ささやかな楽しみ

会議と長距離移動を何週か繰り返しているうちに、体内時計が強い電磁波か謎の毒電波でも浴びたらしく、朝の6時になると問答無用で目が覚めてしまいます。しかもこの体内時計、「寝てから6時間」か「朝の6時」のどちらか早い方で作動しやがります。器用さが自慢でも、この時計には手も足も出ないし、生産性低下の言い訳は、もう何年分もストックしてあるからいらないんですが・・・・。

書斎のパソコンにインストしたWindows7ベータ版は、8月で期限が切れてしまうので、研究室でセットアップしたばかりのWindows7RCマシンを持ち帰りました。どちらも金沢で作った旧機種ですが、Windows7でならそれなりに使えることを確認しています(Vistaは論外ということで)。昨夜から、4台ほどマシンを起動して(←おいッ!)家庭内LANを通じてデータやら、設定情報やらをRCに送り込んでいますが、急ぐ時には絶対にやってはいけない作業ですね、これは。HDDを直に「移植」しても、別のOSのライセンス下にあるファイルへのアクセスは制約があり、高速な転送以前のレベルで躓きます。そこで時間はかかっても、Windows7ネイティブの「File Transport」を使うことにしました。時間はかかりますが、完了後は、以前の環境がそっくり再現されますので、最終的には楽かもしれません。

この「かなり長い間」を使い、試作開始から半年以上放置し、先月ようやく回路を確定した全段差動プッシュプルアンプを弄ることにしました。今回はラグを使ったユニットを配置するつもりですが、シャーシのサイズとの兼ね合いで、一度組んだB1電源を再検討しています。

そうこうしていたら、アマゾンから箱がひとつ。昨夜注文した「おもちゃ」が届いたようです。先日出席したある会議で実機を触らせていただき、数刻の熟考の末、手を出してみることにした「ポメラ」です。納品書を見ると「クロ」と書いてあるので、これを頼んだのでしょうが、色について考えた記憶は全くありません(笑)。まぁ、綺麗なピアノブラックだから、結果オーライです。

事前に仕入れた情報によると、オキシライドやエネループは動作はするものの保証対象外とか。もちろん気にせず入れようとすると、_| ̄|○単4かよ。

一瞬がっくり来ましたが、このあたりの電池は切らさず在庫してるから平気さ、と気を取り直し、書斎の隅から、単4アルカリを掘り出してきて装填します。内部メモリー保持用のボタン銀電池を動作させ、モニターを開くとこんな感じ。左横のボタンを押すと爪が外れ、「カチャッ」という感じでフルキーボードが出現します。このギミック感がたまりません(^^)。「サンダーバード」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」で育った世代故か、こういう「細工」が大好きなんです。

まだ短時間触っただけですが、使用感は至って良好、快適です。昔懐かしい80286や386を使った単機能モノクロノートパソコンを思い出しますが、画面が極端に小さいことを以外は、かつての、持って歩けば肩が抜けそうになるノートパソコンより、はるかに使いやすいと感じます。キーバインドはMS-IMEかATOKか、どちらかを選べますが、私の常用するIME(の配列)はMS-IMEの原型であるWXをアレンジしたもので、各種ショートカットキーも含め、ポメラのデフォに慣れるのも苦ではありません。かつての「ノート」にMS-DOSとWX2、Vzエディタを入れていた頃を思い出しています。

会議でのメモ取りを中心に使っていくことにしましょう。ネットはおろか、エディタ以外、遊べる機能が全くないから、生産性が上がるのではないかと期待しています。使いやすい道具があれば、少しは会議の苦痛が軽くなれば・・・、とは甘いでしょうか?

ところでこのポメラ、専用ケースは無駄に高い気がして買っていません。傷が付くといやだから、「きれいな」か「かわいい」袋が欲しいなぁ>瀧山

遥かな記憶

父の三回忌で実家に戻っています。

現任校に着任して間もなく父が最後の入院をし、それからは、あっという間の最後でした。訳の分からないうちに、さまざまな宗教行事が執り行われ、夏休みに入ったと思ったら、今度は母が病みついていました。以来、ほぼ月に一度の帰省です。今は小康を保っているとはいえ、低空を、徐々に高度を下げながら飛んでいるような母と、勝手気ままな猫×6の様子は、直に見ないと対応できません。

今年の現任校の忙しさは、これまでの二年間とはまったく異質なものになりそうな予感(悪寒?)で、この帰省のペースも変えざるを得ないでしょうが、どこかで手を抜くなりなんなりして(←おいッ!)、うまく乗り切ろうと考えています。


