だったものが、これにあたるのか、と素朴に考えてしまう。

だが、この相続人は、どうやら限定承認の手間を惜しみ、負担を相続財産管理人に押し付け、利益だけをもぎ取ろうという悪辣な発想から放棄したものではなさそうだ。被相続人の死後、借金取りが現れたことが決定書からわかる。想像の域を出ないが、借金取りが、脅迫的言辞を用い、頻回相続財産からの弁済を要求したら、平たく言えば、その筋っぽい借金取りが相続人に、「親の借金を返せ」と、たびたび脅した、というような場合だったら、どうだろうか。

専ら借金取りの脅迫的取り立てから逃れるためで、限定承認を回避するという脱法行為を企んだものではなく、他の相続人はなく、他人であれば特別縁故者となるような、被相続人との関係のある唯一の人物が、相続放棄と特別縁故者としての財産取得を行ったとしたら、禁反言でこれを排斥するより、高裁決定のように申立を認めるほうが、遥かに血が通ったものとは言えないだろうか。

何十年かぶりに民事系の判例と評釈を読んで、こんなふうに考えた。

昨夜から会津に戻っています。Type-Uの極小モニターで書いているので、いつも以上に誤変換があるかも、です。

珍しい裁判

法学の講義で、裁判官の身分に関する「裁判」といった場合、「弾劾裁判」の説明をする。具体的な事例に触れつつ裁判官の身分保障が厚いことを述べ、司法権の独立の歴史へと話しを進めると、一、二回分の講義時間では足りなくなることもよくある。
 

だが、弾劾手続きによる資格剥奪には至らない、免官、懲戒手続の説明は、ほとんどしない、というか、恐らく一度か二度、言葉を説明したことがあるかないか、といったところだろう。この手続、「分限裁判」といい、裁判官分限法という法律に定められている。
 

読売にこんな記事が出ていた。

宇都宮地裁所長が所属裁判官審尋で質問、懲戒要求の動き
 

記事によると、

問題となったのは、同県日光市のホテルの破産事件で、今年2月21日に地裁で開かれた審尋。県弁護士会が出席した弁護士に聞いたところ、裁判官3人の合議体で行われた審尋に、園尾所長も「書記官の補助者」として出席し、裁判長の許可を得て債務者の資産などを質問したという。

 

平賀書簡事件のように、結論に関わる発言を行ったのかどうかは判然としないが、所属長である裁判所の長が担当でもないのに同席していたら、本来の判事はどう感じたのだろうか。
 

当該所長は

本件の破産事件が珍しいので、個人的な研究心から立ち会った

とコメントしたようだが、やはり李下に冠を正してはいけない。
 

この事件、珍しい裁判に発展する可能性があり、高裁の判断が待たれるが、裁判官分限法に定める懲戒は、「戒告又は一万円以下の過料」である。「刑罰の目的」とはなんなのか、余計な方向に思考が曲っていきそうだ。

二分残ったのだろうか

イザの記事によると、「村八分」を受けた住民が地区長らを相手取って訴えた裁判の控訴審で、一審に続き住民側が勝訴した。

判決によると、原告らは平成16年、集落で計画されていた「イワナつかみ取り大会」に、多忙などを理由に不参加を表明。地区長らは「集落のすべての権利を放棄し、脱退したものとする」と通告。ごみ集積場の使用や山菜採取のための入山を禁止するなどした。
というが、その地域に居住する限り、「集落から脱退」するなどということが現実的に可能かどうか、考えるまでもなさそうだ。
地区長側は「集落の政策をめぐる対立から11世帯が脱退したもので、村八分のように一方的に絶交の通告をしたわけではない」と主張していた。
が、判決は、
「村八分と呼ぶかどうかにかかわらず違法」
との判断を示した。極めて妥当な判決である。

ここで、私としては「二分」が残ったかどうかが非常に気になる。もしも残っていなかったのなら、「村八分」よりも悪質な行為と評価せざるを得ない。

政治力学

教科書問題が囂しい。

集団自決という史上稀に見る悲劇が軍の指示によるものか否か、私には即断するだけの材料がないが、戦陣訓を刷り込まれた職業軍人とは違う民間人が、集団心理の作用があったとしても、「集団で」自ら命を絶つという決断をなし得たか。

対する軍、特に陸軍は、他国には見られない特殊な世界観を持っていた。近代戦争では、兵力の1/3が失われると「全滅」と呼ばれる。前線で戦闘に加わる兵力は、全軍の1/3が通例で、他の2/3は兵站、通信、医療などの後方支援部隊を構成する。それくらい後方がいないと、実際に戦闘を継続することはできない。ところが日本軍は、烹炊兵も衛生兵も残らず倒れて「玉砕」と称した。この発想に照らせば、「軍に協力し行動をともにした民間人」の運命はについては、多言を要しないであろう。

ただ、この論法を採ると、「軍」という組織は見事に一体性を保ち、人間性のかけらもない集団ということになる。まさか、一線で兵や民間人と接していた尉官、佐官クラスに人格者がひとりもいなかった、ということはなかろう。現実に沖縄戦で、自殺しようとする民間人を少しでも安全な場所に逃がそうとした指揮官が存在したことが知られている。極限状態まで追い詰められた人間の行動を、白か黒かのいずれか一方に決めようというのが間違っている。

