読書週間

一日に何度か、猛烈なドライブのかかった母親の物忘れに驚かされることを除けば、会津の早春は穏やか。母の車のタイヤも履き替えてしまったし、あまりの切れ味の悪さにこちらの血管が切れそうになるハサミと包丁数本を研ぎ上げたことの他には、大したこともせずにゆったりと過ごした。

今回の帰省では、研究室で日々増殖し続ける蔵書の中から以下の三冊を持ってきた。先ほど、親鸞の下巻を読了し、質・量ともに大いに満足できる読書週間を終えた。



「親鸞」は五木寛之が地方紙に連載した小説。昨年、初めて新聞小説(宮部みゆきの時代物)というものをまじめに読んだ。それまでは単行本になるのを待って一気に読むことを是としていたからだが、今回の「親鸞」は、やはり単行本で読むのがよいと思う。自分の都合で途中で止めるのは仕方がないが、「明日の朝刊まで読めない」などという状態は辛すぎる。

物語は、親鸞の幼少期から越後配流までの正に半生を描くもので、史的な事象の描写、表現にはいささか気になることもあるが、専修念仏という思想が確立していく過程を、まざまざと見る思いだった。神や仏のいない現代における発心とか結縁とかは、こういうことかもしれないと思う。


二・二六事件で青年将校たちに強い影響を与えた予備役少将齋藤瀏。彼と娘の史の言葉と短歌を通じて見る「二・二六」とその後には、これまでの研究史で必ずしも明らかにされてこなかった、思想以前の心情が陰影も鮮やかに浮かび上がる。

明日は移動日。早くも新年度の足音が…。

どっこいオーディオ機器を作る

冬と春が覇権を競っているような天気のせいか、三女が喉を腫らしてしまった。ひどく咳き込むのを心配した母が動物病院に連れて行き、例によって親切丁寧な治療の効果はてきめんで、苦しそうに咳き込むこともなくなった。冷酷無比な請求書は目をつぶって丸呑みするしかない。


番外編 「エイフル」に行ってきた

彼岸の親戚廻りは早々と終えたので、昨夏から行きたいと思いつつ果たせなかったヴィンテージオーディオショップ「エイフル」を訪ねてみた。昨年、埼玉から会津、裏磐梯に移ってきたのだが、夏、秋は自由な時間がとれず、冬は豪雪地帯を走破する元気がなく、折から南風が流れ込んで20℃近くまで気温が上がった今日、エイヤっと出かけてみた。お目当ては、元日本オーディオ協会会長浅野勇氏設計のアンプ。

真空管は、発明からわずかに100年で消えてしまった「技術」だが、その100年の間には関連技術の大きな進歩があった。浅野氏が活躍された頃と現在とでもっとも違うところは、ダイオードとコンデンサではないかと思う。整流と平滑に使うこれら部品が大きく進歩するのは、浅野氏の時代の少し後。後の時代の優れた部品を使えば、必ずより良い音が出るのか、前時代の回路構成は後のものに劣るのかという厄介な問について、浅野アンプの音を聴くことで何かヒントを得られるかもしれない。

エイフルの場所は、地図で見る限り私の「遊び場」の中だから、実家から30分ほどで到着。あらかじめ電話で希望を伝えておいたので、着くとすぐに、浅野アンプの音を聴かせてもらえることになった。このアンプ、最近売られている完成品、キットいずれにもほとんど採用されない「当時」の技術、技法で構成されており、無音時にはハムノイズが聞こえる。もっとも、つながっているスピーカーも時代物で大変に効率がよい(100dbを越えているはず)ものだから、私が持っているどのアンプ(除くトランジスタ)でも必ずハムが聞こえるだろう。で、音が鳴り始めたら、ハムは全く気にならなくなり、すぐに楽音に集中してしまう、というか、引き込まれてしまう。ものすごい迫力と音の艶に圧倒されること頻り。

ところが浅野アンプの後に出てきたWestern Electric 59Bを聴いて、はたと困った。浅野アンプのパーツ一式を購入しようかと思って行ったのだが、59Bの音は(もちろん値段も)比較にならないほどすばらしいのだ。深みというか気品というか、戦前のアメリカの工業技術がこれほど凄まじいとは、正直、肌に粟の立つ思いだった。

