信時潔作品集成

週末に、このディスクが届いた。

ここ数年、その作風に惚れ込んでいる信時作品の集大成とも言うべきセット。一年前に発売されたのは知っていたが、機会がなく入手できないでいた。ところが夏前、信時翁のお孫さんの手で『海道東征』のスコアが少部数頒布された。オケスコアと合唱用コンデンススコアを縮小コピーして簡易製本したものだが、コンデンススコアには翁のものと思われる書き込みもいくつか見られるという、愛好家垂涎の資料だ。この楽譜を入手したことが、今回のCD購入に繋がった。

唱歌、声楽曲、器楽曲、そして交声曲『海道東征』まで、SPからの覆刻音源が納められたシリーズは、まず音の良さに驚く。デジタル処理は施していないらしいが、だとすると見事な再生技術だ。原盤の状態からノイズの目立つ曲もあるが、総じて、記録された音域の狭さから来る「時代感」とでもいう雰囲気を湛えつつ、およそ考えられる最良の音質で、日本における西洋音楽黎明期の息づかいを伝える。

直熱三極管シングルアンプに10センチフルレンジスピーカーで鳴らすと、おそらくは信時翁も聴いたであろう電蓄の音が私の部屋にあふれる。至福のひとときである。

このセットに収められた『慶應義塾塾歌』は、何度聴いても鳥肌の立つ様な感動を覚える。ワグネルソサイティ合唱団と藤山一郎の独唱、コロムビア管弦楽団の演奏で、昭和15年の年の瀬に録音され、16年1月に頒布された。この塾歌の公式な初演は昭和16年の福沢先生誕生日であり、レコードは初演にあわせて配布されたものであろう。録音からは、念願だった新塾歌を得た先輩方の感動が伝わってくる。現在入手できるワグネルオケ、男声、女声合唱団による録音に比べれば、技術的にも音響的にも遙かに劣るが、楽曲に込められた熱情は、比較にならない。

お近くの方はどうぞ、聴きにおいで下さい。


SP音源復刻盤 信時潔作品集成

SP音源復刻盤 信時潔作品集成

日本伝統文化振興財団

北京の君が代

迂闊であった。

毎年のご奉公の日程が決まるのは年度が変わるより前のこと。常宿は、「ボランティア秘書」のSさんが予約開始日にサクッと取って下さるので、稼働率9割超という人気ホテルに安楽に泊まれる(毎年毎年ありがとうございますです)。チェックイン日が決まるのだから、その日に上京用の指定席を取ればいいのだが、例年、直前でも難なく席が取れていたので、今年も何も考えていなかった。そしてつい数日前、今年の移動日がUターンのピークと重なりそうだと気付いた。時既に遅かった。

結論からいえば、磐越西線も新幹線も見事に座れたが、乗れる電車を待つために一時間以上ロスしている。もしも順調に進んでいたら、例えば宿に入る前に秋葉に寄るとか、好きなことができたのに・・・。

今日は宿で、さっと明日の用意をして休むことにしよう。明日から「ご奉公」だ。


出かける直前まで、実家で母とオリンピック中継を観ていた。母は大昔、バレーボールの経験があり、地元の競技団体の役員もしていたくらいだから、バレーの中継は最優先で観ている。で、怒っている。

私は、スポーツは全然やらず専ら音楽だったので、日本選手の活躍に一喜一憂するという、(多分)平均的日本人の見方をしていると思う。ところが先日、何かの種目で表彰式で、あまり大きな音ではなかったが北京バージョンの「君が代」が聞こえてきた。かつては表彰式の時間短縮のため無茶苦茶なカットが施されたりしたこともあったが、今回は問題なさそうだ。と思った矢先、「えっ」という、狐につままれたような気分に陥った。6小節の1拍目、3拍目に銅鑼が入っているではないか。

6小節の1拍目は「さざれ石の」の「い」の音で、標準の管弦楽アレンジでは、5小節3拍目からのバスドラム、スネアドラムのロールがクレッシェンドし、最大音量に達する点。そこに銅鑼の音が重なると演奏効果は抜群だが、非常に中華風に聞こえてしまう。評価に苦しむ編曲だ。エッケルト以来伝統の和声も若干手が入って、とても「今様」。アメリカ、ドイツの国歌も聞いたが、達者な「今様」の編曲で面白いと感じるが、果たしてアメリカ人、ドイツ人がどう評価しているのか、興味のあるところだ。

定期演奏会

みぞれの降る寒い土曜の夜、金沢のとある小さなホールで指揮棒を振りました。3月まで、まさに苦楽を共にした前任大学吹奏楽部の定期演奏会に客演指揮者として呼ばれたのです。

