釈然としない

実家に、地元自治体から19年度分の公租公課の領収通知が届いていた。固定資産税、母の健康保険税、そして父宛に住民税。引き落としは、父が亡くなった2週間後から始まっていた。課税基準日は1月1日だから、半年後に死亡した父に課税されるのは仕方がない。父は5年以上煩っていたため、家計の管理は母名義の口座で行うよう変更しておいた。父名義の銀行口座なら引き落としができない時点で何か言ってきただろうが、母の口座からだから、あっさりと引き落しが完了し、母が入院のため留守している間にその旨通知が届いた。

制度上、何等の問題もない行政行為だが、この通知を母に見せるのは止めておこうか。退院して家に戻ればすぐに溜まった郵便物を開くだろう。その時こんな通知が目に入ったら、と思うと情において忍びない。

ガソリン税が囂しい。「日本のガソリンは税金のせいで高い」とは、およそ誰でも知っている話だが、実際どの程度税金なのかは知られていなかった。それが今回のドタバタではっきりと知られてしまった。禁断の果実の味を知ってしまった気分だ。道路整備に金が必要なのは誰でもわかる。だが、「地球が滅亡するまでかかっても絶対に償却できそうもないガラガラの高速道路」なんか作ってもらっても、地権者と土建屋と天下り役人以外は喜ばない。まして、次々と見つかる無駄づかいを見れば、増税止むなし、と心底思える人の比率は否応なく下がる。

ガソリンをはじめ、ナシでは済まされないエネルギーの値上げが迫ってくる。かつての狂乱物価の再来かと思うと、実に恐ろしい。年金暮らしの母は大丈夫だろうか。小麦もバターも、どうしようもないレベルまで上がっていきそうだが、「バター輸入枠前倒し」以外に、政府が対応策を打った、あるいはせめて検討する、といった話が全く聞こえないのは何故か。

花を叩き折るオヤジの姿が放映された。情けなくて涙も出ない。花盗人が咎められなかったのは何故か。愛でる心の一片もなく傘を振り回すオヤジの行為は、殺戮に等しい。抱卵中の野鳥を打ち殺すに至っては、もはや言葉もない。加害者はきっと、この話しを聞いて心を痛めたほとんどの日本人に共通するイメージで間違いないだろうが、そんな奴らを産み出したのが我々の日本の社会かと思うと、切なさを通り越す。

どうしてこんなに、徹頭徹尾、優しくない国になってしまったのだろうか。「道徳」が嫌いな方々も、「人情」なら文句は言うまい。世の人情が紙よりも薄くなってしまったのなら、学校で教えてでも次の世代に伝えなければならない。このままでは、国の行く末は真っ暗に思えるのだ。

今年何度目の帰省だろう

25日金曜日、朝から電車で移動する。中央線からの乗り換えは何度となく経験したが、初めて、遅延のために予定した列車に乗り継げないという、最悪のパターンを経験した。気象変動や事故などわかりやすい理由ではなく、ラッシュの余波による遅延。春先、ラッシュに不慣れな新人が、すし詰めなりの秩序を乱し、数秒から数十秒ずつの遅れがやがて10分単位の遅延につながる。かつては毎年、山手線で経験したありがたくない春の風物(?)を、こんな場面で味わいたくはなかった。しかも乗換駅では駅員のいない窓口と長蛇の列。後日、機会を見て然るべく対応してくれようぞ。

会津に戻る前、郡山で入院している母を見舞う。もう一月半も入っているから病人も心配だが、こちらは親身なドクターが事細かに経過を話してくださるので、信頼して任せる以外のチョイスはない。それより心配なのは留守宅。毎日ご近所さんにお願いして猫の餌を足してもらっているが、猫だけで留守をさせればどういうことになるか・・・。

病院に行ってみると、月末に退院の可能性が出てきたという。安堵の胸をなでおろすと同時に、30日に出校しなければならない私に代わって母を迎えに行ってくれる親戚を頼まなければならない。なんとも間の悪いことよ。

ドクターから丁寧な説明を受け、やや長めの見舞いを終えて、ダイヤ改正のたびに不便になる磐越西線で会津へ。日のあるうちに帰り着いたが、家の荒れようは想像を絶する。なんといっても、外飼いの猫たちを自由に出入りさせるため、野良猫も自由に入り込んでしまう。帰宅して、臭気を少しでも抜くために窓を開けて回ると、家の一番奥、母の寝室で、猫たちのために用意しておいた寝床にでかい野良猫が我が家のように寛いでいる。私に気が付き、驚いて体を硬くする奴と私の距離は約2メートル。障害物が多すぎるし、投げつけるものも手にはない。攻撃手段を探す一瞬に、奴は母のベッドの下に逃げ込んだ。

