因果関係の中断

izaで、珍しい事故の記事を読んだ。

交通事故が発生し、被害者が8時間後に死亡したという痛ましい事例であり、亡くなられた方のご冥福を祈りたいと思う。たがこの事故、あまり一般的ではない経過を辿ったようだ。

事故の被害者が加害者に対し、警察、消防に連絡しないよう強く求めたため、加害者は被害者を自宅に送り届け、その後110番通報した。

 主婦を車ではねた同府交野市の女性店員(28)は主婦を自宅に送った後、110番通報したが、枚方署は事故の状況から緊急性はないと判断、主婦と接触していなかった。
 調べでは、主婦は26日午前8時ごろ、店員の乗用車にはねられた。主婦が「警察と消防には連絡しないで」と強く拒んだため店員は主婦を自宅に送り、同署に届け出た。
 ところが同日午後7時半ごろ、主婦の夫(58)が帰宅し、主婦が死亡しているのを発見。司法解剖の結果、事故が原因の骨盤骨折による出血性ショックのため、事故の約8時間後に死亡していたことが判明した。

交通事故の主婦が放置され死亡 救急搬送拒んだが…-事件ですニュース:イザ!


警察が被害者と接触していれば最悪の事態は避けられたのではないか、という議論は当然成り立つだろうが、
事故が原因の骨盤骨折による出血性ショック
という症状について、事故直後に適切な治療を受ければ、死亡という最悪の結果を避けることができたかどうか、専門家の意見を聞きたいと思う。被害者自身が治療を受けないという選択をしたため死の転機を迎えた、とすると、昔、刑法の教科書で読んだ、およそ有り得ない説例そのものになる。

履修単位「偽装」問題

大学の禄を食むものとして、何を考えなければならないだろうか。
 
今回の「事件」は、富山県の一公立高校で必修科目の履修漏れが「発覚」したことに端を発し、さながら燎原の火のごとく全国津々浦々に広がった。週5日制の完全実施と「ゆとりの教育」が、大学入試という現実との間に齟齬を産み出し、試験科目以外は勉強したくないという大方の受験生のニーズと、教員の「親心」が、今日の事態を招いた、と理解しても、そう大きな間違いではあるまい。

少なくとも、図利目的の耐震強度偽装問題と同列に論ずる論調も見られないし、世間にはびこる無数の「虚偽」が発覚した時のように、関係者への厳罰を求める意見も聞こえて来ない。万のスケールに及ぶ要補習対象生徒は「被害者」であり、彼等に過剰な負担を強いることのないよう配慮が為されそうな状況も現われつつある。

確かに対象となってしまった高校生は被害者であろう。彼等が自発的、積極的に世界史や家庭一般、芸術科目を忌避したということもなさそうだし、そうしたいと思っても現下の管理教育体制ではできようはずもない。受験を目前に控えた高校3年生が、数十時間の補習を受けさせられることを「被害」と認識するのも、止むないところである。

が、「被害の本質」は補習を受けさせられ、貴重な受験勉強のための時間を削られることではない。身につけるべき(敢えて「べき」といおう)教養を得る機会を喪失したことこそ、「被害」なのだ。
第4章 高等学校
第41条〔目的〕
高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。
第42条〔教育の目標〕
高等学校における教育については、前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
一 中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて、国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと。
二 社会において果さなければならない使命の自覚に基き、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること。
三 社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。

学校教育法はこのように、高校教育の目的を説く。今の社会の現実と乖離していることは否めないが、少なくとも受験予備校化を是としていないことは明らかだし、世論も予備校化を求めるほど短絡はしていないだろう。『一般的な教養を高め』ることなしに上級学校に進み、あるいは社会に出たら、彼等のその後の人生にどれほどマイナスになるだろうか。多くの場合そのマイナスを意識するのは、ずっと後になってからだ。意識した時に、マイナスを補填する余力が残っているだろうか。

自分にとって「好ましい」と思う性質、形状等を一切『かわいい』や『やばい』(これは論外)で表し、不愉快であることを『むかつく』としか表現できない若者たち。多彩な感情を表現する語彙を持たないことが、感情の起伏を表現できないという現実に繋がり、揚げ句に「切れやすい」と評される状態に陥っているとは考えられないだろうか。