プログラムの紹介欄にはこんな文句が。
本吹奏楽部の演奏会で使用するクラシック楽曲は殆どが氏の編曲によるもので、一切の妥協なき「真っ黒な楽譜」は歴代部員を震撼させてきた。
なかなかセンスのいいフレーズ、気に入りました。で、今年演奏したのは、こんな曲。

    1.『椿姫』より序奏と乾杯の歌
    2.Canon
    3.主よ、人の望みの喜びよ
    4.海ゆかば
    5.Clarinet Candy
    6.謝肉祭序曲

1.4.6.がオリジナルアレンジ。1.と6.は特に黒くて波打った楽譜です。

このプログラム、最初は3月に初演した「謝肉祭」だけが決まっていました。アシスタントコンダクターを務める弟子と相談した時に、「お祭り騒ぎ」という「隠しテーマ」が浮かび、オープニングには以前に編曲した『椿姫』、そして「騒ぎ」と「祈り」の意味を込められる曲が選ばれました。「海ゆかば」は夏休みに書き下ろしましたが、散々迷ったあげく、ラッパ譜「海ゆかば」を舞台袖で効果音的に鳴らし、信時の「海ゆかば」を小さな重奏とTuttiと、二度演奏することにしました。

でもこれだけでは楽譜の黒さが足りないと考え、アンサンブル用に、モーツァルトの「グランパルティータ」から楽章を一つ、アレンジして突き付け、「震撼させる」という初期の目的を達成できたと思います。

技術的には「全然」、「全く」というレベルですが、常任の指導者がいなくなったハンデを背負って、それでもハイレベルな演奏会を目指したメンバー達を評価します。もう彼らと音楽をする機会もないのか、と思うと、一抹の淋しさを禁じ得ません。

音楽との接し方

夏頃からこんな雑誌こんな雑誌を定期購読している。今から30年以上前、『初歩のラジオ』という、「これが初歩だったら応用は一体どこまで行っちまうんだ!」ってくらいハイレベルな記事が山盛りの雑誌を読んでいた。勿論理解などできる筈もなく、たまに本当に初歩向けの製作記事の通りに何か作ろうとして、ほとんど失敗するような、今から思えば、将来文系に進むことを予感させる少年時代を過ごした。

でも『初歩のラジオ』を読んで、HiFiオーディオという存在を知り、お年玉を貯めて、ケンクラフト(現在のケンウッド)のプリアンプキットを買った。結局プロの手を借りたが、完成したアンプは何年も私の勉強部屋の一角に座を占めていた。

高校、大学と文系に進み、演奏と鑑賞を趣味の両輪とする放蕩な生活を続けたが、自作オーディオに戻ることはなかった。財力が問題だった。大学専任者になるとまもなくPCの自作を始め、実用性を重視しつつ「作る」楽しみを味わう生活に落ち着いた。音楽は、MIDIと編曲、手兵の吹奏楽部を指揮してのオリジナルアレンジ作品自演という、音大も出ていない素人では普通できないような贅沢が可能であり、毎年、寒い季節になると棒を持って部室に出入りしていた。

音楽活動環境(と友人関係、食べ物等々)には恵まれた金沢生活が終わり、知り人ひとりいない甲府に移ると、「趣味」の質的低下は決定的となった。その上、父を亡くし、精神的に疲れ切った夏の始め、何かのはずみに、『初歩のラジオ』を読みふけっていたころの憧れを思い出した。

真空管アンプ

トランジスタやIC、LSIが出現する基礎となった真空管による増幅技術は、ラジオ、テレビ、初期のコンピュータを世に送ったが、先進国では真空管の生産などとっくに終わっていた。だが、『初歩のラジオ』で読んだ高圧、高温のガラス製部品を使ったアンプは、色褪せるどころか、手の届く現実として蘇った。主としてPCを目的に歩き回ることの多かった秋葉原に、そういった機器を扱う小店が沢山ある(あった)ことは分かっている。まだ雑誌も何点か発行されている。ネットのおかげで、キットの購入などいとも簡単だ。そう思ったら矢も楯もたまらず、一台のアンプキットを注文していた。
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利権