実家で、法事の準備で動き回る間に、普段どおりにネットでニュースサイトを巡回していたら、
宮城県警石巻署で伝承教養「デカルチャー」制定
〜若手警察官に各級幹部が実戦的教養を定期的に実施〜
という記事で目が点に。このサイトを見たのは初めてで、熟読すべきか、突っ込むべきか迷ったが、とりあえず今日はこの記事に乗ってみようかと。

さてこの記事、一般紙のベタ記事をひどく劣化させたような悪文で、正確に理解できたかいささか不安だが、どうやら、若手警官を対象とする、幹部による講習を定期的に行うということらしい。その講習(記事では「伝承教養」)を、デカとカルチャーの合成語「デカルチャー」と呼ぶ。恐らくは、団塊世代の大量退職に伴う警察組織全体としての能力低下に対応するため、若手の底上げを図ろうという試みと思われ、きわめて前向きな姿勢と評価できる。

が、このエピソードの最大の突っ込みどころは「デカルチャー」である。このネーミングの影には、あるいは力強く賛成し、あるいはニヤニヤしながら同意した私と同世代の幹部、中堅が無数にいたに違いない。だが、もしそうだとすると、「デカルチャー」という言葉は、あまり適当とは思えなくなる。

私と同世代で、ある種の文化的成果に親和性の高い一群は、この言葉を次のように理解する。すなわち、「あるべきではない」「触れてはいけない」「とんでもない」といった名詞として用い、主に助動詞「だ」の連体形「な」を伴って後に来る名詞を修飾する。あるいは体言止めで「ばかな」という否定的意味を強く含んだ慨嘆を意味する。

【用例】
「宮城県警では、そんなデカルチャーなことをしているのか?」
「ああ、○○○○だって、××××だってやってる!」
「デ、デカルチャ・・・」



おぼえる・・・
おぼえて・・・
おぼえて、いますか・・・
おぼえていますか・・・、これは!?


甲府に帰ったら、一日で四つも重なった会議の山を乗り越え、この作品の「LD」(DVDではない!)を引っ張り出して見ることにしよう。ミンメイよりも早瀬中佐のほうがいいよな、うん。

会津にて

なんだかほとんど住所地にいないんじゃないか、という気がしないでもない今日この頃。博多から戻って、どうにも気合が入らず、ルーティンワークを遺漏なくこなすのが精一杯という有様。脳の記憶領域、ないし思考領域がひどいフラグメント状態に陥ったような気分で、論理的、体系的思考に不自由する日々。商売柄、これは非常に拙い。なんとかしなければと思いつつ、あっという間に連休に。講義が休みになった30日、例によって会津に戻った。

今回の帰省は普段とは違う時間帯に移動したのだが、どこをどう間違ったのか、福島県内で2時間近いロスタイムが。間違ったのは私ではなく時刻表検索サイトのアルゴリズムを作った奴だ、と文句を言っても詮無く、新幹線を降りた郡山で最初の長い待ち時間。たまたま携帯サイトで見かけたパーツショップを探して歩くこと5分少々で、時間が止まったような店を見つけた。秋葉のガード下より遥かに広いが、品揃えと価格はかなり苦しい。でも、最近の基盤付きキットから真空管まで置いた店内を見ていると、妙な居心地のよさを感じてしまう。手持ちが切れていた小物を2、3品買って、ゆっくりと駅に戻る。

次に会津若松でまた長い待ち合わせがあるが、これは検索サイトのせいではなく、「喜多方から国会議員が出ないのが悪い」と言われて久しい。

7時間もかけて帰り着くと、健康と不健康の間を、やや健康寄りくらいまで回復した母と、あくまで他を省みない猫6匹が迎えてくれた。この進歩のない穏やかさは、実にありがたいと思う。

会津では、あちこちで満開の八重桜を見かけた。遅い春に似合いの、濃い紅が美しい。

Birthdayのメッセージを下さった皆さん、ありがとうございます。

珠洲に何が起こったか

またひと月近く放置してしまいました。金沢の卒業式から戻って現任校で卒業生を送り出し、研究室に大型の書架2台を受け入れ、整理も途中で里帰り。彼岸の諸行事に当たりました。

日常的に行き来する親戚と、親戚に準じる付き合いをする家が10軒弱あり、そのうち彼岸のお参りが必要な家が5軒前後あります。お中日には、これらの家の惣領が一斉に相互訪問をするので、妙な「たすぎがけ」が起こったりします。その家の仏壇に線香を焚くという儀式が、円滑な交際を維持する必要条件ですから、喜多方市の、主として北部に散らばる家々を目指してひたすらドライブします。

