早春の金沢にて

詩的なタイトルだな〜。

加賀百万石の城下町金沢。維新までは、江戸、大坂に次ぐ日本三位の人口を擁し、工芸分野をはじめ、優れた文化を育んだ。今日、「小京都」という表現も見かけるが、小振りの京都などではない。他のどことも違う「金沢」という街なのだ。

今でも金沢は、京、大坂、江戸、そして廻船の寄港する港町の風情を湛える。しかし、どこにも似ていない。どこからも距離的に遠いのだ。今日、金沢には、都会に迫る勢いで人や物が集まる。「最新」「最先端」を求めなければ、とりあえず金沢でなんでも揃う。どこからも遠いから、気安く出かけていけないから、集めてくる意味がある。しかも藩政期以来の伝統で文化に対する受容性が高いから、雑多な物が蝟集しても俗化しきることがない。

要するに、新しい物も大概あって不便を感じることは決してないが、古い物、伝統ある物、文化的な物は、外来の新しい物と対立せず、そのままそこにあり続ける、そういう街なのだ。悲恋の発端や、愛憎の果てにある殺人の舞台に選びたくなる、詩情をかきたててくれる街なのだ。

金沢で、前任大学の卒業式に行った。二年前、オーケストラピットで私の指揮を食い入るように見つめた部員たちが卒業する。彼ら、彼女らの演奏を、初めて客席から聴いた。一つの曲に賭ける熱誠のようなものは、おそらく二年前の方があっただろう。だが技術面では長足の進歩が見られた。遙々出向いた甲斐があった。彼ら彼女らの前途洋々たらんことを。

丸二日半、金沢に滞在し、二度の夕食はゼミのOBOG諸君と再会して、楽しい時間となった。奥の束ねT嬢の功績は相変わらず大きい。食べ物が美味いのはうれしいが、集まってくれる面々と、約一年ぶりという時間を感じさせない和やかな会話が、またうれしい。二日目には、M(夫人)が、昨年生まれた長男を連れてきた。何人目かの「内孫」(「ゼミ生の子供」の意)だ。お約束で抱いてみるが、猫と違ってどう抱いて良いやらわからず、すぐに母親に戻す。ゆっくりと進む会食の間、一度も泣くこともなく(外面が良い)、でもちょっと油断するとテーブルに手をかけ、器をひっくり返して母親をパニックに陥れる(実は意地悪)など、母親であるMに似ているらしい(笑)。

二度の昼食は、「うどんこ」で存分に楽しんだ。温冷それぞれのうどんの風味と、絶妙な出汁は、他の追随を許さぬ絶品といえる。今春、ご主人と女将さんの長女が国立大に合格するという慶事も重なり、会話もまた弾む。姉さん(女将さんのこと)は直前に電話で私の予定を確認し、私の好物だったゴボウの天ぷらを作って待っていてくれた。

笹掻きゴボウのかき揚げ。かけうどんの出汁を吸うと得も言われぬ美味さで、私が金沢に住んでいた頃は、冬期間限定ではあるが通常メニューだった。だがこの天ぷらは、下ごしらえに手間がかかりすぎる。限られた人手では対応しきれなかったのか、この冬、ゴボウのかき揚げは店頭に並ばなかった。私と同様にこの天ぷらが好きな吹奏楽部員が頼み込んでも、駄目だったという。ところが二日間だけ、この天ぷらが店に並んだ。事情を知るバイト学生は「奇跡の二日間」と呼んだ。

二年の歳月で、街はずいぶん、その姿を変えた。だが、大好きな人々の温かさと、暮らしにくくて仕方ないメチャクチャな天気は、少しも変わらず、手厚く、手荒く歓迎してくれた。次はいつ、遊びに行こうか。

加賀へ・・・

春未だ浅い日本海を目指し、何故旅立つというのか・・・

いゃ、決してドラマチックな、あるいは2時間ドラマ的な展開を期待しているわけではなくf(^_^;、卒業式を迎える教え子たちを見送るため、1年ぶりに加賀を訪ねます。昨年は、本務校の卒業式と時間までバッティングし、果たせなかった約束。今年は少々駆け足になりますが、週末を加賀で、週明けは甲斐で卒業式に臨みます。

私にとって、前任校での「卒業式」は「音楽」そのもの。苦楽を共にしたメンバーたちとの最後の演奏会でした。自由や勝利をテーマに曲を選び、アレンジを書き、たっぷりと演奏するのです。練習は本来の演奏会よりも厳しく、でも種々の制約もあって、満足できるレベルにはなかなか到達できませんが、それでも毎年、真っ黒に波打つ楽譜で部員たちを凍らせるのが楽しみでした(笑)。

今年の曲は、ずいぶん以前に書いたアレンジで「アイーダ」の凱旋行進曲だとか。途中、難しい転調がありますから奏者一人ひとりの音感が問われることになります。まぁ、楽しみにしていましょう。

ということで、週末は留守です。

ついでに事務連絡を一つ。このところのspamの多さに耐えきれず、メールサーバーのチェックレベルを上げました。引っかかったメールは自動受信されなくなります。もしも有用なメールが引っかかっても、一日に数回、spamの溜まり具合を見に行くまで発見されません。もしも「返信が遅い」という場合でも、長い目で見てやって下さい<(_ _)>>各位

