中庸なき国

殺伐としたニュースが後を絶たない。加害者にいかほどの苦悩があったか知らないが、あまりに重大な結果はあまりに唐突に現れた感がある。

沖縄戦集団自決訴訟判決要旨を読むと、やはり唐突な、中間省略的な空気を感じる。以前のエントリでも書いたが、裁判というシステムの制約上、白黒をつけざるを得ないとはいえ、こんな問題を法廷に持ち出さなければならないというのは、歴史学の貧困に起因するとも言える。皇国史観が一夜で吹き飛び、怒涛のごとく押し寄せた唯物史観が雲霞のごとく空を暗くした時代、新旧両極端な思想的バイアスをもってひとつの事象を見たら、どうなるか。いずれにも与しない理性的、合理的な発想は、右からも左からも攻撃された。

判決は白黒をつけたが、本件について、なんらの解決をもたらすものではない。真実は(おそらく)白でも黒でもなく、濃い灰色のなかに白い点があったり、白い塊の中に黒っぽいしみがあったりするのだろう。

在宅時はもっぱら、音楽を流しているから、テレビの視聴時間がどんどん減っている。当然、観てはいないのだが、TBSがとんでない番組を流したらしい。会津若松市長が抗議文を発表した。

TBSが流したクイズ番組は、戊辰戦争最大の籠城戦である鶴ヶ城攻防戦について、会津藩が降伏したのは城内でし尿の処理ができなかったから、との珍説を正解にした、というのだ。2ヶ月の籠城の間、雨あられと襲いかかる砲弾の下ではし尿の運び出しなどできるはずもなく、城内に穴を掘って投棄した、といった話を、籠城経験者からの聞き書きなどで読んだ記憶がある。出題者はおそらく、そのへんの話を中途半端に聞きかじり、「正解」を作り上げたのだろう。

自分の目先にあるものだけですべてを決することができるほど、この世の中はシンプルではない。深く考えなくても目に飛び込んでくるようなことは、往々にして極論だ。

なおかつオーディオ機器を作る

・高速を使って1時間ちょっとで、母の病院に着く。先週末、およそ記憶にないくらい長々しいオペが終わったが、長かった分回復は遅いだろう。こちらに居られるのもあと数日。母が自分の具合よりも心配する猫の世話が気がかり。

・寒暖にかかわらず、気が向くと「話しかけてくる」猫どもとの日々も捨てがたい。ただ、一人でローカルな宗教的(土俗的?)行事をこなすのは、正直言って無理。例年は見るチャンスのない「彼岸獅子」を見れたから、これまたよしとする。

憧れの送信管アンプ(その6)

SV-2(2003)に付いている真空管は中国製。西側先進国で選別した特性の優れたものだというが、私の知る範囲では、これらよりも良いとされる球は無数にある。ただ、球を換える前に、現在の球をある程度こなれた状態にしなければならないだろう。必要程度のエージングが進み、球本来の音が出て、それが満足できないときに交換というチョイスが現実化する。そうじゃないと、最悪、音ではなくブランドを基準に大枚をはたくことにもなりかねない。

ただ、SV-2に使われている3種類の真空管のうち、初段とドライブ段の球は、付属品よりも良いと確信するものを既に持っている。キット屋さんから買っておいた松下製の12AX7、そして前任校のY先生に頂戴したKT88だ。およそ100時間の慣らし運転が終わった頃合を見て、まず12AX7を換えてみた。未使用品だから改めてエージングが必要だが、換えた直後から顕著な音の変化に驚く。あきらかに輪郭が鮮明になり、定位性が高まった。カメラのピントがスッと合うときのような感じで、音の「細部」まで明確に聞こえる。

これまでKT88を搭載し、当家の「メインアンプ」として活躍した初号機と並べてみる。TU-879Sはコストパフォーマンスも完成度も高い、非常に優れたアンプキットといえる。はんだ付けができて、真空管アンプを自作したい向きには、迷わずこれに挑戦することをお勧めする。だが、SV-2はふた桁くらい違う。十分に良い音を聞かせてくれるKT88の後に845というどでかい送信管が待ち構えているわけで、出で来る音の「密度」が圧倒的に違う。情報量が多いのだ。これまで聞こえなかった小さな音、気配まで再生される。けっして大音量で鳴らすわけではないが、非常に多くの情報が増幅されて出てくるのだ。あたかも、非常に精度の高いレンズ越しに美しい音を見ているような感じ、といえばいいだろうか。何気なく聴き流すことができない、ついつい引き込まれてしまう音なのだ。たっぷりとした厚み、幅をもった中低音はとてもシングルとは思えない。伸びやかな高音は、これが送信管の音、とでも言うべきもの。音はもちろん、姿もいい。トリタンフィラメントは、この光り方がまたいい。

数日後、ドライブ段のKT88をGoldLionに換えてみたが、こちらは変化を感じない。中国製が優秀なのか音質に与える影響が少ない部分なのか、わからないが、せっかくだからイギリス製を使うことする。
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春の帰省

15日の卒業式が終わるとすぐに甲府を離れ、会津に。前日まで汗を流した引越し後の整備もなんとか間に合い、研究室でゼミ生諸君と挨拶を交わすことができて、安堵の胸をなでおろしたが、同時刻に卒業式に出ている前任校の諸君とのコンタクトはいまいち。2週間前に会ったから、まぁ勘弁な。

昨年の今頃は転居の最中。でも今年は実家で猫の面倒を見る毎日。母親の具合はどうにか安定し、時間の許す限り猫とすごし、病人の心配事を減らしてやるのが任務。

帰った日にはまだ、日陰に随分な雪が残っていたが、消えたらすぐに福寿草が。今朝は黄色が見えはじめたと思ったら、午後にはきれいに咲いていた。

穏やかな日差しの下では、長い冬、室内で退屈しきっていた猫がのびのびと。雪囲いに使った木材の上で思いっきり伸びをするのは次女。

末っ子と四女にベッドを占領されてしまった。さて、どこで寝ようかな。

歴史は繰り返す?