春まだ浅い会津の山里を訪うて

  山嗤い 人泣き 空の黄色かな

生まれて初めて、猛烈な鼻炎に襲われました。親戚中で一番山の奥にある家には、別件もあって2度行きましたから、思いっきり山に嗤われた気分です。

甲府に戻ると、慌ただしく日程をこなすうちに新学期が始まりました。静かだった春休みが恋しい気もしますが、やはり学生がいて初めて大学といえるでしょう。


昨日あたりから、「アナログ先行停波」の話題を聞くようになりまして、今日、総務省のHPで公式発表を見ました。地デジ完全移行を前に、
事前に小規模なエリアで実際にアナログ放送を終了することにより、アナログ放送終了に当たって生じ得る課題の抽出を行い、2011年の全国一斉終了の際の対策検討に役立てる
ことを目的に停波のリハーサルをするというのです。

世界同時不況で、アメリカでは完全移行を延期することが決まりましたし、対応テレビやチューナーの普及が伸びない我が国でも、延期になるのではないかと思っていたのですが、総務省は当初の計画通りの停波を強行したいようです。停波強行でテレビの需要を作り出し、業界に貢献するつもりなのでしょう。

不景気という『イメージ』を実態の悪化につなげるのは、消費の冷え込みですから、無理矢理にも需要を作るのも意味なしとはしませんが、対象がテレビでは、コストが高すぎるような気がします。ホームセンターで10000円未満で買えるアナログテレビではなく、数万円の国産テレビを買わなければなりません。B-CASという謎の集金団体が極めて不当な制限を実施したため、対応機器を自由に作ることが出来ず、安価な輸入品に頼ることが出来ないのです。選挙が終われば補助金などという話も立ち消えるでしょうから、買い時を量るのも大変です。

そして何より、テレビを楽しみにしている高齢者や子供たちには、停波、移行が分かり難すぎるからくりだということが、どうにもいただけません。

実験場の募集に手を挙げた自治体がいくつかあったといいますが、見返りは何なのか、非常に気になります。能登半島の突端に位置し美しい海に恵まれた珠洲は、その綺麗な名前とは裏腹に、原発を争点とする選挙で市を二分する対立が起こり、明治時代の内務省も泣いて身を引きそうなでたらめなが行われたところです。そして原発誘致に決ったものの、電力会社が計画を撤回してしまい、以来、経済の停滞が著しいと聞いています。何の目算があって、停波の実験に手を挙げたのでしょうか。

私がよく知っている珠洲出身者を思い浮かべてみました。その人物なら、自治体によるあらゆる広報努力にもかかわらず、テレビが映らなくなって初めて、近所の電気屋に電話しそうな気がします。そんなのどかな田舎町で、何が起こったのか、これから起こるのか、注目してみましょう。

早春の金沢にて

詩的なタイトルだな〜。

加賀百万石の城下町金沢。維新までは、江戸、大坂に次ぐ日本三位の人口を擁し、工芸分野をはじめ、優れた文化を育んだ。今日、「小京都」という表現も見かけるが、小振りの京都などではない。他のどことも違う「金沢」という街なのだ。

今でも金沢は、京、大坂、江戸、そして廻船の寄港する港町の風情を湛える。しかし、どこにも似ていない。どこからも距離的に遠いのだ。今日、金沢には、都会に迫る勢いで人や物が集まる。「最新」「最先端」を求めなければ、とりあえず金沢でなんでも揃う。どこからも遠いから、気安く出かけていけないから、集めてくる意味がある。しかも藩政期以来の伝統で文化に対する受容性が高いから、雑多な物が蝟集しても俗化しきることがない。

要するに、新しい物も大概あって不便を感じることは決してないが、古い物、伝統ある物、文化的な物は、外来の新しい物と対立せず、そのままそこにあり続ける、そういう街なのだ。悲恋の発端や、愛憎の果てにある殺人の舞台に選びたくなる、詩情をかきたててくれる街なのだ。

金沢で、前任大学の卒業式に行った。二年前、オーケストラピットで私の指揮を食い入るように見つめた部員たちが卒業する。彼ら、彼女らの演奏を、初めて客席から聴いた。一つの曲に賭ける熱誠のようなものは、おそらく二年前の方があっただろう。だが技術面では長足の進歩が見られた。遙々出向いた甲斐があった。彼ら彼女らの前途洋々たらんことを。

