講演を目前にして

研究職に就いて以来、地方を中心に活動して来たためか(要するに実力がないのだが)、対外的な活動の機会は少なかったのだが、この度、海上自衛隊第3術科学校から講演の機会を頂いた。

父が空自の1術校(浜松)に勤務していたから、私はF-104やF-4の爆音を子守歌に育った。前任校で可愛がって下さった曽村保信先生は、海上自衛隊を強くすること、を常に考えておられた。だから今回、ご縁があって海自の術科学校で話をさせて頂けることは、無上の喜びである。

今回お訪ねする下総は、3術校と203教育航空団を擁する航空基地であり、航空機運用等、技術的教育に力を入れていると聞く。その下総で私は、『日本海軍の父 木村摂津守』と題し、海軍建軍前史を語ってこようと思う。秩序、合理性、そして進取の気風は、古今の隔てなく海軍から海自へと継承されていると考え、その基となった忘れられた恩人の事績を研究者の言葉を交えて語り、あまり歴史に関心を持っておられない技術系士官諸氏に、一片でも記憶に止めて頂ければ幸甚である。

気負いはない。痩せ我慢でもない。静かに、大いにやりがいを感じている。

珍しすぎる事件

ほぼ毎朝チェックしているボ2ネタに加え、ツイッターで実務家や研究者の方々のつぶやきを読んでいると、少なくとも講義のまくらに困ることはなさそうだ。ただ、あまりにも( ゚д゚)ポカーンな出来事に出くわすと、講義よりもまず隣室の先生との立ち話のネタになる。自分の認識が間違っているのか、ポカーンが甚だしすぎるのか自信が持てなくなるのだ。

で、数日前のボ2ネタから、( ゚д゚)ポカーンな出来事。(リンクは随分な数がある記事の一つ)
「婚姻届」偽造してまで元妻連れ子の女子高生と…
リンク先の記事その他によると、57歳の男が妻との離婚届を出し、同日、妻の連れ子(17)との婚姻届を提出した。役所では未成年の婚姻に必要な同意書がなかったため受理しなかったが、男は翌日、偽造した同意書を持参し、再度婚姻届を提出した。窓口では署名の筆跡が同一との疑いを持ち、管轄の法務局に紹介したが、法務局も禁婚関係を正しく理解していなかったため手続きを止めることができず、結局届は受理されてしまった。その後役所から17歳の「妻」に通知が行き、初めて事件が発覚、男は有印私文書偽造の罪で逮捕されたという。

歴史的に見れば、禁婚の範囲は優生学的な知見が加わることによって随分と拡大したが、倫理に寄る部分も決して少なくない。養親子関係になったことはなくとも、直系姻族は倫理上ダメ。少々パターンは違うが、国津罪の時代から倫理違反として許されないことだ。

気の毒なのは結婚したことにされてしまい、戸籍が汚された娘さん。家裁で婚姻無効を確定してもらった上で戸籍の訂正という手順に進む。どうやら「戸籍の再製」なる手続きが可能らしいので、「きれいな戸籍」に戻すことができそうだが、時間はかかる。735条違反の婚姻無効といい、不同意堕胎といい、珍しい事件は理論の産物に止まっているだけでいい。100年後に法制史の教科書に載りたいなどと、間違った了見を持たないことが世のため人のためだ。

鎌倉

10日は今年度最後の会議日だというのに、前夜の雪が窓からの景色を真っ白に染めてしまった。甲府に移って3年で初めての雪らしい雪だ。冬タイヤを廃棄して久しい。ノーマルタイヤで走れるか、徒歩で出かけるか思案のしどころ。しかも講義期間中と違って会議は午前中から。

結局、道路の雪は路側やセンターライン付近に残るだけで、ノーマルタイヤでも走行に支障はなく、会議に遅れることもなかったが、何人かの同僚は辿り着けなかった。予定されていた会議は4つだが、4つめの閉会後にその場でひとつ追加されて5つに。朝、まじめにニュースも見ていなかったから、帰宅後はじめて、鶴岡の大銀杏が倒れたことを知った。「密約」云々とは比較にならないほどショックだ。

