自然 人生 愛

昨日の(もうおとといか)日曜日、録画しておいた『題名のない音楽会21』を観た。サブタイトルは「指揮者になる夢かなえます」。テレビマンユニオンの傑作『オーケストラがやってきた』が終って以来、民放にあって、クラシック音楽という、ややテレビうけしにくいジャンルで孤塁を守り続けた由緒正しい番組だ。

素人がオケの指揮をするという「夢」。弦が中心のオケとは違うものの、14年間一緒に活動してきた手兵の吹奏楽団と分かれたばかりの私には、非常によくわかる。

番組でグランプリを獲得した青年が振ったのが、ドヴォルザークの三部作『自然・人生・愛』から第2曲、「謝肉祭序曲」だった。人生の最も華やかな瞬間を描こうとしたのか、タンバリンとトライアングルが弾けるようなリズムを刻み、途中に甘美なボヘミア民謡を挟んで、輝かしいエンディングへと駆け登る。良くいえば力強くおおらかで、悪くいえば通俗的な作品だが、私はこの曲が大好きだ。でも指揮するのは難しい。あまりにテンポが速いため、リズムを出すだけで精一杯で、表情を付けるというより無駄な動きが目立ってしまう。私もそうだった。

今年の3月15日、手兵たちとの最後のステージのために編曲したのもこの曲だ。練習不足は毎年のことで、技術的に見れば人前で演奏などできないレベルなのだが、今年の演奏は例年とは違っていた。楽員の大半から、痛いほどの視線を感じ、ときに気圧されそうになる。彼らは、私のタクトが伝えるどんな小さな指示も見逃すまいと、これ以上はないというくらい真剣に私の手を見ていた。私も、一秒でも長く彼らと音楽をしていたいと念じながら棒を振った。その思いが音に乗ったのだろう。演奏後、普段クラシックを聴くことなど絶対ない、と断言できそうな一般学生諸君から、気恥ずかしいくらい好意的な評価の声が寄せられた。

甲斐に移って以来、身近にいろいろなことが起り過ぎて、この土地に慣れる暇もなかったが、むせ返るような盆地の暑さを忘れさせてくれるみずみずしい白桃を手にする時、厳しくても豊かな自然と、そこに生きる力強い人々との結びつきを思い、この地にしっかりと立たなくてはならないと感じる。

この一月あまりの辛い時間、私を支えてくれたのは、加賀と、甲斐と、そして会津から寄せられた有形無形の善意だった。どんな形でこの善意に応えていくか、これからの大きなテーマになるが、とりあえずは12月に開かれるという(元)手兵たちの演奏会に客演し、もう一度「謝肉祭」を振ろう。私の人生の中で非常に重要な部分を占める音楽という表現手段で、私は彼らから貰った愛情に応えることを目指そうと思う。「永遠に未完の三部作」に付き合わされる彼らは気の毒かもしれないが。

ご心配いただきましたが、もう大丈夫です。本当にありがとうございました>各位

狂言

昨日、11日の夕方から、なにやら大がかりな狂言に巻き込まれてしまった感があります。その中心付近に自分が置かれ、あれよあれよというまに道具、仕掛けが出来上がっていきます。なのに少しも現実味がなく、正に狂言、しかも誰が書いたのか、出来の悪い、決して再演などしてほしくない一幕ものの三文芝居が進行しているような、そんな気分です。

明日、大好きだった父を送ります。

誤変換?

個人差はあるようですが、ESWLという治療はなかなか痛い。約一時間、体内に涌いてくるような鋭い痛みと、耳をつんざくような破裂音とに耐えた私にドクターが、「いしがかたいですね」。どうやら『志操堅固』と誉められたわけではなく、結石が狙いどおりに割れなかった、ということのようだ。この時点で最短での退院はなくなった。

翌日の午前中、レントゲンで治療の効果を確認するが、予想通りほんの少し欠けただけ。しかもこの石、「硬い」と評価されたにもかかわらず、卑怯にも骨盤の間に逃げ込んでしまった。こうなるとESWLの効果が出にくいという。だが放置すれば、土曜以来いくつ使ったかわからない、あの鎮痛剤からも離れられない。案の定、背面からでは照射が出来ず、全面から衝撃波を下腹部に叩き込む(って文字にすると実に恐ろしい)治療を行うことにした。脂汗だけでダイエットできそうなくらい、前日よりも遥かに痛みを伴う治療だった。

