2008.01.06 日曜日 21:52
それぞれの「座」
会津は冷たいみぞれが降っていた。ローカル線と新幹線、中央線の三線を乗り継いで6時間弱、陽は落ちてもまだ昼間の温もりの残る甲府に着いた。明日から新しい年の始動だ。
気丈だった母は、めっきり弱くなっていた。ニ週間一緒に過ごし、いざ出かけようというときの表情は、実に寂しそうで言葉がない。「猫5匹と一緒に移り住むか」と問うたが、息子に迷惑をかけてはいけないと思いこんでいるのだろう、答えは「否」であった。
この年末年始、当家にはほんの僅かの変化があった。会津に戻って最初の夜、食事の時間、母は私に、半年間空いたままの場所に座れといった。子供のころ、ふざけて座ると必ず母に怒られた、そこは父の「座」であった。格式も家産もないサラリーマン世帯でも、父の存在は家の中心であり、とても重いものなのだと教えこまれた、その「座」に座れと、母は言う。そこに然るべき誰かが座ってないと、寂しくて仕方がないのだろう。
私がその「座」に着くとほどなく、左右に猫が来て座った。かつて父がそうしたように、食卓から肉や魚をつまみ、大人しく待っている猫に与え、頭を撫でる。こいつらも、この「座」に誰かが座るのを待っていたのか。
責任などという当世風の薄っぺらい言葉では言い尽くせない何かを背負う、その覚悟が必要な場所が、私の「座」になった。
気丈だった母は、めっきり弱くなっていた。ニ週間一緒に過ごし、いざ出かけようというときの表情は、実に寂しそうで言葉がない。「猫5匹と一緒に移り住むか」と問うたが、息子に迷惑をかけてはいけないと思いこんでいるのだろう、答えは「否」であった。
この年末年始、当家にはほんの僅かの変化があった。会津に戻って最初の夜、食事の時間、母は私に、半年間空いたままの場所に座れといった。子供のころ、ふざけて座ると必ず母に怒られた、そこは父の「座」であった。格式も家産もないサラリーマン世帯でも、父の存在は家の中心であり、とても重いものなのだと教えこまれた、その「座」に座れと、母は言う。そこに然るべき誰かが座ってないと、寂しくて仕方がないのだろう。
私がその「座」に着くとほどなく、左右に猫が来て座った。かつて父がそうしたように、食卓から肉や魚をつまみ、大人しく待っている猫に与え、頭を撫でる。こいつらも、この「座」に誰かが座るのを待っていたのか。
責任などという当世風の薄っぺらい言葉では言い尽くせない何かを背負う、その覚悟が必要な場所が、私の「座」になった。