久々の記事は、このネタで

時事通信(Yahoo!ニュース経由)によると、11日、東京地裁は、「1953年問題」の映画について激安DVD販売差止めを求めていたパラマウントの申し立てを却下した。至極当然の決定である。以前の記事で指摘しておいた通り、文化庁の「解釈」以前の妄想的読解は、裁判所の認めるところではなかった。

著作権者の利益は保護して然るべきであり、著作物の違法コピーをネットで流すなど論外である。だが、保護期間をいたずらに伸長せんとする昨今の傾向には賛同できない。ImpressWatch のやや古い記事だが、JASRAC会長で、作曲家の船村徹氏が、保護期間の70年への延長を訴えている。その中で氏は、
我々作家は一曲一曲魂を込めて、一生懸命作っている。これが命の綱。それをどんどん短くしろと言う。そんなバカな話はあるか?
と語っているが、勘違いも甚だしい。保護期間は、命の綱の切れた後の話だ。(音楽等について)現行の50年で短いという主張に、合理的根拠が示されたことはない。50年といえば、著作権継承者(要するに相続人)が代替わりしても不思議がない長さだ。保護期間内に認められる使用許諾権と経済的利益に固執するあまり、その著作物が忘れ去られていく、という現実に目を向けるべきではないか。

保護期間が切れた著作物は、パブリックドメイン状態になる。誰でも自由に使うことができる。音楽なら、人前で唄ってお捻りを貰っても、JASRACに追い回される虞がなくなる。そうすることで、人々の記憶から完全に消え去る前に、もういちど人口に膾炙することだってあり得るではないか。売上が見込めず絶版になり、どこを探しても手に入らなくなった著作物が、パブリックドメインになれば、経済的利益など求めず、純粋にその作品を愛する市井の無名士の手によって再び世に出るかもしれないではないか。

当初の裁判所決定という話題からはだいぶ外れたが、船村発言に代表される著作権の経済的側面のみに固執する見解は、却って著作物を一般市民から遠ざけているということを指摘したい。著作物を発表するのは何故か。人に知られたいからであろう。著作物は自ずから人に知られることを欲しているのだ。保護期間を伸ばし、著作権継承者の利益を計ることで得られる経済的利益と、囲い込みによって人に忘れられる損失とを、冷静に比較して見てもいいのではないか。

上記エントリをアップした後、朝日の記事を読んだ。

 53年公開の映画の著作権について文化庁著作権課は、公式ホームページなどで「03年12月31日午後12時と改正法が施行された04年1月1日午前0時が接着している」として、改正法が適用されて保護期間が20年延長されるという判断を示してきた。パラマウント・ピクチャーズ・コーポレーションもこうした判断に基づき、「ローマの休日」などの著作権は同社にあると主張した。

 だが、東京地裁は著作権の保護期間を把握する基本的な単位は「時間」ではなく「日」だと指摘。53年公開の映画は03年12月31日で著作権が消滅したと判断し、文化庁の「接着」という理屈を認めなかった。

 文化庁著作権課は「上級審の判断を見守りたい」と話し、ホームページの記述を変更する予定はない、としている。

文化庁の態度は非常に見苦しい。往生際が悪いにも程がある。立法時の不手際を棚に上げ、行政機関が、民法の解釈をねじ曲げるなど言語道断である。

更に追記。
判例検索システムに当該決定が登載された。興味のある方は、pdfをダウンしてご一読を。

comments

どどんぽ | 2006/07/20 06:47 PM
はじめまして。
著作権の延長に関しては疑問を感じます。
また、その姿勢によって権利保有者の著作物よりも著作権を愛している姿がおおっぴらになり見苦しいなあと思う次第です。

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