大きなごみを取り除け、掃除機をかけ、厚手の除菌ウェットティシュであちこちを拭いて回る。母の寝室に戻ると、奴の姿はない。更に掃除を続けていくと、母の寝室のもっとも奥、本棚の上に奴が隠れているのに気づいた。奴が逃げようとすれば、私に向かってくるしかない。見回すと、1mのものさしが。これなら仮に奴にヒットしても、怪我する恐れもない。奴に逃げ道を与えつつ、しかし人間は怖いと思わせる程度の攻撃に踏み切る。

飛び出して、一目散に逃げていく奴が家から出た瞬間、やはりうちの餌を狙う別の野良(近所では狸と通称される嫌われ者)と鉢合わせし、野良同士でものすごい喧嘩が。後から出てみると、現場には狸の毛が大量に抜け落ち、黒が優勢であったことがわかる。長く近所のボスだった狸の影響力に陰りがでたということか。

一部始終を安全なところから見ていた次女、三女、長男がなにやら文句を言いながら寄ってくる。「撫でろ」「ごはん」はわかるが、あとは何を言っているかわからない。キャットフードを何種類か開けると、がつがつと食いつく。野良に気おされて食べるに食べられなかったのか。食べるとまた、なにやら大声で文句を言いながら寄ってくる。

随分遅い時間になって残りの二匹も現れ、全員の無事を確認。長女だけがキッと私を睨み、触らせてくれないが、他の四匹はくっついて離れない。こいつらを適当にあやしながら、数日間で荒れ果てた家をなんとかする、という、とんでもないミッションがスタートした。

またしてオーディオ機器を作る

・ガートナーが面白い意見を唱えているようだ。確かに、OSが何であるかは大きな問題ではなくなりつつある。かつて自社ネットを立ち上げ、「世界中のユーザーが加入し、結果インターネットは不要になる」とほざいたどこぞのソフト会社が、ネット検索の大手を買収しようとするだけで、十分に皮肉だ。

憧れの送信管アンプ(その7)

アンプのパーツを入手するためにネットオークションを利用するようになった。秋葉原でさえ、古いデバイスを扱う店が減り続けている現状では、「商品」と成り得るものを持っている個人から購入するというチャンネルは貴重かもしれない。オークションの仕組みで、土壇場で価格が上がったり、惜しいところで買い逃したり、まぁいろいろあるが、新年早々大きめのスピーカを入手し、SV-2の圧倒的な情報量を音圧に換えることが出来るようになった。機械を置いたリビングは、リスニング向けの間取りではないためセッティングが悩ましいが、とにかく以前とは比較にならない音が出て来ることは事実で、小型の真空管システムを用意した書斎は、「暖房がもったいない」という心にもない理由で使われなくなり、リビングにノートパソコンを持ち出して、音楽を浴びながら仕事をするのが習慣になった。

ネットを泳いでいると色々な情報が手に入るが、SV-2のNFB(負帰還という歪み打ち消し、周波数特性改善技術)レベルを可変にするという改造を試みた方が何人かいらっしゃるようで、その中のお一人の方法を真似してみようと思い立った。測定器を持たない素人がやみくもに手を出すと、せいぜい発信して慌てて電源を落すのが関の山、という難しい改造だが、同じ回路で実験した結果がアップされているから、かなり安心して挑戦できる。
チョークコイルの間にある放熱穴からリード線を引き出し、帰還抵抗を露出させる。
抵抗は端子板で接続し、抵抗を取り替えては音を出し、帰還の掛り具合を確かめる。数種類用意しておいた抵抗の中から、現在のシステムで好ましい音質を聴かせてくれたものを選び、標準仕様のもの、そして帰還をOFFにする設定の三種類をスイッチで切り替えることにする。パーツ箱から6Pセンターオフのトグルスイッチを引っ張り出し、ネジの径を計り、SV-2の初段管の間に穴を開ける。金属クズが残らないよう神経を使いながらも簡単に穴があき、抵抗とリード線をハンダ付けしたスイッチをネジ止めすると、あっさりと完成。


音量が上がり、高音の輝きが増すが、場合によったら音が荒く感じられるかもしれない無帰還は、女性ボーカルやピアノソロに向いている。帰還量を増やした設定では、音量が下がった見返りにゾクッとするほどつややかな音を聴かせてくれる。こちらは大音量のオーケストラなどに向いているようだ。