カテゴリを音楽にするか、法律系にするか考えた末、やっぱり不得手な分野に足を踏み入れる危険を回避することにした。

スラドと並んで私の巡回先のひとつ、GIGAZINEに、すごくイヤな記事を見つけた(ネタもとはこちら)。

思い切り要約すると、イギリス施設でチャリティーイベントを開き、子供たちが賛美歌を唄っていたところ、イギリス演奏家協会から使用料を請求されたとか。かの地でも、さすがに怒りの声が上がっているようだ。どうやら他人の音楽著作物は、人前では聴いてはいけないようだし、著作者か隣接権者以外は演奏などもってのほか、というふうに読める。

日本では「交差点で鼻歌をうたっていたらJA○○○○に金を取られる」というジョークがあるが、イギリスではこれがジョークでは済まないのかもしれない。

音楽に限らず、文化的作品を創作する者に、その創作物から得られる経済的利益を保障することは当然であろう。その課程で、その創作物にまつわる権利、というかそこから生ずる利益を他者に掠め盗られないよう、ガードするのも仕方ない。だからといって、子供たちのチャリティーの利益を持って行くのはいかがなものか。子供の歌の「売上」ということなのか、裏で流していたラジオが客寄せになったとでもいうのか。

いうまでもなく、著作者の権利を侵害するつもりはない。が、文化庁の天下り先に法外な「使用料」を払ってやる義理もない。だから前任大学の吹奏楽部では、可能な限り、オリジナルに編曲を書き下ろし、あの団体への上納金を圧縮してきた。今年も新しい書き下ろしを含め、4曲、私のオリジナルを演奏する。うち、著作権が生きているのは「海ゆかば」だけ。あの団体も、ヤクザなカラオケ屋と渡り合って、決死の覚悟でカラオケの著作権料を徴収していた頃はよかったのだが。

人の褌で相撲をとるのは、洋の東西を問わず嫌われるというお話。

DTM

パソコンで「サウンド」なんて絶対に有り得なかった時代のPC98。それでも標準で付いていたビープ音で、非常に音程の悪い「音楽もどき」を鳴らして遊んだことがあった。やがて外部音源を買い、使い勝手の悪い「シーケンサ」で楽譜データを一音一音入力し、何ヶ月もかかって5分ほどの序曲を作ったのは、何時のことだっただろうか。遠い昔のようだが、金沢時代であることは間違いないから、最大でも14年前。

スラッシュドットによると、こんな商品が発売されるらしい。半年とか一年とか、雑誌を買い続けて始めて何か完成するという、よくCMで見かける「売り方」の最新版は、何と音楽ソフトの切り売りらしい。

上の頁では、既に試算がアップされているが、付いてくるソフトを単体で買った方が安そうだ。それに、折角のソフトを一年近く、フルスペックで動作させられないというのは、私には耐えられない。問題の音楽ソフトはSSWという、今日の同種ソフトの中では最も元気のいい、というか対抗馬が次々と消えて行く中で孤塁を守っているシーケンサの定番。

音楽作成ソフトは「シーケンサ」と「ノテータ」に大別できるが、SSWは主として前者。音のパラメータをいじって音楽作りが楽しめる。PCのスペックが上がって来たので、ソフトウェア音源でも十分に使い物になるから、高価な外部音源なしでもそれなりにいける。が、なんで今ごろこんなソフトが、という疑問は禁じ得ない。

MIDIという、PCと音楽と両方できて始めて楽しめる規格は、もうすっかり廃れてしまって、SSW以外のソフトも、外部音源も、軒並み廃版だ。何故、今になって、と思い、スラドをよく読んだら、「初音ミク」効果にぶつかった。YAMAHAが、XG規格の後釜(?)として世に送ったVOCALOIDは、出来の悪い合成音声に高低を付けるだけ、というレベルを脱し、人が唄うような波形データを作ることが可能になった。最近社会現象化した「初音ミク」は、その成功例だ。昨今のシーケンサなら、VOCALOIDを組み込んで、唄わせることができる。

でも、この雑誌の企画が「初音ミク」狙いだったとしたら、大きな問題がある。SSWとVOCALOIDは相性が良くないのだ。というか、そもそもSSWはVOCALOIDの組み込みなんか想定していないから、どうしても無理がある。

この雑誌連載型物品販売というビジネスモデルは、いつ見ても、「全巻講読して付録を完成させた人は、何人くらいいるのだろうか」と疑問になる。こんな買い方は、待つことが苦手な私には、絶対無理だ。

ちなみに私の音楽データ作成環境は、
シーケンサ:Recomposer for Windows 95(既に開発の終った消えゆくソフト)
ノテータ:Finale2007 (毎年バージョンが上がる高級ソフトだが、2007は非常に出来が悪い(と思う))
外部音源:YAMAHA MU90, MU500
外部キーボード、WIND MIDI Controller etc.
レコンポで音楽的なデータを作り、フィナーレで楽譜化するというパターンが一般的。15日の前任校吹奏楽部定期演奏会でも、この組み合わせで作った楽譜が部員たちを苦しめることになっている。