幹は既に空洞になっていたというから、相当に弱っていたのだろう。人気のない未明に倒れたのが、せめてもの救いというか、ご神木の威徳というか。やがて様々な調査が行われ、かなり正確な樹齢も分かるだろう。「公暁が隠れた」というエピソードが単なる俗説と証明されることになるだろうが、誰かの迷惑になることはない。これくらい時間が経てば、「歴史」として縦横に調べ、語り、議論することが許されよう。生き証人がいるうちに聞いておかなければならないことは、誰かがこっそり書き残しておいて、その次の世代になって好きに論じたらいい。あまりに近い過去は時事問題であり、歴史の範疇に入れることは好まない。

由比の浜辺を右に見て、
雪の下道過行けば、
八幡宮の御社。

上るや石のきざはしの
左に高き大銀杏、
問はばや、遠き世々の跡。

若宮堂の舞の袖、
しづのおだまきくりかえし
返しし人をしのびつつ。

鎌倉宮に詣でては、
尽きせぬ親王のみうらみに、
悲憤の涙わきぬべし。

唱歌『鎌倉』の三番以降だが、若宮大路を段葛伝いに八幡宮に詣で、武運長久を祈るのが旧ゼミ合宿の定番ルートだった。御利益は抜群で、ゼミ生達の就職戦線はとても長引いた_| ̄|○。大銀杏を背景に何度写真を撮っただろうか。舞殿は往事のものではないが、「しずやしず」と静御前の悲劇を語るのも定番だ。そこから頼朝の墓所を経て鎌倉宮まで歩き大塔宮の昔を偲ぶと、そろそろ昼食の時間になったものだ。

歴史を見つめてきた銀杏は倒れたが、「歴史の跡」は残る。また学生を連れて歩きたい。その場を歩けば、本で得た知識をよりはっきり、具体的な感覚として自分のものにできるから。

無限軌道

季節労働のピークが過ぎたらしく、突然「あれやれ・これやれ」がなくなるという怪現象に直面し、ぽっかり空いた「自分の時間」に何をして良いか分からず、ただ呆然と座り込む情けなさ。書かなきゃいけない原稿は…、まあ置いといて(置くな!>自分)、あと半月、浩然の気を養うことが何より大切、かな。

先日購入したWindows7マシンはすこぶる順調に稼働しており、(結局作っちゃった)「ありあわせ2号」も古いソフト運用機兼データサーバとして書斎入り目前。ただ、この機体の電源ユニットは昇天寸前の危うさで、いくつものケミコンがパンクしていることは確認したんだけど、ニッパーもハンダごても入らないようなところで、もし直すとしたらアンプ一台作るくらいの手数になりそうで放置。この電源、ハイパワーと静音性で結構売れたと記憶しているが、封緘を切ってびっくりの粗悪さ。狭い筐体に余りに多くのケーブルを押し込んだため、基板がめいっぱい湾曲してる((((;゚Д゚)))))。数年前の某国の工業技術を垣間見る思いが。

先週末、無事に確定申告を済ませた(涙)。


いつも見てるけど頭が回らなくてエントリに出来なかった「ボ2ネタ」経由で、貸金業法等の改正の結果、大手消費者金融業者は今年6月以降、専業主婦(主夫)への貸し付けを中止するという。今次貸金業法の改正では、「悪名高い」グレーゾーン金利が廃止となり、悪質な取り立てへの規制が強まるなど、「良い改正」にも思えるが、一方で、多重債務問題への対応から貸し付け制限も盛り込まれている。所得を基準に返済能力を算定するため、専業主婦(主夫)が金融を受けようとする場合、配偶者の所得証明が必要になるというのだ。これでは、街角で貰ったティッシュペーパーの広告を読んで気軽に、とは行かない。

つらつらおもんみるに、私が法学を習い始めた頃、利息制限法(最高20%)と出資法(109.5%、現在は29.5%)の間に猛烈なグレーゾーンがあった。約定の金利を利息制限法所定の金利に引き直し、過払い金取り戻しの訴訟が頻発して、荒稼ぎをしていた街金がバタバタと倒れた。そこで貸金業法(いわゆるサラ金規制法)が作られ、数十%という高利が事実上公認された。規制法制定の契機となった「サラ金地獄」などという言葉はあっさり忘れられ、おりからのバブル景気とバブル崩壊後の長期不景気が金融界を歪め、長くサラ金業者の天国が続いた。金融業者のテレビコマーシャルが解禁されたのもこの頃だったと記憶している。