30年の憧れだった送信管アンプ、改造用のパーツもまだストックしてあるが、これにて一応の完成ということにしよう。

自作の機械は、自作というだけで良い音が出るような気がするが、それを確かめるには別の機械と音の聴き比べをするしかない。幸い、非常に良い石のアンプを持っているから、これと聴き比べをすれば、確かにすばらしい音質のアンプが出来たと断言できる。だが、パワーアンプにCD(とDAコンバータ)とスピーカを繋いで音を聴くのはいいが、以前のKT88を鳴らしたり、真空管バッファ付きCDPを鳴らそうと思うと非常に面倒くさい。キャスター付きのラックを引っ張り出し、裏に回ってケーブルを差し替えるのは、決してスマートではないし、線を引っかけでもしたら一大事だ。こうなると、何系統かの入力セレクターと、やはり何系統かの出力を持ち、どんなソースもパワーアンプにピッタリの信号にして送りだすプリアンプが欲しい。

ということで次回からプリアンプ編・・・・。

楽しかった週末

娘たちとの楽しい休日の余韻が残っている。

キッチンのカウンターには、心のこもったおみやげの数々。食べ物以外に、O嬢が持ってきてくれたのがこの本。表紙だけで萌え死にそう。実家の猫たちは、こんな自然な表情を見せてはくれず、必ずカメラ目線になる。

二日間で撮りまくった写真を整理して、桃の花は右のPhotorollerに載せてみた。割と気に入った出来だったのが初日に参拝した武田神社で催されていた神楽。


舞が終わった後、楽師の座布団が「風林火山」になっていることに気づいた。

それはそれは温かい春の休日だった。

春の訪問者

甲府に移って二度目の春、加賀から愛娘たちが訪ねてくれた。にぎやかだった加賀の住まいの、およそ倍近い広さを持ちながら、とても静かだったここ、甲府の住まいが初めて、沸き返るような華やかさに満たされた。T嬢、K嬢、F嬢、O嬢、横浜からC嬢が、週末を使って甲府に、というか私に会いにやってきてくれたのだ。

身辺が騒がかったうえに、こちらで初めての集団の客ということで、満足にもてなすことができず、近いうちに再度の来訪を求めることとしたが、貴重な週末を使ってまで訪ねてやろうという彼女たちの心根が嬉しい。

夏から秋にかけて、甲府盆地名産の果物を存分に振る舞うから楽しみにしているように。

折りよく当地では桃の花が見ごろ。団子の前に花を楽しんだ。

何故、説明がないのか

裁判員法が来年5月21日施行と決まった。(参考

法成立時に設定した期限ギリギリに施行となったが、ギリギリまで待たねばならない状況は決して良好とはいえまい。「参加したくない」という声はいくらでも聞こえてくるし、辞退の要件はどんどん拡大されていく。

何故、こんこな制度が必要で、何故こんな制度をつくったのか。あと一年で制度が動きだすというのに、誰も責任持って説明しようとしないのは何故か。

立法、行政、司法の三権のうち、もっとも民意、言い替えれば主権者たる国民から遠いのが司法だ。その権力の発生時に民意を全く反映しないし、かすかな罷免権も実行されたことがない有り様では、民主主義が聞いて呆れる。いやしくも民主主義国であるならば、三権は総て国民に由来するのであり、その意思を全く反映しない組織機構が権力の三分の一を行使する現状は、非常に問題である。だから、国民の司法参加が必要なのだ。国民の司法不信は、「こんなに酷い事件なのに何故死刑じゃないのか」といった、刑事訴訟の結果に対する感覚のズレから生じた部分が大であるが、世論に対して「法律はこうだから」としか発言しなかった政府、司法関係者は民主主義を無視している。国民が白というなら、黒と定めた法律を白に改正することが民主主義なのだ。司法の現場に国民が関わることで、時代に応じた国民感情が裁判に反映し、あるいは法改正や新たな立法に繋がることが期待される。

ところが、裁判員制度にはまた非常に問題が多い。平たく言えば不十分過ぎる。このままでは、国民が司法に参加し、主権者として重要な職責を果たすことは期待できない。が、裁判員が実質的に機能しなくても、結局、職業裁判官の手によって、事件はこれまで通りに処理される仕組みになっている。

国民感情からズレた判決を書く司法に対する不信は確実に存在するが、そんな国民に対する司法側からの不信のほうが、遥かに強いのではないか。アメリカ型陪審制度と比較すれば、日本の裁判員の権限の弱さと、義務の重さがよくわかる。形だけ「国民の司法参加」システムを作り、従来通りの司法の運営にお墨付きを与えることだけが目的なのではないか、と勘繰りたくなる。理念と現実を結びつけることができる必要十分な説明がなされていないからだ。

後期高齢者医療制度も、暫定税率も、年金の諸問題にしたって、制度の創設、改変、存続の必要性について、誰か責任ある立場の人間が噛み砕いた説明をしたか。構造改革ということばを金科玉条にした内閣があったが、その必要性、改革後の将来のビジョンについて、ただの一言の説明も無かった。

もし、伝統に則って国民を愚昧視しているのなら、国会議員も役人も、今すぐに職を辞せ。
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