鎌倉

10日は今年度最後の会議日だというのに、前夜の雪が窓からの景色を真っ白に染めてしまった。甲府に移って3年で初めての雪らしい雪だ。冬タイヤを廃棄して久しい。ノーマルタイヤで走れるか、徒歩で出かけるか思案のしどころ。しかも講義期間中と違って会議は午前中から。

結局、道路の雪は路側やセンターライン付近に残るだけで、ノーマルタイヤでも走行に支障はなく、会議に遅れることもなかったが、何人かの同僚は辿り着けなかった。予定されていた会議は4つだが、4つめの閉会後にその場でひとつ追加されて5つに。朝、まじめにニュースも見ていなかったから、帰宅後はじめて、鶴岡の大銀杏が倒れたことを知った。「密約」云々とは比較にならないほどショックだ。

幹は既に空洞になっていたというから、相当に弱っていたのだろう。人気のない未明に倒れたのが、せめてもの救いというか、ご神木の威徳というか。やがて様々な調査が行われ、かなり正確な樹齢も分かるだろう。「公暁が隠れた」というエピソードが単なる俗説と証明されることになるだろうが、誰かの迷惑になることはない。これくらい時間が経てば、「歴史」として縦横に調べ、語り、議論することが許されよう。生き証人がいるうちに聞いておかなければならないことは、誰かがこっそり書き残しておいて、その次の世代になって好きに論じたらいい。あまりに近い過去は時事問題であり、歴史の範疇に入れることは好まない。

由比の浜辺を右に見て、
雪の下道過行けば、
八幡宮の御社。

上るや石のきざはしの
左に高き大銀杏、
問はばや、遠き世々の跡。

若宮堂の舞の袖、
しづのおだまきくりかえし
返しし人をしのびつつ。

鎌倉宮に詣でては、
尽きせぬ親王のみうらみに、
悲憤の涙わきぬべし。

唱歌『鎌倉』の三番以降だが、若宮大路を段葛伝いに八幡宮に詣で、武運長久を祈るのが旧ゼミ合宿の定番ルートだった。御利益は抜群で、ゼミ生達の就職戦線はとても長引いた_| ̄|○。大銀杏を背景に何度写真を撮っただろうか。舞殿は往事のものではないが、「しずやしず」と静御前の悲劇を語るのも定番だ。そこから頼朝の墓所を経て鎌倉宮まで歩き大塔宮の昔を偲ぶと、そろそろ昼食の時間になったものだ。

歴史を見つめてきた銀杏は倒れたが、「歴史の跡」は残る。また学生を連れて歩きたい。その場を歩けば、本で得た知識をよりはっきり、具体的な感覚として自分のものにできるから。
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