丸二日半、金沢に滞在し、二度の夕食はゼミのOBOG諸君と再会して、楽しい時間となった。奥の束ねT嬢の功績は相変わらず大きい。食べ物が美味いのはうれしいが、集まってくれる面々と、約一年ぶりという時間を感じさせない和やかな会話が、またうれしい。二日目には、M(夫人)が、昨年生まれた長男を連れてきた。何人目かの「内孫」(「ゼミ生の子供」の意)だ。お約束で抱いてみるが、猫と違ってどう抱いて良いやらわからず、すぐに母親に戻す。ゆっくりと進む会食の間、一度も泣くこともなく(外面が良い)、でもちょっと油断するとテーブルに手をかけ、器をひっくり返して母親をパニックに陥れる(実は意地悪)など、母親であるMに似ているらしい(笑)。

二度の昼食は、「うどんこ」で存分に楽しんだ。温冷それぞれのうどんの風味と、絶妙な出汁は、他の追随を許さぬ絶品といえる。今春、ご主人と女将さんの長女が国立大に合格するという慶事も重なり、会話もまた弾む。姉さん(女将さんのこと)は直前に電話で私の予定を確認し、私の好物だったゴボウの天ぷらを作って待っていてくれた。

笹掻きゴボウのかき揚げ。かけうどんの出汁を吸うと得も言われぬ美味さで、私が金沢に住んでいた頃は、冬期間限定ではあるが通常メニューだった。だがこの天ぷらは、下ごしらえに手間がかかりすぎる。限られた人手では対応しきれなかったのか、この冬、ゴボウのかき揚げは店頭に並ばなかった。私と同様にこの天ぷらが好きな吹奏楽部員が頼み込んでも、駄目だったという。ところが二日間だけ、この天ぷらが店に並んだ。事情を知るバイト学生は「奇跡の二日間」と呼んだ。

二年の歳月で、街はずいぶん、その姿を変えた。だが、大好きな人々の温かさと、暮らしにくくて仕方ないメチャクチャな天気は、少しも変わらず、手厚く、手荒く歓迎してくれた。次はいつ、遊びに行こうか。

加賀へ・・・

春未だ浅い日本海を目指し、何故旅立つというのか・・・

いゃ、決してドラマチックな、あるいは2時間ドラマ的な展開を期待しているわけではなくf(^_^;、卒業式を迎える教え子たちを見送るため、1年ぶりに加賀を訪ねます。昨年は、本務校の卒業式と時間までバッティングし、果たせなかった約束。今年は少々駆け足になりますが、週末を加賀で、週明けは甲斐で卒業式に臨みます。

私にとって、前任校での「卒業式」は「音楽」そのもの。苦楽を共にしたメンバーたちとの最後の演奏会でした。自由や勝利をテーマに曲を選び、アレンジを書き、たっぷりと演奏するのです。練習は本来の演奏会よりも厳しく、でも種々の制約もあって、満足できるレベルにはなかなか到達できませんが、それでも毎年、真っ黒に波打つ楽譜で部員たちを凍らせるのが楽しみでした(笑)。

今年の曲は、ずいぶん以前に書いたアレンジで「アイーダ」の凱旋行進曲だとか。途中、難しい転調がありますから奏者一人ひとりの音感が問われることになります。まぁ、楽しみにしていましょう。

ということで、週末は留守です。

ついでに事務連絡を一つ。このところのspamの多さに耐えきれず、メールサーバーのチェックレベルを上げました。引っかかったメールは自動受信されなくなります。もしも有用なメールが引っかかっても、一日に数回、spamの溜まり具合を見に行くまで発見されません。もしも「返信が遅い」という場合でも、長い目で見てやって下さい<(_ _)>>各位

上巳

甲府盆地で桃が咲くのはまだ先だが、カレンダー(暦に非ず)では今日が3月3日。日本、否、世界の景気のように曇りが続き、節句の気分も盛り上がらない。でも、何もしない(すなわちゼロ)、あるいは縮小する(マイナス)方向に進むことは、現下の経済・財政無策の行き着く果てを認めるようなもので、断じて避けねばならない。

(力こぶを作るような場面ではないが)愛着ある『猫舎のお雛様』を出した。

雛あらば娘あらばと・・・。いや、それ以前に問題が・・・・。

蔵書

湯河原に行ってきた。

曽村保信先生旧蔵書の整理のためだが、前回お宅にお邪魔したのは二年以上も前で、奥様にお目にかかるのも約一年半ぶりとなってしまったが、先生の御在世中と少しも変わらず、温かく迎えていただいた。

すでにかなりの量の本を、私を始め幾人かの研究者がお預かりしているが、先生がお使いになるはずだった真新しい書斎では、まだ三〇本以上の本棚を埋め尽くす書籍が、静かに時を刻んでいる。隣の物置には、相当数の段ボール箱の中に、書斎に入りきらなかった本が眠っている。貴重な研究書群をまとめて引き取ってもらえる組織、機関を検討するという目的もあり、同僚O師とともに、改めて先生の書架を眺めた。

