2006.03.10 金曜日 23:15
信時潔 交声曲『海道東征』(その1)
昭和15(1940)年、日本は「紀元2600年」という祝祭の年を迎えた。2600という数字だが、7世紀にもたらされた辛酉革命説に則って記紀が神武天皇の即位を紀元前660年辛酉の年と定めたことに始まる。明治6年、記紀で神武が即位したとされる紀元前660年元旦を太陽暦に引き直して2月11日を紀元節、今の建国記念日を制定した。同時に編み出された、紀元前660年を初年とする「皇紀」という紀年法によると、1940年は2600年にあたるのだ。
この、およそ科学的根拠の欠落した紀元を基にした2600という、単にキリがいいだけの数字を、時の政府は最大限利用しようとした。大正デモクラシーの時代は既に過ぎ去り、恐慌、度重なる軍部の反乱、泥沼化の一途をたどる日中戦争など、閉塞感に苛まれ続けたこの時代に、「日本はキリスト教紀元を用いるヨーロッパ諸国よりはるか以前に建国した」と唱え、国威発揚、戦意高揚を狙ったのだ。
紀元2600年を祝うため、政府は様々なイベントをうつが、そのきな臭い意図とは裏腹に、文化的に価値の高い芸術作品も多く産み出された。日本政府からの委嘱を受けてヨーロッパの著名な作曲家たちが何人も、奉祝曲を書いている。リヒアルト・シュトラウスの「日本建国二千六百年 記念祝祭曲(Japanische Festmusik op.84)」などは、今日では演奏される機会こそないが傑作と呼ぶにふさわしい。
日本国内でも、多くの芸術家たちが、奉祝のための作品を作り出した。音楽分野だけでも山田耕筰、尾高尚忠、伊福部昭など、若手からベテランまで、その想像力の限りを尽し、後世に残る「はず」の、価値ある作品を世に送った。わずか5年後に訪れる大日本帝国の崩壊など夢想だにせずに。
信時潔の交声曲『海道東征』も、紀元2600年奉祝のために作曲された。交声曲とは「(器楽をともなう大規模な)声楽曲」という意味のカンタータを和訳したもので、バッハの教会、世俗カンタータはあまりにも有名である。信時は、記紀神話に見える神武東征をモチーフにした北原白秋の擬古典調の詞に、見事としか言いようのないオーケストレーションを施し、ヨーロッパのバロック、古典派のカンタータに比肩し得る作品に仕上げた。無駄な技巧を廃し、素朴さ、力強さを保ちつつ、日本風の旋律をヨーロッパの技法に調和させるという、信時一流の作法が遺憾なく発揮され、戦後の日本語教育を受けた世代である我々には至って難解な神話世界を、格調高く描ききっている。信時の最高傑作と賞賛される所以である。そして、『海ゆかば』と同様、軍国主義日本で評価されてしまったことが、この名曲と大作曲家の悲劇である。
曲は、
の八部からなる大曲であるが、記紀神話全体からみればほんの一部に過ぎない。カムヤマトイワレヒコノミコトが、天孫降臨以来の御座所だった日向を離れ大和で即位するまでの東征伝説のなかから、戦の部分を殆ど省いた構成になっている。白秋は信時と組んで、神話の音楽化を継続し、第二部、第三部を作る意図を持っていたといわれるが、業ならずして他界した。信時もまた、同様の構想を持っていたが、これも形になることはなかった。大変に惜しいことである。
『海道東征』は、昭和15年11月26日、日比谷公会堂において、木下保指揮、東京音楽学校管弦楽部、同校生徒の合唱他で初演された。今日、この曲を聴くことは決して容易ではないが、幸いなことに、初演の指揮者、木下保の指揮で、アマチュアの合唱団が昭和40年代に演奏した録音を、ネットで聴くことが可能である。白秋の歌詞もすべて掲載されており、興味のある方には、まず一読一聴をお薦めする。
この、およそ科学的根拠の欠落した紀元を基にした2600という、単にキリがいいだけの数字を、時の政府は最大限利用しようとした。大正デモクラシーの時代は既に過ぎ去り、恐慌、度重なる軍部の反乱、泥沼化の一途をたどる日中戦争など、閉塞感に苛まれ続けたこの時代に、「日本はキリスト教紀元を用いるヨーロッパ諸国よりはるか以前に建国した」と唱え、国威発揚、戦意高揚を狙ったのだ。
紀元2600年を祝うため、政府は様々なイベントをうつが、そのきな臭い意図とは裏腹に、文化的に価値の高い芸術作品も多く産み出された。日本政府からの委嘱を受けてヨーロッパの著名な作曲家たちが何人も、奉祝曲を書いている。リヒアルト・シュトラウスの「日本建国二千六百年 記念祝祭曲(Japanische Festmusik op.84)」などは、今日では演奏される機会こそないが傑作と呼ぶにふさわしい。
日本国内でも、多くの芸術家たちが、奉祝のための作品を作り出した。音楽分野だけでも山田耕筰、尾高尚忠、伊福部昭など、若手からベテランまで、その想像力の限りを尽し、後世に残る「はず」の、価値ある作品を世に送った。わずか5年後に訪れる大日本帝国の崩壊など夢想だにせずに。
信時潔の交声曲『海道東征』も、紀元2600年奉祝のために作曲された。交声曲とは「(器楽をともなう大規模な)声楽曲」という意味のカンタータを和訳したもので、バッハの教会、世俗カンタータはあまりにも有名である。信時は、記紀神話に見える神武東征をモチーフにした北原白秋の擬古典調の詞に、見事としか言いようのないオーケストレーションを施し、ヨーロッパのバロック、古典派のカンタータに比肩し得る作品に仕上げた。無駄な技巧を廃し、素朴さ、力強さを保ちつつ、日本風の旋律をヨーロッパの技法に調和させるという、信時一流の作法が遺憾なく発揮され、戦後の日本語教育を受けた世代である我々には至って難解な神話世界を、格調高く描ききっている。信時の最高傑作と賞賛される所以である。そして、『海ゆかば』と同様、軍国主義日本で評価されてしまったことが、この名曲と大作曲家の悲劇である。
曲は、
- 1. 高千穂
2. 大和思慕
3. 御船出
4. 御船謡
5. 速吸と菟狭
6. 海道回顧
7. 白肩の津上陸
8. 天業恢弘
の八部からなる大曲であるが、記紀神話全体からみればほんの一部に過ぎない。カムヤマトイワレヒコノミコトが、天孫降臨以来の御座所だった日向を離れ大和で即位するまでの東征伝説のなかから、戦の部分を殆ど省いた構成になっている。白秋は信時と組んで、神話の音楽化を継続し、第二部、第三部を作る意図を持っていたといわれるが、業ならずして他界した。信時もまた、同様の構想を持っていたが、これも形になることはなかった。大変に惜しいことである。
『海道東征』は、昭和15年11月26日、日比谷公会堂において、木下保指揮、東京音楽学校管弦楽部、同校生徒の合唱他で初演された。今日、この曲を聴くことは決して容易ではないが、幸いなことに、初演の指揮者、木下保の指揮で、アマチュアの合唱団が昭和40年代に演奏した録音を、ネットで聴くことが可能である。白秋の歌詞もすべて掲載されており、興味のある方には、まず一読一聴をお薦めする。
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