フィナーレならVOCALOIDも使えるので、クラシック向けの音声パターンが出たら、声楽の大曲を打ち込んでみるのも楽しそうだ。その時は是非、「海道東征」をパソコンで演奏させてみたい。楽譜持ってるし・・・。

ここにきて宣伝

この季節にしては嘘のように良い天気の土曜の朝です。

またしてもこのブログ、長期放置をしてしまいました。放置期間中、舞い上がるくらいいいことも、爪が掌に食い込むくらいイヤなこともありましたが、放置の最大の理由は、一年で最大の音楽活動『北陸大学吹奏楽部定期演奏会』の準備にかかっていたことです。今年も、弟子に1曲書かせた他は私のアレンジで、「20世紀のクラシック」というテーマのステージに臨みます。ステージ衣装の吊るし皺をとったら、そろそろ出掛けます。

で、今さらですが
本学吹奏楽部第13回定期演奏会は、金沢市文教会館にて、本日午後5時開場、午後5時半開演です。近隣の皆様、御用と御急ぎでない方は勿論、御用と御急ぎの方も万障御繰り合わせの上、御来臨賜りたく、謹んでご案内申し上げます。

なお、会場受付にて、私の招待客だと仰しゃって下されば、チケットをさしあげるよう指示してあります(←書いていいのか、こんなこと)。

オフラインの苦情、メール、コメント、秘密ちゃんにレスがつかなくて御怒りの諸賢、もう少しだけお待ち下さい。

今年の音楽活動

9月の下旬から今日まで、吹奏楽部定期演奏会用の編曲にかかりきりでした。今年のメインは、ガーシュウィンの『Catfish Row』組曲。オペラ『Porgy & Bess』からの抜粋ですが、これまで専ら19世紀以前の作品を扱っていた私の知識と経験では、とんでもない難物だと気づいた時にはもう泥沼。原譜どおりに音を鳴らすと、どう考えても気持ち悪い不協和音。でもジャズの要素を大胆に取り入れたこの作品だから、私程度の和声学的知識では理解不能の音が出て来てもおかしくないし・・・。何回ディスクを聞いても全く和音を聴き取れないという現実に、もう引退を考える時期が来たかと悩んだり。

手兵の技量も考え、かなり大胆なカットを施し、それでも必死の聴音で取った副旋律を書き込んだりで、予定より四日遅れで楽譜を脱稿しました。3.2GHzのCPUに1GBのメモリーを積んだ自宅マシンに、愛用の音源、MU500と鍵盤を直結し、20日以上、楽譜ソフトFimale2006だけを起動し続けて、ようやく完成した楽譜を部員に手渡しました。もう活字を読む元気もないので、明日から練習に出向くまでの数日だけ、休養します。

岩城宏之氏逝去

現代日本を代表する指揮者の一人、岩城宏之氏が亡くなった。

月に一度以上のコンサート通いが当たり前だった私の学生時代、綺羅星の如き外国人指揮者のステージに引けを取らない、円熟した音楽を聴かせてくれた戦中派の大指揮者たちがいた。森正(1921-1987)、渡邉暁雄(1919-1990)、山田一雄(1912-1991)、そして朝比奈隆(1908-2001)・・・。彼らが鬼籍に入り、後に続く世代の小澤征爾(1935-)、若杉弘(1935-)らとともに、日本のクラシック音楽を世界水準に引き上げた偉大な巨匠の訃報に、しばし言葉を失った。

当地、金沢に赴任したころ、我が国初の本格的室内管弦楽団「オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」が呱々の声を上げた。その生みの親が岩城氏であり、まことに幸いなことに、何度もそのエネルギッシュな指揮ぶりを見る機会に恵まれた。

もっとも印象に残ったのは、ヘルマン・プライ(バリトン)とOEKが共演した「冬の旅」全曲の演奏だ。プライ氏の体調不良のため、休憩なしで演奏されたのだが、ピアノの伴奏とは全く違うオーケストラのつややかな響きと、プライ氏の圧倒的な表現力、その両者を見事に調和させたのが岩城氏のタクトだった。

岩城氏は「初演魔」との異名を取る人物で、現代作曲家の作品を積極的に取り上げた。「一度も演奏されることのない名曲」がどれほどあるのか、想像もつかないが、岩城氏は、こうした作品を掘り起こし、あるいは自らが作曲家に委嘱して、「現代のクラシック音楽」を世に送り続けた。