先生の学問的興味は非常に広範囲に及んでいるが、特に、中国政治に関しては、神話の時代から現代の共産党政治まで、まさに無数の書籍が並んでいる。さながら、中国研究センターの様相だ。その周辺に、中国以外の政治、海軍を主とする軍事関連の本が、再び開かれる日を待っている。

この膨大な蔵書は、碩学と呼ぶにふさわしい先生の頭脳そのものだ。個々の本が脳細胞で、それを結びつける哲学がシナプスにあたる。凡庸な私の頭ではその全貌を思い描くことすらできない、小宇宙がそこにあった。

前任大学在職中から、先生には大変に可愛がっていただいた。江戸の研究書を中心に、多くの文献を頂戴した。そして今日、遺品となってしまった本の管理に関わらせていただけるのは、実にありがたい。ただ、もっともっと、親しくお教えを賜りたかったと、穏やかな春の海を眺めつつ、そう思った。

お呼ばれ

相変わらず、不定間隔で細かい用務が入り、どうにも落ち着かない毎日です。まぁ禍福は糾える縄のごとしですから、あごが出るほど忙しい思いをすれば、その分良いこともあるはず。ということで昨日は久しぶりに、クゥエート大使館主催の建国記念パーティーにお呼ばれしてきました、

超ドメスティックな専門の私が何故中東か、ということはひとまず置きましょう。かの国と我が国の友好親善に力を尽くす、などという高邁な理想はあいにく持ち合わせがなく、アラビア語なんか全〜然わからないけど、帝国ホテルで和洋食に加えて中東の料理まで食べられる、というありがたいご招待を頂くので、招待してくれた大使館スタッフに感謝しつつ、おいしく頂戴してくるわけです。ここ数年、私側の事情と大使館側の事情が輻輳してお邪魔できないでいましたが、久しぶりにお招きに預かり、大変に楽しく過ごしてきました、会場では大使をはじめ大使館幹部に表敬し、話しかけられなければひたすら食べることに打ち込んでいましたが、今回はついでに中東通の元大臣やら、このところやや影の薄い野党のH議員を生で見ることもできました。握手する気にはなれませんでしたが。

なお今回はちょっと早めに都内に入り、2時間ほど"La Folle Journée au Akiba"を楽しみました。

今回は時間が限られていたため、秋葉と帝国ホテルのほかは、道筋の茶店程度しか寄れませんでしたが、もう少し暖かくなったら、脳みその栄養を補給するため、定期的に都に出ようか、などと考えています。

poco a poco

最近、というかここ半年くらい完全に継子扱いになっているこのblogですが、ふと思い出してjs_refererのリストを見てみたら、トップテンのうち9項目が真空管オーディオ関連でした( ̄ー ̄;)ゞポリポリ。オーディオ関連のエントリも止まったままで、下手すると1年の周回遅れに陥りそうです。でもちゃんと作ってはいるので(・O゜)☆\パコッ!、追々エントリを起こしましょう。

法律関連情報の入手先として不可欠なボ2ネタで、裁判員制度に関する報道やら意見やら、目にしない日はないほどですが、どうもネガティブな論調が強いように感じます。これもそのうち、まとめと展望をエントリにしなくてはいけないと思い始めました。

昨日から「高速バス車内で裁判官がお触り逮捕」なんて事件に関する報道が目立っています。「ストーカー判事」が罷免されたばかりで、「また裁判官か」というトーンが出てくるのは当然です。もしも事実なら厳しく非難されてしかるべき、破廉恥甚だしい非行ですが、上述のようなリードを書いている報道関係者は、ある意味、もっと廉恥を欠いた存在といえましょう。本件はまた起訴もされていないのに、推定有罪を貫く報道姿勢は見下げ果てたものです。裁判員制度が始まったら、余談を与えるような報道は厳しく規制されなくてはなりません。報道関係者は事実を冷静に伝えるお稽古をしておかないと、5月以降大変なことになります。それとも、裁判員裁判の対象にならない量刑の軽いケースは、これまで以上にドラマチックに報道するつもりでしょうか。

少しずつですが、黒いTodoリストが灰色っぽく見えてきました。するととたんに、考える、作る、読むといった好きなことに意識が向き始めました。

明日から週明けまで、会津に帰ります。急ぎのご用は携帯で、普段のご用はメールにてお受けします。
calendar
<< 葉月 2025 >>
SunMonTueWedThuFriSat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
selected entries
categories
archives
recent comments
recent trackbacks
profile
others