「知らない」という現実に直面させ、「知る」ことのもたらす豊穣な世界の入口を見せるのが教養教育だと思う。それなしに、単に受験という一つの関門を突破するための知識だけを得て一八歳の春を迎える高校生は、不憫である。
 
[このエントリは書きかけです]

読みにくい

オフラインで、「文字が薄くて読むのが辛い」というご意見を頂戴しました。まじまじと見てみると、確かに濃くはないですね。文字の色を含めて、ブログのデザインはテンプレートそのままにしていますから、トータルの見た目はいいはずなんですが・・・。

でも、このままではご意見を下さった方に申し訳ないので、
こんな方法で対応してみてください。

追伸:渋皮煮の作り方は、後日メモにして届けます。

秋の休日

編曲の疲れを癒す、という名目で、一日のんびりとすごしています。今日の最大の仕事は、「栗の渋皮煮」を作ること。1kgばかりの栗の実の鬼皮だけを丁寧に剥き、重曹を入れて煮てアクを抜き、今度は湯だけで煮て重曹を抜き、最後に少しずつ三温糖を加える、という、ひたすら忍耐力を鍛えるための作業を続けました。半日がかりの作業が終り、今は冷ましているところです。でも力を入れ過ぎて渋皮を破ったり、火加減が強過ぎて煮崩れたり、ほぼ例年通りの展開になりました。ブロークンはペーストにするから構わないけど、形を保ったまま煮上がるのが何粒あるか、ちょっと不安です。

ということで、声がかかったら迷わずすぐに顔を出した方がいいぞ>市内ないし近郊在住のゼミ関係者

今年の音楽活動

9月の下旬から今日まで、吹奏楽部定期演奏会用の編曲にかかりきりでした。今年のメインは、ガーシュウィンの『Catfish Row』組曲。オペラ『Porgy & Bess』からの抜粋ですが、これまで専ら19世紀以前の作品を扱っていた私の知識と経験では、とんでもない難物だと気づいた時にはもう泥沼。原譜どおりに音を鳴らすと、どう考えても気持ち悪い不協和音。でもジャズの要素を大胆に取り入れたこの作品だから、私程度の和声学的知識では理解不能の音が出て来てもおかしくないし・・・。何回ディスクを聞いても全く和音を聴き取れないという現実に、もう引退を考える時期が来たかと悩んだり。

手兵の技量も考え、かなり大胆なカットを施し、それでも必死の聴音で取った副旋律を書き込んだりで、予定より四日遅れで楽譜を脱稿しました。3.2GHzのCPUに1GBのメモリーを積んだ自宅マシンに、愛用の音源、MU500と鍵盤を直結し、20日以上、楽譜ソフトFimale2006だけを起動し続けて、ようやく完成した楽譜を部員に手渡しました。もう活字を読む元気もないので、明日から練習に出向くまでの数日だけ、休養します。

模様替え

一瞬だけ時間が空いたので、このブログのテンプレートを夏から秋に変えてみました。既にスタイルシートチェンジャーも用意してあるのですが、洒落たデザインなど作れるはずもなく、今回も宵闇書房さんの新作mapleを頂いて来ました。絵心のある人を、私は本気で尊敬しますです。

学園祭

今日明日の二日間、本務校で学園祭が開かれている。

例年、ゼミで行刑史関係の模型展示を続けて来たが、今年は人手不足で中止となり、連休を使って訪ねてくれる卒業生に会うため、研究室を開けた。生憎の天気で客の出足は期待できないが、私の研究室は来客が引きも切らず、学生用の椅子7脚では足りないくらい。

最初に顔を見せてくれたゼミ1期の最長老と連れ立って、手兵の吹奏楽部の演奏を聴き、部屋に戻って茶を飲み始めたところで、続々と卒業生が。ちょっと照れながら婚約者を紹介する者もあれば、ひたすら無沙汰を詫びる者も。私の在室確認のメール、電話などなど、席の暖まる暇なんてこれっぽっちもない。いつものOG3人が茶の用意をして遠来の先輩たちをもてなし、大きな机を埋めつくす手土産の菓子をつまみながら、楽しい茶話会は夕暮れまで続いた。

夜の月例夕食会まで、文字どおり時間を忘れる和やかな一日だった。ただ、11月末の定期演奏会に使う楽譜がまだ仕上がっていないことを除けば。あと二日で編曲が終るだろうか・・・。
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