晴れてもオーディオ機器を作る

私は、ありがたいことに頂き物が多い、と思う。何故かと考えていたら、「大げさなくらい喜ぶからじゃないか」という意見があった。貰い物はうれしいから、素直な感謝を伝えているつもりだし、そうしないのは礼を欠く。「何かのついで」や「行きがかり」で貰い物をしてもうれしいものはうれしい。ましてや、わざわざ用意したものを頂いたりしたら、そりゃ「大げさ」なくらいうれしいのは当然だと思う。他人様に何か差し上げる時も、自分が頂戴したら、と、頭のどこかで考えている。

物のやりとりを介さなくても、思い遣りと感謝は、人間関係の基本だ。なのに、絶対に役立つものをくれる、といっているのに感謝一つされない我が国の首相が哀れでならない。景気対策として、どうしようもなく時宜を失したことは疑いないが、やはり徳が低いことの報いというべきか。

12000円もらったら、ちょっと足して、トランスを買おう(笑)


6B4Gシングルアンプを作る(その3)

前回、Audioカテゴリーのエントリを起こしたのは去年の10月。その後、アンプ作りを断念したわけではない(実際作ってるし(^_^;ゞ)が、真っ黒なTodoリストを眺める日々に、「作って」「楽しんで」「エントリを起こす」ところまで行かなかった。だが、そろそろ1年の周回遅れとなり、次のアンプを楽しく作るためにも、止まっているエントリを再開する決心をした次第。

信号系の構想がまとまり、同時並行していた電源系も、ちょっと面白いアイディアが浮かんだ。328Aトランスプリに5U4Gという大振りな整流管を使った。その後、短い間に数種類の整流管を手にした。オクタルベースでそのまま差し替えができるものも、4PのUXタイプもあった。そんな中で、特に興味を引かれたのがCK1006と83という二種類だった。CK1006はガス入り整流管と呼ばれる光り物、83は水銀整流管だという。5U4Gとはちょっと違うらしい。

スペックシートによると、Ck1006はEf=1.7V または0Vで動作するとある。0Vの場合は70mA以上を流す必要があるが、6B4Gを2本鳴らすなら70mAくらい楽にクリアする。83は、後年ゲッタタイプが作られたが、当初は水銀が封入され、フィラメントの熱で水銀が気化し、その状態で熱電子が飛ぶらしい。これにはプリヒートが必須だから、スタンバイスイッチかタイマー回路を組み込むことになる。83のEfは普通の5Vだが、1006はどうするか。ベースはともにUXだ。

普段使いの5U4G、ハレの(←おいっ!)83とCK1006を差し替えできるようにするためには、8Pと4Pの二種類のソケットを付け、フィラメントは5Vをon-offできるようにする。主電源とは別に、B電圧を単独で切れるようにし、結果的にA電源のみ働く状態でプリヒートが可能だ。結果、次のような電源回路第一案を得た。


整流管は当然、一本だけ使う。83とCK1006の使い分けはフィラメントの5Vで切り替える。整流管の直後にくるコンデンサは大きなフイルムコンで、チョークの後に大容量の電解コン。300V以上のB1と、250V程度のB2を取り出し、SRPPだから100V弱のヒーターバイアス電圧も用意する。

抵抗がほぼ空白になっているのは、実際のところカットアンドトライで決めたからで、他意はない。また6B4Gの直流点火回路、6SL7のヒーターへの回路は省略。

ここまで考えがまとまったところで部品を発注。数日で全部そろった。レイアウトはこんな感じに

上巳

甲府盆地で桃が咲くのはまだ先だが、カレンダー(暦に非ず)では今日が3月3日。日本、否、世界の景気のように曇りが続き、節句の気分も盛り上がらない。でも、何もしない(すなわちゼロ)、あるいは縮小する(マイナス)方向に進むことは、現下の経済・財政無策の行き着く果てを認めるようなもので、断じて避けねばならない。

(力こぶを作るような場面ではないが)愛着ある『猫舎のお雛様』を出した。

雛あらば娘あらばと・・・。いや、それ以前に問題が・・・・。

蔵書

湯河原に行ってきた。

曽村保信先生旧蔵書の整理のためだが、前回お宅にお邪魔したのは二年以上も前で、奥様にお目にかかるのも約一年半ぶりとなってしまったが、先生の御在世中と少しも変わらず、温かく迎えていただいた。

すでにかなりの量の本を、私を始め幾人かの研究者がお預かりしているが、先生がお使いになるはずだった真新しい書斎では、まだ三〇本以上の本棚を埋め尽くす書籍が、静かに時を刻んでいる。隣の物置には、相当数の段ボール箱の中に、書斎に入りきらなかった本が眠っている。貴重な研究書群をまとめて引き取ってもらえる組織、機関を検討するという目的もあり、同僚O師とともに、改めて先生の書架を眺めた。

先生の学問的興味は非常に広範囲に及んでいるが、特に、中国政治に関しては、神話の時代から現代の共産党政治まで、まさに無数の書籍が並んでいる。さながら、中国研究センターの様相だ。その周辺に、中国以外の政治、海軍を主とする軍事関連の本が、再び開かれる日を待っている。

この膨大な蔵書は、碩学と呼ぶにふさわしい先生の頭脳そのものだ。個々の本が脳細胞で、それを結びつける哲学がシナプスにあたる。凡庸な私の頭ではその全貌を思い描くことすらできない、小宇宙がそこにあった。

前任大学在職中から、先生には大変に可愛がっていただいた。江戸の研究書を中心に、多くの文献を頂戴した。そして今日、遺品となってしまった本の管理に関わらせていただけるのは、実にありがたい。ただ、もっともっと、親しくお教えを賜りたかったと、穏やかな春の海を眺めつつ、そう思った。
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