だが、平成18年の最高裁判決で、いわゆる「みなし弁済」という業者保護条項がほぼ否定され、再び過払い取り戻し訴訟が盛んになった。ここで弁護士事務所のテレビコマーシャルが解禁され、過払い訴訟を売り物にした事務所の名前がテレビで連呼されるようになった。「過払いバブル」という現象である。地裁民事部の新規受理件数の過半がこれであり、そのうらで、かつて殷賑を極めたサラ金業者は過払い金弁済の負担に耐えきれず、バタバタと倒れていく。まさにバブルそのもの。このバブルは、貸金業法の改正によりグレーゾーンが消えると終息する。なんだか複雑に入り組んだマッチポンプに見えなくもない。

ところで今の民法が出来た当時、「妻」は行為無能力者とされていた。夫がある限り妻の財産権は大きく制約されたのであるが、少なくとも妻がこっそり金銭消費貸借契約を結び、自己破産に陥るという悲劇は、法理論上起こらなかった。今次貸金業法改正では、専業に限ってだが「主婦(主夫)」が借り主となりにくい状況が発生する。この改正の直接の効果として、野放図な借金による家庭崩壊といった悲劇がいくらかは減るだろう。その点は評価できる。

だが、悪というイメージが定着しているにもかかわらず、グレーゾーンを公認したり、サラ金の広告を解禁したことについては、一応それらしい理由が用意されている。こういった高金利でも金を借りようという需要がある以上、供給を禁じてしまっては、更に悪質なヤミ金がはびこり、法の規制・統制がとれなくなる、というものだ。グレーゾーンが消え、それで儲けていたサラ金がつぶれ、サラ金の客層の一部が金融を受けられなくなることで、これまで金を借りて家計を回してきた人たちが突然、健全な経済生活を始める、などということがあるわけがない。

この問題は、無限軌道なのである。

利光三津夫先生の想い出

律令学の大家にして古銭鑑定の第一人者としても活躍された利光三津夫先生が亡くなられた。私が大学院に進もうと決めたとき、法制史学者としての心得を示してくださった大恩人であり、大師匠とお呼び申し上げてきた方である。

先生の学問については、やがて法学研究や法制史研究に、学会の大先輩方の手になる追悼記事が発表されるだろうから、文字通り末弟である私がここで書き散らすことはしない。が、先生が定年で義塾を去られる間際まで、お側近くでその謦咳に接する幸運を得た私が先生から直に頂戴したお言葉、忘れられない想い出を1つだけ書いておこうと思う。

私が前任大に赴任して何年か後の学会でのことだった。前任大学は、まぁ[自主規制]なところで、思うように勉強も進まず、調べ物をしに東京に出るのも意の如くならないという閉塞状況の中、最初のやる気も次第に失せ、一縷の光明を求めて学会に足を運び、何も得られずに陰鬱な職場に戻る、そんなことが何度か続いた。

そんなあるとき、学会会場の休憩室で、短時間だが先生とお話しさせていただくことができた。私の状況を完全に理解してくださっている先生は、「人間いたるところ青山あるなんて思うな」と仰った。先生一流のデカダンで、有名な格言をひっくり返し、萎れている私に活を入れてくださったのだ。

私が曲がりなりにも法制史を専攻する研究者として今あるのは、多くの方々のご厚情のおかげだが、この学問を続けてこられたのは、利光先生のあのお言葉があったからだと思っている。元より浅学非才の身ではあるが、いつの日か、先生の学恩に報いることができるまで、この学問を続けていこう。

合掌

検察審査会法の改正

二次曲線的に議論、もっぱら反対論が高まる中、裁判員法が施行された。もとより、今次の裁判員制度が最良であるはずもなく、制度の存続のためにも直ちに改正を要するような規定も見受けられるが、国民の司法参加が緒に就いたことを、静かにかみしめたい。

いやしくも民主主義を標榜するなら、三権のひとつが、主権者たる国民の意思と無関係に発生、機能、存続する状態を黙過してはならない。問題点を洗い出し、早急に改善することは容易ではないが、司法参加の理念を消し去るような脊髄反射的反対論は厳に慎むべきである。国民の司法参加は、「お上のお裁き」から脱却するために、避けることの出来ない階梯なのだ。