話が前後するが、岩城氏とプライ氏は仲の良い友人同士だった。厳しいマネージャーでもある奥方にタバコを禁止されていたプライ氏は、こっそり岩城氏の楽屋を尋ね、タバコをねだったという。今ごろ岩城氏は、一足先に逝ったプライ氏と天国で再会し、タバコをくゆらせながら次のコンサートの相談をしていることだろう。合掌

信時潔 交声曲『海道東征』(その1)

昭和15(1940)年、日本は「紀元2600年」という祝祭の年を迎えた。2600という数字だが、7世紀にもたらされた辛酉革命説に則って記紀が神武天皇の即位を紀元前660年辛酉の年と定めたことに始まる。明治6年、記紀で神武が即位したとされる紀元前660年元旦を太陽暦に引き直して2月11日を紀元節、今の建国記念日を制定した。同時に編み出された、紀元前660年を初年とする「皇紀」という紀年法によると、1940年は2600年にあたるのだ。

この、およそ科学的根拠の欠落した紀元を基にした2600という、単にキリがいいだけの数字を、時の政府は最大限利用しようとした。大正デモクラシーの時代は既に過ぎ去り、恐慌、度重なる軍部の反乱、泥沼化の一途をたどる日中戦争など、閉塞感に苛まれ続けたこの時代に、「日本はキリスト教紀元を用いるヨーロッパ諸国よりはるか以前に建国した」と唱え、国威発揚、戦意高揚を狙ったのだ。

紀元2600年を祝うため、政府は様々なイベントをうつが、そのきな臭い意図とは裏腹に、文化的に価値の高い芸術作品も多く産み出された。日本政府からの委嘱を受けてヨーロッパの著名な作曲家たちが何人も、奉祝曲を書いている。リヒアルト・シュトラウスの「日本建国二千六百年 記念祝祭曲(Japanische Festmusik op.84)」などは、今日では演奏される機会こそないが傑作と呼ぶにふさわしい。

日本国内でも、多くの芸術家たちが、奉祝のための作品を作り出した。音楽分野だけでも山田耕筰、尾高尚忠、伊福部昭など、若手からベテランまで、その想像力の限りを尽し、後世に残る「はず」の、価値ある作品を世に送った。わずか5年後に訪れる大日本帝国の崩壊など夢想だにせずに。

信時潔の交声曲『海道東征』も、紀元2600年奉祝のために作曲された。交声曲とは「(器楽をともなう大規模な)声楽曲」という意味のカンタータを和訳したもので、バッハの教会、世俗カンタータはあまりにも有名である。信時は、記紀神話に見える神武東征をモチーフにした北原白秋の擬古典調の詞に、見事としか言いようのないオーケストレーションを施し、ヨーロッパのバロック、古典派のカンタータに比肩し得る作品に仕上げた。無駄な技巧を廃し、素朴さ、力強さを保ちつつ、日本風の旋律をヨーロッパの技法に調和させるという、信時一流の作法が遺憾なく発揮され、戦後の日本語教育を受けた世代である我々には至って難解な神話世界を、格調高く描ききっている。信時の最高傑作と賞賛される所以である。そして、『海ゆかば』と同様、軍国主義日本で評価されてしまったことが、この名曲と大作曲家の悲劇である。

曲は、
     1. 高千穂
     2. 大和思慕
     3. 御船出
     4. 御船謡
     5. 速吸と菟狭
     6. 海道回顧
     7. 白肩の津上陸
     8. 天業恢弘

の八部からなる大曲であるが、記紀神話全体からみればほんの一部に過ぎない。カムヤマトイワレヒコノミコトが、天孫降臨以来の御座所だった日向を離れ大和で即位するまでの東征伝説のなかから、戦の部分を殆ど省いた構成になっている。白秋は信時と組んで、神話の音楽化を継続し、第二部、第三部を作る意図を持っていたといわれるが、業ならずして他界した。信時もまた、同様の構想を持っていたが、これも形になることはなかった。大変に惜しいことである。

『海道東征』は、昭和15年11月26日、日比谷公会堂において、木下保指揮、東京音楽学校管弦楽部、同校生徒の合唱他で初演された。今日、この曲を聴くことは決して容易ではないが、幸いなことに、初演の指揮者、木下保の指揮で、アマチュアの合唱団が昭和40年代に演奏した録音を、ネットで聴くことが可能である。白秋の歌詞もすべて掲載されており、興味のある方には、まず一読一聴をお薦めする。
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