遥かな記憶

父の三回忌で実家に戻っています。

現任校に着任して間もなく父が最後の入院をし、それからは、あっという間の最後でした。訳の分からないうちに、さまざまな宗教行事が執り行われ、夏休みに入ったと思ったら、今度は母が病みついていました。以来、ほぼ月に一度の帰省です。今は小康を保っているとはいえ、低空を、徐々に高度を下げながら飛んでいるような母と、勝手気ままな猫×6の様子は、直に見ないと対応できません。

今年の現任校の忙しさは、これまでの二年間とはまったく異質なものになりそうな予感(悪寒?)で、この帰省のペースも変えざるを得ないでしょうが、どこかで手を抜くなりなんなりして(←おいッ!)、うまく乗り切ろうと考えています。


実家で、法事の準備で動き回る間に、普段どおりにネットでニュースサイトを巡回していたら、
宮城県警石巻署で伝承教養「デカルチャー」制定
〜若手警察官に各級幹部が実戦的教養を定期的に実施〜
という記事で目が点に。このサイトを見たのは初めてで、熟読すべきか、突っ込むべきか迷ったが、とりあえず今日はこの記事に乗ってみようかと。

さてこの記事、一般紙のベタ記事をひどく劣化させたような悪文で、正確に理解できたかいささか不安だが、どうやら、若手警官を対象とする、幹部による講習を定期的に行うということらしい。その講習(記事では「伝承教養」)を、デカとカルチャーの合成語「デカルチャー」と呼ぶ。恐らくは、団塊世代の大量退職に伴う警察組織全体としての能力低下に対応するため、若手の底上げを図ろうという試みと思われ、きわめて前向きな姿勢と評価できる。

が、このエピソードの最大の突っ込みどころは「デカルチャー」である。このネーミングの影には、あるいは力強く賛成し、あるいはニヤニヤしながら同意した私と同世代の幹部、中堅が無数にいたに違いない。だが、もしそうだとすると、「デカルチャー」という言葉は、あまり適当とは思えなくなる。

私と同世代で、ある種の文化的成果に親和性の高い一群は、この言葉を次のように理解する。すなわち、「あるべきではない」「触れてはいけない」「とんでもない」といった名詞として用い、主に助動詞「だ」の連体形「な」を伴って後に来る名詞を修飾する。あるいは体言止めで「ばかな」という否定的意味を強く含んだ慨嘆を意味する。

【用例】
「宮城県警では、そんなデカルチャーなことをしているのか?」
「ああ、○○○○だって、××××だってやってる!」
「デ、デカルチャ・・・」



おぼえる・・・
おぼえて・・・
おぼえて、いますか・・・
おぼえていますか・・・、これは!?


甲府に帰ったら、一日で四つも重なった会議の山を乗り越え、この作品の「LD」(DVDではない!)を引っ張り出して見ることにしよう。ミンメイよりも早瀬中佐のほうがいいよな、うん。

comments

sakakibara | 2009/06/11 09:13 AM
先生 こんにちは

早瀬中佐に1票です
夏、お世話になりますm(__)m
Hara | 2009/06/11 11:47 AM
sakakibaraさん、コメありがとうです。

結局またすぐに移動しなければならないので、今週、LDを観るのは諦めましたが、近いうちに、飲み物とジャンクフードでも揃えてじっくりと鑑賞します。「バルキリーから射出されるタコハイトバドワイザーの缶」を見るたび、アニメーターの遊び心ににんまりするのがお約束です。

そうそう、会議は5つに増えました。
_| ̄|○

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