常々、法学の講義でも取り上げてきたことだが、裁判員法と同時に改正検察審査会法が施行され、「起訴議決」制度が導入された。これまでは全く法的拘束力を持たなかった審査会の議決だが、「起訴相当」(全11人中8人以上の賛成を要す)を二度行うと、事件は検察官の手を離れ、自動的に起訴されることになる。検察官による起訴独占主義に風穴を開ける(かもしれない)改正である。

今日、ある事件の遺族が、検察審査会に申立を行った。花火大会の警備に関して、警察署長、副署長の責任を認めず不起訴とした検察に対し、これまで、起訴相当の議決が複数回なされた。が、検察は不起訴の方針を崩さなかった。遺族は、新しい制度のスタートの日、何度目かの申立を行ったのである。

起訴議決によって、警察幹部の刑事責任が法廷で判断される可能性が生まれたのだが、遺族が期待する結論に至るかどうかは予断を許さない。「起訴議決に基づく公訴」は、検察官に代わって、裁判所の指名する指定弁護士が公訴を提起し公判を維持する。これまでも希に行われることがあった「準起訴手続」と同様のプロセスをたどるのだが、組織力を最大限に発揮して証拠を収集し、公判に望む検察官の役目を、個人の弁護士が行うのだから、その苦労は察するに余りある。指定弁護士が任に当たるのは、起訴を肯んじない検察官を排除する必要があるからだが、検察の組織力をもってしても公判を維持しうる証拠を得られなかったため不起訴とした、という事案の場合、個人である弁護士が、検察組織以上の証拠収集能力を示しうるか。悲観的にならざるを得ない。

だが、この制度も、国民の司法参加の一局面である。これまで置き去りにされた感のあった被害者が、法廷に向かって声を発するのである。被害者参加制度然り、付帯私訴また然りである。これで被害が回復され、無念が癒される、ということはなくても、門前払いより遙かに良い。間接的ではあるが、悲惨な事件の遺族を慰撫することも、司法の大切な責務なのである。「お上のお裁き」は、講談本の中の特殊なエピソード以外、遺族のことなど考えてはいない。ここから脱却する時がようやく来たのだと信じたい。

ある高裁判決を聞いて

福岡の、悲惨な交通死亡事故に関する二審判決が大きく報道されている。業過を適用した一審の判断が破棄され、危険運転致死が適用されたのだ。妥当な判断といえよう。

飲酒運転死亡事故の悲惨さに比して業過の法定刑ではあまりに軽い、という被害者遺族の声をうけて危険運転致死傷罪が制定されたことを思えば、検察に業過への訴因変更を命じた福岡地裁の判断を支持することはできない。だが、福岡地裁の苦悩も、わからないでもない。
(危険運転致死傷)
第二百八条の二  アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
これが分かり難すぎるのだ。

この条文は当初、四輪車のみを対象としていた。二輪や原付では、どんな無茶をしてもこの条文の対象にはならなかった。改正されたのは平成19年のことだ。立法者は自分で運転することなく案文を練ったのか、と勘繰りたくなる。少なくとも運転に慣れていれば、「正常な運転が困難な状態」などという曖昧な要件を法廷に丸投げするとは思えない。

これを適用する裁判官も気の毒だ。当時者が事件発生当時、アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態であったかどうか、いつでもどこでも揺らぎなく正確に判定することなど、出来るはずがない。アルコールに対する適応力も酒好きと下戸とでは全く違うから、仮に摂取したアルコールの量や、血中アルコール濃度が正確にわかったとしても、基準にはならない。当然、個々の事例で判断が分かれても仕方がない。そもそも、裁判官は運転しない(と聞いている)。

だが、現実に事件が起こった時、それが、少量の酒を飲んだ下戸と、それこそ浴びるほど飲んだ酒豪とが、同程度に「正常な運転が困難な状態」に陥った結果だったとしたら、どちらがより「悪い」と感じられるか。福岡地裁の判断は、恐らく、健全な市民感情とは反対を指していると思われる。高裁は、それを是正した。弁護側は早々に上告の意思を明らかにしているから、最高裁によって、この不出来な条文に一定の解釈指針が与えられることになるだろう。括目して待つことにする。