$1 = \99
この水準を「バブル」と呼ばれた時代に見た記憶がある。まだユーロがなかった当時、10000円札は世界最高額の紙幣だった。土地神話が株価を押し上げ、バイト暮らしの学生でも結構な贅沢ができた。景気の拡大が急激過ぎたし、土地を巡って表向き法に従わなければならないゼネコンが、裏社会の力を借りて地上げを強行したり、社会のあちこちにひずみが生じたが、それでもある瞬間まで、国民の多くに経済的恩恵があった。企業の内部保留でほとんどすべての拡大分が消えてなくなった現下の景気拡大とは根本的に異なる。たしかこのころ、日銀が円売りドル買い介入で為替操作を行ったが、以来、一度も市場への介入を実施していないという。じゃあ、何をしているのだろうか。

ITバブルが崩壊したとき、株価の大幅下落が企業の含み益を吹き飛ばし、ただでさえ可処分所得の減少に苦しんでいた国民生活に、さらに冷や水をぶっかけた。でも日銀は何もしなかった。ゼロ金利では、金利引き下げというカンフルは打てない。

アメリカに発する株式市場の暴落が、全世界経済を飲み込んでからわずかに100年。第一次大戦後のベルサイユ体制が崩れ、ナチスの軍拡がヨーロッパを焦土にする、そのきっかけは「大恐慌」とよばれる。大恐慌の影響は、金解禁直後の日本から、貴重な金の大量流出という結果で終わるが、政府、中央銀行はとうとう効果的な対策を打ち出すことはなかった。

近代日本は、何度となく不景気を乗り越えた。ただ、一度も国家の政策で立ち直ったことはない。すべて「神の見えざる手」にすがって再起した。政府、日銀が「史上最長の景気拡大」と言い募る未曾有の不景気から立ち直る日は来るのだろうか。再起するだけの体力が、国民に残っているだろうか。毎朝、経済欄に目を通すたびに悲観的になっていくのは、私だけではあるまい。

功名とは

先週末、「中山研一先生を囲む会」に出席した。およそ1年前、「脱北」を電話でご報告した折り、先生は「バンザーイ!」と、本当に大きな声で叫んで下さった。

久しぶりに元気なお姿を拝し、かつて苦楽を共にした友人諸賢と再会し、更に会いたいと思い続けていた方々とも楽しい時間を過ごして、大いに浩然の気を養った。

よく油を売りに行ったセンターのN先生、Y先生、相変わらずお忙しそうですね。私の手元にある情報でお役に立つなら、いつでも提供します。Oさん、コーヒーご馳走様。すっかりスキルアップされたようで、いつかテクニカルな話題で盛り上がりたいものです。(今回連絡できなかった向きには心よりお詫びします。また行くからね。)



研究第一という有難いお姿を拝して心を入れ替えたわけではないが・・・。

専門の(ここを強調しないといけないのが悲しい・・・)法制史の講義で、時代劇の間違いを指摘するのはある種の常套手段だ。受講者の興味を喚起するには、わかりやすい例示が一番、ということで、例えば銭形の親分あたりにご登場いただくのだが、最初に指摘しなければならないのが、岡っ引が、実は非合法な存在だった、ということ。与力や同心が、捕まえた犯罪者の中から目端の効きそうなヤツに声をかけ、自分の手下として働かせる。現役犯罪者の知見を次の犯罪捜査に活かそうという発想だ。

明治に入ると奉行所から警察へとシステムが変わるが、江戸期の隠密廻同心を引き継いだような「探偵吏」というポストが設けられた。内偵や潜入捜査が専門で、民権運動弾圧のための囮捜査も行った。今日的な感覚ではかなりダーティーな仕事っぷりといえよう。この時代の警察を作った薩摩では、志布志事件によって古色蒼然たる警察機構の存在が明らかになったが、今度は福岡だ。

兄殺害に無罪判決 妹の告白「信用性ない」 福岡地裁支部

マスコミの報道からの印象だが、とにかく警察のやり方が胡散臭い。告白を聞いたとされる同房者が実はお奉行だったとか、その手下だったとかいうのなら有罪でも良かろうが、現代日本の刑事手続では、ちょっと認められそうもない手法だ。判決をみつけたら読んでみたい。

先日、志布志事件に関して鹿児島県警が表彰を返納するという記事を読んだ。まだ返していなかったのか、というのが正直な感想だ。「正義の実現」でも「真実の発見」でもなく、「認知した事件の処置」すなわち「未決案件を増やさないこと」が表彰の対象なのだろうか。制服を着る職業は、100の仕事を100こなして始めて当然と看做される。99では不足なのだ。事務上の功名をもらおうなどと思うなら、今すぐ制服を脱げ。
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