それから数時間、鎮痛剤を我慢して、痛みの変化に神経を尖らせた。そして夕方、約一週間ぶりに下腹部につきまとっていた鈍痛が消滅した。効果があったらしい。

三日目。レントゲンで、石が大分小さな破片になっていることを確認し、退院の許可が出た。排石はまだだから、突発的な痛みの可能性はあるが、当初の「七転八倒」は避けられるという判断だった。

ということで、生還しました。石が貯留したままなので、まだかすかな違和感がありますし、薬の服用も義務づけられていますが、とにかく放免となりました。不慣れな土地で、たった一人で痛みに耐え、入院生活を送る、という、得がたくなくても願い下げな経験でした。

ご心配いただいた皆さん、ありがとうございました。

好事魔多・・・

甲斐に移ってふた月たち、ようやく当地の風土にも順応し始めたかな、と思える程度になりました。

でも会津の懸念事項は大きくなるばかりで、気持ちの余裕をもって教育・研究に専念するという「長年の理想」には程遠い状態です。

無事に移籍できて浮かれていたわけではありませんが、「魔」はどこかに潜んでいたようです。今日、これから一泊二日の予定で病院に入り、ESWLという治療を受けます(興味のある方はググってみて下さい)。明日、結果の報告をアップできなかった場合は、何か起ったということになってしまいます。

この週末、前任校ゼミOB、K君の披露宴出席のため、懐かしい加賀へ「里帰り」する予定なのですが、これも今日の治療の結果如何でどうなるか分かりません。

ブログの空白に加え、ご心配をおかけして申し訳ありません>各位

山山山山山、海っ海〜!、山山山、猫

心配事のため、連休に入るか入らないかのうちに甲府を離れ、会津に戻りました。直線距離なら随分近くなりましたが、最短になるはずの中央高速、東北道ルートは、我が国道路交通の難所中の難所、「都内」を通らねばならず、時間が読めません。そこで、山また山の中央道を逆行し、長野道、上信越道を経て、海沿いの北陸道を北上、再び山道に入り、会津に着いたら相変わらず猫がごろごろしていました。476km。約70km遠くなりました。

心配事は、心配したとおりに進行しています(ご存知の皆さん、よろしくご賢察ください)。体力、気力の勝負が続きますが、負けません。前任校では14年がんばれました。この一件はまだ5年です。

このひと月

またしても随分と間隔があいてしまいました。

3月22日に甲府の新居に荷物を運び込んで以来、もう40日。生活基盤の確立を最優先にした最初の1週間。金沢での「退職の儀式」をはさみ、研究室の整備に力を注いで、講義が始まる前に約90箱分の本を並べました。残った50箱ほどを研究室の入り口側壁面に積み上げ、最低限必要な本と空間を確保し、あれよあれよという間に講義開始です。

新たな環境は、総じて快適。研究室の窓から見える桜はなかなかのものです。でも快適さを楽しむ余裕などまったくなく、なにかと当惑することの多い日常です。特に大学の自由さ。当たり前の自由さが、妙に居心地悪く、時に恐ろしくすら感じます。PTSDでしょうか。

こんな日々は、やはりまだ私の「日常」になりきっていないらしく、帰宅するともうぐったり。文章を考える元気はありませんでした。メールだけは辛うじて返信しましたが、コメントや秘密ちゃんには、お返事していないものもあります。こういった事情ですから、なにとぞご勘弁を。

実は4月初旬から、ここ5年来の心配事が悪い方向に進み、大学での活動が軌道に乗っても、私生活はまだ落ち着きそうもありません。

とはいえ、ここまで来れたのは、T嬢をはじめとするOG会の面々、吹奏楽部の部員諸君、犬馬の労を厭わず働いてくれたO君、暖かく送り出してくれた同僚諸賢、友人諸氏のおかげです。そして与えられた願ってもない環境に感謝しつつ、研究者の本分を全うすることこそ恩返しと考えて、がんばっていきます。

加賀から甲斐へ

疲れるというのはこの状態をさすのだ、と、いくらでも実感できる1週間が過ぎました。この間に体験した人生の宝物とも言うべき体験はまた後日のこととして、今日一日の出来事をかいつまんで。