さて、このエントリの主題は、軍事史研究者としての私の見解を表明することではない。

いま問題になっている教科書の検定結果が発表されたのは今年の3月。夏前には沖縄で反対の声が巻き起こり、時の安倍首相も6月の「慰霊の日」に、沖縄で記者の質問に答えている。

それがここにきて、俄に記述の見直しに進みそうな雲行きになった。そこには史実を発見しようという学問的視座はなく、徹頭徹尾悪の軍、検定で心情を傷つけられた沖縄の人々というシンプルな書き割りの舞台で、次の選挙を心配する政府与党の姿がセリ上がってきただけである。

セリを上げた野党、民主党は、まだ板の上に出姿を見せない。板に出て最初の見得で、屋号を連呼してもらえるか、「ダイコン!」と罵られるか。それによって彼らが名代になれるか名代下のまま終わるかが別れるような気がする。

今の二枚目に匹敵する名代が次に控えるような二大政党制なら、いい世の中になるのだが。

因果関係の中断

izaで、珍しい事故の記事を読んだ。

交通事故が発生し、被害者が8時間後に死亡したという痛ましい事例であり、亡くなられた方のご冥福を祈りたいと思う。たがこの事故、あまり一般的ではない経過を辿ったようだ。

事故の被害者が加害者に対し、警察、消防に連絡しないよう強く求めたため、加害者は被害者を自宅に送り届け、その後110番通報した。

 主婦を車ではねた同府交野市の女性店員(28)は主婦を自宅に送った後、110番通報したが、枚方署は事故の状況から緊急性はないと判断、主婦と接触していなかった。
 調べでは、主婦は26日午前8時ごろ、店員の乗用車にはねられた。主婦が「警察と消防には連絡しないで」と強く拒んだため店員は主婦を自宅に送り、同署に届け出た。
 ところが同日午後7時半ごろ、主婦の夫(58)が帰宅し、主婦が死亡しているのを発見。司法解剖の結果、事故が原因の骨盤骨折による出血性ショックのため、事故の約8時間後に死亡していたことが判明した。

交通事故の主婦が放置され死亡 救急搬送拒んだが…-事件ですニュース:イザ!


警察が被害者と接触していれば最悪の事態は避けられたのではないか、という議論は当然成り立つだろうが、
事故が原因の骨盤骨折による出血性ショック
という症状について、事故直後に適切な治療を受ければ、死亡という最悪の結果を避けることができたかどうか、専門家の意見を聞きたいと思う。被害者自身が治療を受けないという選択をしたため死の転機を迎えた、とすると、昔、刑法の教科書で読んだ、およそ有り得ない説例そのものになる。

法廷で何があったのか

神戸新聞のWEB NEWSに短い記事が載った。
 公判中の法廷で、証人に暴行、威圧的な発言をしたとして、明石署は二十七日までに、証人威迫と暴行の疑いで、東大阪市、無職の女(46)=同罪で起訴済み=と、大阪市生野区、無職の男(53)を逮捕した。

 調べでは、今年三月十四日、神戸地裁明石支部で、公務執行妨害事件の被告となった女の息子(22)の公判があった。二人はその際、傍聴席から柵の内側に入り、証言していた共犯の男性(32)=神戸刑務所に服役中=に威圧的な発言をした上、男性の肩をつかんで引っ張るなどした疑い。

 女は「息子に対する不利な証言をやめさせようと思った」と供述しているという。

神戸地裁明石支部で何があったんだろうか。傍聴人が声をあげ、裁判長の静止を聞かず退廷させられる、といったケースはまま見られるが、法廷内での犯罪行為はあまり記憶にない。

詳しいことが分かったら教えて下さい>兵庫県在住の諸賢

驚きの判決

学部に入って以来、「えっ?」と思う判決を読んだことも度々あるが、これは出色の出来だと思う。

国旗国家に関する都教委通達を違憲とする東京地裁判決のことだが、ネット版の新聞をあれこれ見て回って、一番詳しかったのが毎日(Yahoo!ニュース)だった。私個人の思想的スタンスはひとまず置くとして、記事に紹介された判決で一番問題なのはこの部分。
判決はまず、日の丸、君が代について「第二次大戦までの間、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と指摘。
まず前段。
第二次大戦までの間、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ
これも意見の分かれるところだが、事実には違いない。ただそれを言うと、「日本」という国号も争点になりゃしないか?。いやいや、問題はその次。
現在も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない
これはダメだ。野党の強烈な反対を押し切って成立した事実はあるにしても、「国旗国歌法」の制定法たるの効力に、価値中立性などという、法が一般に予定しない具体性を欠く要件を求めるに等しい。こんな要件を付してしまったら、仮に国旗と国歌を作り直したとしても、未来永劫、中立などという状態には至らず、永遠に違憲状態が続くことになろう。国旗国歌法の成立前ならまだしも、いまこの論法は使えない。

判決全文を入手できないから、事実関係の争いがどう判断されたのか判然としないが、この一事をもって、飛越上告することも考えられるのではないか。

追記:朝、新聞でもう少し詳しい要旨を読んで頭が痛くなった。もはや論評できない判決。
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