ショップ兼展示室の内部はまだ整理が終わっていないようで、機器類やユニットが所狭しと置かれているが、ひとつ上のフロアに上がると、「ヴィンテージオーディオ博物館」の雰囲気。いきなりVictrolaの美音を聴かせてもらった。この奥には、ものの本やネットでしか見たことのなかった「骨董」がずらりと並び、階下での困惑などとりあえずどこかに置いて、次々と動作する名機に見とれ、聴き惚れる。例えばWestern の7Aというアンプ。聞くところに寄ると1922年製造で、チラッと写っている10Dというスピーカーをつなぐ。出てくるのは、惚れ惚れするような典雅な音。ちなみに製造当時の電源は「電池」。ちなみにこの7Aは、希望すれば買えるらしい。貯金しようかな…。

建物の3階に案内してもらい、かつての「遊び場」の風景を眺める。檜原湖は、一日くらい暖かくなっても冬のままだ。

今日の試聴はここまで。浅野アンプの件はペンディングということで日を改めて訪問し、再度、いろいろと聴かせてもらうことにした。そのときには秘蔵のSP盤を持ち込もう。

技術の進歩と音質の関係について、今の時点で言えること。

確かに最新技術で作られた工業製品は優れているが、往事の技術で作られた製品でも、時々の最高の知識を集めたものはやはりすばらしい。そして往事のアンプと往事のスピーカーのように、技術者の想定した組み合わせを再現すると、時代を超えたカップリングより好ましい結果が出ることも珍しくない。

文字にすると当たり前だが、今日、エイフルでこのことを実感した。これからの機器設計に役立つ経験だった。

猫屋敷の日常

数日、書類が来ない環境で寝起きしただけで、随分元気を取り戻したような気がする。寒暖の差が激しく、往生際の悪い冬が雪やらなにやらまき散らすからか、猫たちも外出を控えているらしい。私の寝室には必ず長毛の四女が先回りしていて、私が入っていくとじゃれついて離れない。畳に広げた新聞に乗るのと同じ感覚なのか、ノートパソコンの上に座るのだけは勘弁して欲しいものだが(;_:)。

昼間のこと、今で本を読んでいたら、ドサッとものが落ちる音に続いて、ゴロゴロと喉を鳴らす音が。振り向くと、私の後ろで長男が、膝掛け毛布をくわえ、手(前足)で毛布を揉むような動作を。
言うまでもなく子猫が乳を吸うときの動作だ。数年前、家に迷い込んできたときにはまだ手のひらサイズだったから、もしかしたら完全に乳離れしていなかったのかもしれない。母によると、長男だけは時々、毛布をくわえてこの動作をしているとか。そういえば5匹の中で、人の膝に上がってくるのは長男だけ。体重は6キロもあるが、末っ子はいつまでたっても末っ子ということか。
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正月以来の会津です

昨日卒業式があり、10名あまりのゼミ生を送り出した。他県の出身者は、去りがたいという気持ちを隠そうともせず、仲間たちとの最後の時間を楽しんでいた。県内の学生も同様に、再会を約する言葉を繰り返す。誠に厳しい22才の春だ。

感傷に浸るまもなく、いつも通りの事務仕事をやっつけ、帰宅して荷物を作り、今日は朝から会津に移動。もっと頻繁に戻りたいのだが、自分の時間が自由にならないのがもどかしい。春のダイヤ改正は、私の主な移動パターンにはあまり便益はなく、今日も非常にきわどい乗り継ぎになった。そして実家の手前で数十分待たされるという一番腹立たしいダイヤも改善されず、狭くて堅いクロスシートで肩こりと闘いつつ発車を待つハメに。

コートはおろかニットすらいらない甲府から、少なくとも一ヶ月は季節が戻ったような会津の空は、彼岸までは意地でも寒さを持たせるつもりらしい。ほとんど雪が降らず非常に良く晴れる、という一事だけでも、甲府は良いところだと思う。

幸い母も猫×5も元気。天気が思わしくないので、珍しく5匹全部が家にいた。私の顔を見て鳴き鳴き寄ってくるのは灰色の次女で、私の部屋に先回りしているのは長毛の4女。これからしばらくは、4女を足下に置いて眠ることになる。寝返りが打ちにくいから腰痛には望ましくないが、相手が猫だから仕方ない。

