2006.03.21 火曜日 23:30
春の帰省
連日の雪から一転して晴天に恵まれた15日、手兵吹奏楽部を率いて卒業式に臨み、開会前に「大行進曲(『アイーダ』より)」を演奏。楽譜は2001年に書いた編曲から二度目の手直しを経た最新バージョン。君が代、校歌(これも最新アレンジ)など数曲を大過なく演奏。夜の謝恩会では、謝恩される立場なのに、またまた吹奏楽部員に混ざって演奏。卒業生たちと最後の歓談。
指揮で肩から腕の筋肉を酷使したため、痛みをともなう肩コリに泣かされながら、16、17の両日で怒濤の事務仕事。夕方までになんとかやり終え、18日土曜日、北陸道を北上した。
帰り着いてみると、さしもの会津でも雪は消え、遅い春の気配を感じたが、翌朝狭い庭に出てみると、例年なら満開の福寿草がまだ固いつぼみのまま。やがで寒気が南下し、時折吹雪く最悪の天候に。これでは父親のリハビリも思うに任せない。
帰った直後、課されたミッションは、1.雪囲いを外せ(両親)、2.大雪で傷んだブロック塀を取り壊せ(母)、3.ブロック塀のヒビを修繕しろ(父)4.強風で外れた小屋の戸を直せ(母)。このうち既に完了したのは4番の戸の修繕のみ。天候が回復してくれないと、長時間の屋外作業は着手すらできない。なのに今日は朝から大雪。サンディエゴの日本チームが世界一になった頃、私の愛車は20センチ以上の積雪に埋もれていた。
会津に春を告げる伝統芸能「会津彼岸獅子」を観るのを楽しみにしているのだが、見物に出ることもかなわない。度を越して強力な今年の寒気には、ほとほと嫌気がさした。
(モブログ経由で携帯から記事を投げたのだが、何故かうまくいかない。やむなくパルス回線の電話機からケーブルを伸ばし、ナローバンドをつなぐが、当然大きなデータを上げることはできず、嘆かわしい大雪や、緊張感なく眠りこける猫たちの写真もアップできないことを遺憾とする)
指揮で肩から腕の筋肉を酷使したため、痛みをともなう肩コリに泣かされながら、16、17の両日で怒濤の事務仕事。夕方までになんとかやり終え、18日土曜日、北陸道を北上した。
帰り着いてみると、さしもの会津でも雪は消え、遅い春の気配を感じたが、翌朝狭い庭に出てみると、例年なら満開の福寿草がまだ固いつぼみのまま。やがで寒気が南下し、時折吹雪く最悪の天候に。これでは父親のリハビリも思うに任せない。
帰った直後、課されたミッションは、1.雪囲いを外せ(両親)、2.大雪で傷んだブロック塀を取り壊せ(母)、3.ブロック塀のヒビを修繕しろ(父)4.強風で外れた小屋の戸を直せ(母)。このうち既に完了したのは4番の戸の修繕のみ。天候が回復してくれないと、長時間の屋外作業は着手すらできない。なのに今日は朝から大雪。サンディエゴの日本チームが世界一になった頃、私の愛車は20センチ以上の積雪に埋もれていた。
会津に春を告げる伝統芸能「会津彼岸獅子」を観るのを楽しみにしているのだが、見物に出ることもかなわない。度を越して強力な今年の寒気には、ほとほと嫌気がさした。
(モブログ経由で携帯から記事を投げたのだが、何故かうまくいかない。やむなくパルス回線の電話機からケーブルを伸ばし、ナローバンドをつなぐが、当然大きなデータを上げることはできず、嘆かわしい大雪や、緊張感なく眠りこける猫たちの写真もアップできないことを遺憾とする)