2010.04.18 日曜日 16:27
生理的に受け付けないこと
会議
以上。
あっ、今一瞬意識が(^^ゞ
私は恐らく、同年代の同業者の中では平均的な蔵書家ではないかと思っている。手元に置かなければ商売にならない専門書は極力所蔵するよう努めているが、刊本になっていないものはどうしようもないし、入手が困難だったり、自分の中で優先度が低かったりすれば、図書館に電話して解決することもしばしばある。だから「平均的」と考えるのだが、会議の連チャンの次くらいに悲しいダブリ本以外は手放すことがないので、必然的に本は増える。(実は、本は真夜中の人気のない時分に分裂して増えているのだが、心のまっすぐな一部の弟子しかこの説が理解できないのは残念だ)
要するに本は脳みその一部であり、そこに書かれている情報を正確に呼び出したいとき、すぐ手に取れるところにあって欲しいから、捨てることなどできない。では、これが電子化されていたらどうか。スペースファクターは言うに及ばず、「検索」という最強の武器を使えるという点で、電子化された図書には価値があると思う。だが、私には辞書類が限界だ。モニターで長文を読むのは辛すぎる。だいたい、リフレッシュレートが60kHz程度じゃ、モニターと紙を比較することすらできない。無意識下における情報視認性についても、紙媒体の圧勝ではないだろうか。
いつものボ2ネタからスラド経由で、書籍のpdf化サービスとやらの話を読んだ。これは、ダメだ。
1冊100円で、本をバラしてスキャナにかけ、pdfを作り、バラした本は捨てるという。PCとネットの普及で構造的に苦しんでいる印刷屋さんの、まさに苦肉の策だが、原版を起こし、輪転し、一旦紙媒体として製本したものをバラして、取り込んで、誤認識を覚悟の上でOCR処理をして、紙は捨てるだと?。これは印刷業界にとって自殺行為ではないのか。どうしてもPCや各種ポータブルデバイスで読めるデータで欲しいなら、オフセット原版を作る前のデータをpdf化すればいい。つまり、輪転機を回す人々はいらない、ということだ。
私の研究室にはフラットスキャナの他にScansnapが一台あるし、学内を探せば本をバラせるくらいの裁断機はあるだろうが、こんなこと、殺されてもやらない。あまりに不愉快なので、スラドからリンクされている業者のURLは書かない。