じわじわオーディオ機器を作る

ますます訳の分からないタイトルになった。團伊玖磨氏もこのあたりまで来るとネタがなくて困っていたのだろう。

2年遅れの製作記事もいい加減に次に進まないと、エントリにできる、つまり作っちゃった(^^ゞアンプが溜まりすぎて、順番すら分からなくなるおそれが・・・。

6B4Gシングルアンプを作る(その5)
素人である、初心者である、不慣れである、という本来言い訳になる言辞は、時として無鉄砲の代名詞に変わる。トランス出力プリを作ってから僅か1ヶ月ちょっとで、次のアンプを作るべく、CADソフトと格闘しているとは、自分でも呆れる。ただ、前作からあまりに時間が短く、前作を十分に分析、反省することなく「次」に手を付けたため、あちこち「無理」なパーツ配置をするハメになった。まぁ、経験値の貯まり方が遅いことを確認できたからそれでいいか(笑)。

こんな風に平面図を書いてみると、もう穴開けをしたくて仕方がない。この作業に関しては、しみじみ、親父が生きているうちに教わっておけば良かったと思う。昔、親父が物置で道具を使っていた記憶をたどりながら、おっかなびっくり進めるが、必ずといって良いほど穴の位置が合わない_| ̄|○。才能なさ過ぎ…。





穴開け完了からパーツ取り付けにかかって、電源電圧が予定通り出ずに苦労したが、抵抗を付けたり外したりの試行錯誤の末、どうにか狙った電圧で動作するところまで辿り着いた。

ガス入り整流管は怪しい光を放って、ついでに時々ノイズも出してくれる。だがこの光は実に色っぽい。続いて水銀整流管に替えると、また違った光り方で目にも楽しい。

この時点で音はまだこなれていないが、10センチフルレンジから透き通った女性ボーカルが響くと、このアンプの素性の良さを感じることができた。

ただ、この時の出力段のプレートにかかった電圧がやや高すぎて、出力管を1本、早々と昇天させることになろうとは、素人の初心者には知る由もなかった…(/_;)

鎌倉

10日は今年度最後の会議日だというのに、前夜の雪が窓からの景色を真っ白に染めてしまった。甲府に移って3年で初めての雪らしい雪だ。冬タイヤを廃棄して久しい。ノーマルタイヤで走れるか、徒歩で出かけるか思案のしどころ。しかも講義期間中と違って会議は午前中から。

結局、道路の雪は路側やセンターライン付近に残るだけで、ノーマルタイヤでも走行に支障はなく、会議に遅れることもなかったが、何人かの同僚は辿り着けなかった。予定されていた会議は4つだが、4つめの閉会後にその場でひとつ追加されて5つに。朝、まじめにニュースも見ていなかったから、帰宅後はじめて、鶴岡の大銀杏が倒れたことを知った。「密約」云々とは比較にならないほどショックだ。

幹は既に空洞になっていたというから、相当に弱っていたのだろう。人気のない未明に倒れたのが、せめてもの救いというか、ご神木の威徳というか。やがて様々な調査が行われ、かなり正確な樹齢も分かるだろう。「公暁が隠れた」というエピソードが単なる俗説と証明されることになるだろうが、誰かの迷惑になることはない。これくらい時間が経てば、「歴史」として縦横に調べ、語り、議論することが許されよう。生き証人がいるうちに聞いておかなければならないことは、誰かがこっそり書き残しておいて、その次の世代になって好きに論じたらいい。あまりに近い過去は時事問題であり、歴史の範疇に入れることは好まない。

由比の浜辺を右に見て、
雪の下道過行けば、
八幡宮の御社。

上るや石のきざはしの
左に高き大銀杏、
問はばや、遠き世々の跡。

若宮堂の舞の袖、
しづのおだまきくりかえし
返しし人をしのびつつ。

鎌倉宮に詣でては、
尽きせぬ親王のみうらみに、
悲憤の涙わきぬべし。

唱歌『鎌倉』の三番以降だが、若宮大路を段葛伝いに八幡宮に詣で、武運長久を祈るのが旧ゼミ合宿の定番ルートだった。御利益は抜群で、ゼミ生達の就職戦線はとても長引いた_| ̄|○。大銀杏を背景に何度写真を撮っただろうか。舞殿は往事のものではないが、「しずやしず」と静御前の悲劇を語るのも定番だ。そこから頼朝の墓所を経て鎌倉宮まで歩き大塔宮の昔を偲ぶと、そろそろ昼食の時間になったものだ。

歴史を見つめてきた銀杏は倒れたが、「歴史の跡」は残る。また学生を連れて歩きたい。その場を歩けば、本で得た知識をよりはっきり、具体的な感覚として自分のものにできるから。