朝早くから怒濤の勢いで自宅の荷物の積み込みが行われました。研究室に向かう途中、面倒な用事をこなして駆け付けてくれたT嬢、O嬢、本当に有り難う。S嬢、近所の友人Y氏のご助力で、最後の掃除も滞りなく終わりました。感謝しています。続けてマンションの引き渡しを終えました。同時刻にはT嬢らOG会の差配で研究室の荷物が積み出され、14年に及んだ私の加賀での生活が終わりました。

そしてOBのナイスガイO君の運転する愛車で、日没後ほどなく、甲斐に到着しました。

仮の宿にしたホテルの一室で、小さなパソコンをネットにつなぎ、今日まで私を応援してくれたすべての皆さんに感謝の気持ちをこめて、このエントリを捧げます。

中間報告

研究室の書棚から本という本、引き出しやキャビネからコピーというコピーが運び出され、段ボール箱に収まりました。数えるのがイヤなので正確には分かりませんが、100を軽く越える箱が、研究室前の廊下に要塞を築いています(隣室の先生方、申し訳ありません)。でも室内に散乱した収まりのつかない小物類、最後まで手元で使っていた道具類、そして壊れ物が、箱詰めを待っています。段取りを組んでくれたOG会幹部、連日の力仕事に従事してくれた吹奏楽部の諸君には、心から感謝します。部員たちには毎日、作業の後で「讃岐うどんこ」のうどんをご馳走しました。私が通いつめたこの見せの味に、彼らもすっかり病みつきになったようで、私が去った後、きっと常連の仲間入りをしてくれることでしょう。

今日は卒業式のリハーサル。慣例により吹奏楽部を率いて参加しました。荷作りの後、短い時間を遣り繰りして練習を積んだ諸君も多く、これまた例年通りいささかの不安はありますが、練習時間の短さと、(自分で編曲した)曲の難しさを併せ考えれば、良く頑張っている、と評価するのが妥当です。曲はドヴォルザークの名曲『謝肉祭序曲』卒業、旅立ちという人生のはなやかなイベントを彩るにふさわしい楽曲です。さて、明日の本番では楽しい祭りになるかどうか。

卒業式後の謝恩会では、部員に交じって演奏します。本来は謝恩される側ですが、部員たちと楽器をいじっている方が絶対に楽しいので、ここ数年はアトラクション用員です。今年は最後の年ということで、部員たちが無理にソロを用意してくれました。練習不足で鳴りが悪くなったフルートで(自称)華麗なソロを演じ、彼らとの思い出を締めくくりましょう。

これが終ったら、自宅の引越し準備です。冷蔵庫の奥やら本棚の隅やらに溜まった不要品を随分捨てましたが、まだ目に見える変化は少なく、突貫作業が予想されます。

リハーサル開場に入る前、市役所で転出手続きを済ませました。ちょっと異邦人の気分です。

こんなもんなのかな

夕食の時、テレビをつけたら「遠山の金さん」をやっていました。以下、瞬時に消し去りたいと思った記憶の断片。

白砂でもろはだ脱ぎになり、お決まりの啖呵を切った左衛門尉、がっくりとうなだれる悪党共に向かって
「・・・・の段重々不届に付、市中引回しの上、磔獄門申し付ける!」
とかっこよく決めてくれました。

設問:上記のセリフについて間違いを指摘せよ。回答はコメント又は秘密ちゃんで。

Mission Complete

連日の病院通いに一旦けりを付け、夕方金沢に戻りました。母親の退院も決まり、父親もある程度安定しましたので、当初の予定通り、金沢での最後の活動に戻ります。留守中、研究室の整理にあたってくれたOG会大幹部には、感謝の言葉もありません。

昨夜は一件ロシアンブルーの次女が、今朝は長毛の四女が纏わり付いて離れませんでした。特に甘えん坊の四女は、一歩でも動こうとすると両手(当家では前足のことを手という)で私の足を押さえつけ、「いくな〜」と泣き喚きます。爪を立てずに肉球だけで押えようと必死の四女を見ていると、このまま会津で、という思いも過ります。

戻ってみると、いかにも加賀らしい天気。暗く重い空の下、降りしきる冷たい雪に耐えることを想定して、メモリープレーヤーには「異国の丘」やら「雪の進軍」やら入れてあるのですが、これまで全く出番がありませんでした。明日あたり、聴きながら街に出るかな。
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