この判決を「感情的」と避難するのは被告人の弁護人だが、感情のこもらない判決に、当事者の納得を導く力はない。だからこそ、市民の感覚に照らして妥当と思われる判断が必要なのだ。

ところで、訴因変更がなされ、裁判員対象事件が非対象事件になった場合、あるいは逆のケースでは、どういう措置が執られるのか。忙しさにかまけて勉強不足だな。

まだ最高裁があった

既に各所で大きく報道されている痴漢上告無罪事件。判決がwebで読めるようになっていた。

自分が男だから同性の肩を持つわけではないし、現実に廉恥を欠く輩が存在すると思うと腹が煮えるような不快感を覚えるが、喧伝されるところの、痴漢発生から逮捕、そして有罪あるいは示談に至るプロセスは、およそ近代刑事司法が標榜する「無辜の不処罰」というスローガンを忘れ去った、魔女裁判並みに低劣なものに見える。今回の最高裁の判断が、この下劣低劣な猿芝居に一石を投じたことは間違いない。

那須弘平判事の補足意見を引用しよう。
冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。

下級審裁判官に対する強烈な戒めである。そして捜査に当たる警察官、公判を担う検察官にも、より慎重な捜査、証拠収集が求められる。無辜が冤罪に泣くということは、罪を免れてほくそ笑む変質者が存在するのだ。こいつが一番悪いのは、論を俟たない。


週末は博多にいます。初の九州上陸です。太宰府で梅ヶ枝餅を食べるのだ(^_^)

パブリックってぇのはなぁ!

ボ2ネタ町村教授のブログ経由で、こんなたわけたことが行われているそうな。

e-Gov(「電子政府の総合窓口」)に掲出されたパブリックコメント募集の公示。一覧ページでは93件もの募集が並んでいるが、その中にきわめて異様な募集がある。
中央教育審議会大学分科会法科大学院特別委員会「法科大学院教育の質の向上のための改善方策について(最終まとめ)案」の骨子に関する意見募集の実施について
とやらで、中身はこんな感じ。

何が異様かって、公示日と締切り日がすごい。4月11日公示で4月15日が締切りになっている。内容はというと、一太郎のファイルが二つ、リンクされている。どれどれ、面倒だがコンバートして見てみるか。で、書いてあるのは、これまで五月雨式に報道されたLSの問題点と、いくつかのLSを「潰す」という不動の決意が見え隠れする「改善方策」類であって、これを読んで、即座に意見をまとめられる者だけ、意見を言わせてやろう、という文科省のありがたい思し召しらしい。

現下のLSには問題が山積している、と思う。制度設計が甘く、しかも動き出したらすぐぶれた。当初は、まるで司法試験が易しくなるような誤解を与えた。旧司法試験合格者の平均年齢から考えても、2年や3年で合格水準に達するのは至難だ。しかもLSの2年や3年の間には、旧試合格後の修習を先取りする内容まで。ならばやはり、試験を易しくしなければ合格は無理だろう。そうしたら、合格者の質が低いと文句を言い出す始末だ。二回試験に合格しても、弁護士の就職難が深刻化しているし、新試験と二回試験の不合格者はもっと悲惨だろう。個々のLSの努力だけで対応できるレベルだと思うのか?。

そして文科の所行の極めつけは、このパブリックコメント募集だ。行政手続法に従ったものではないそうだから、30日の期間をおく必要はないようだが、だからといって、ざっと見ても頭が痛くなりそうな深刻な問題に、5日で意見をまとめろと要求するのか。おおかた、今月中に発表される予定の報告は既に出来上がりつつあり、「形だけでも意見を求めたことにしておこう」という程度の話だろう、と、勘繰りたくもなる。

パブリックという形容詞は、コメントだけでなく、サーヴァントにも付くのだが。

『マッキンダーの地政学』再刊決定

故曽村保信先生の訳書『マッキンダーの地政学』が、版元の原書房から再刊されることになりました。今月末には入手可能です。才気溢れる若き日の先生の名訳が、常識的な価格で読めるようになるのは、非常に喜ばしいことです。アマゾンにデータが入ったら、改めてエントリを起します。

法律と国史を専らにする私の頭では(←要するに言い訳)とても難解ですが、ここはひとつ頑張ってみようと思います。
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