無限軌道

季節労働のピークが過ぎたらしく、突然「あれやれ・これやれ」がなくなるという怪現象に直面し、ぽっかり空いた「自分の時間」に何をして良いか分からず、ただ呆然と座り込む情けなさ。書かなきゃいけない原稿は…、まあ置いといて(置くな!>自分)、あと半月、浩然の気を養うことが何より大切、かな。

先日購入したWindows7マシンはすこぶる順調に稼働しており、(結局作っちゃった)「ありあわせ2号」も古いソフト運用機兼データサーバとして書斎入り目前。ただ、この機体の電源ユニットは昇天寸前の危うさで、いくつものケミコンがパンクしていることは確認したんだけど、ニッパーもハンダごても入らないようなところで、もし直すとしたらアンプ一台作るくらいの手数になりそうで放置。この電源、ハイパワーと静音性で結構売れたと記憶しているが、封緘を切ってびっくりの粗悪さ。狭い筐体に余りに多くのケーブルを押し込んだため、基板がめいっぱい湾曲してる((((;゚Д゚)))))。数年前の某国の工業技術を垣間見る思いが。

先週末、無事に確定申告を済ませた(涙)。


いつも見てるけど頭が回らなくてエントリに出来なかった「ボ2ネタ」経由で、貸金業法等の改正の結果、大手消費者金融業者は今年6月以降、専業主婦(主夫)への貸し付けを中止するという。今次貸金業法の改正では、「悪名高い」グレーゾーン金利が廃止となり、悪質な取り立てへの規制が強まるなど、「良い改正」にも思えるが、一方で、多重債務問題への対応から貸し付け制限も盛り込まれている。所得を基準に返済能力を算定するため、専業主婦(主夫)が金融を受けようとする場合、配偶者の所得証明が必要になるというのだ。これでは、街角で貰ったティッシュペーパーの広告を読んで気軽に、とは行かない。

つらつらおもんみるに、私が法学を習い始めた頃、利息制限法(最高20%)と出資法(109.5%、現在は29.5%)の間に猛烈なグレーゾーンがあった。約定の金利を利息制限法所定の金利に引き直し、過払い金取り戻しの訴訟が頻発して、荒稼ぎをしていた街金がバタバタと倒れた。そこで貸金業法(いわゆるサラ金規制法)が作られ、数十%という高利が事実上公認された。規制法制定の契機となった「サラ金地獄」などという言葉はあっさり忘れられ、おりからのバブル景気とバブル崩壊後の長期不景気が金融界を歪め、長くサラ金業者の天国が続いた。金融業者のテレビコマーシャルが解禁されたのもこの頃だったと記憶している。

だが、平成18年の最高裁判決で、いわゆる「みなし弁済」という業者保護条項がほぼ否定され、再び過払い取り戻し訴訟が盛んになった。ここで弁護士事務所のテレビコマーシャルが解禁され、過払い訴訟を売り物にした事務所の名前がテレビで連呼されるようになった。「過払いバブル」という現象である。地裁民事部の新規受理件数の過半がこれであり、そのうらで、かつて殷賑を極めたサラ金業者は過払い金弁済の負担に耐えきれず、バタバタと倒れていく。まさにバブルそのもの。このバブルは、貸金業法の改正によりグレーゾーンが消えると終息する。なんだか複雑に入り組んだマッチポンプに見えなくもない。

ところで今の民法が出来た当時、「妻」は行為無能力者とされていた。夫がある限り妻の財産権は大きく制約されたのであるが、少なくとも妻がこっそり金銭消費貸借契約を結び、自己破産に陥るという悲劇は、法理論上起こらなかった。今次貸金業法改正では、専業に限ってだが「主婦(主夫)」が借り主となりにくい状況が発生する。この改正の直接の効果として、野放図な借金による家庭崩壊といった悲劇がいくらかは減るだろう。その点は評価できる。

だが、悪というイメージが定着しているにもかかわらず、グレーゾーンを公認したり、サラ金の広告を解禁したことについては、一応それらしい理由が用意されている。こういった高金利でも金を借りようという需要がある以上、供給を禁じてしまっては、更に悪質なヤミ金がはびこり、法の規制・統制がとれなくなる、というものだ。グレーゾーンが消え、それで儲けていたサラ金がつぶれ、サラ金の客層の一部が金融を受けられなくなることで、これまで金を借りて家計を回してきた人たちが突然、健全な経済生活を始める、などということがあるわけがない。

この問題は、無限軌道なのである。
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