些か異議あり

退院して一人暮らしに戻った母を見舞うため、週末は会津で過ごした。退院直後は真っ直ぐ歩けないほどの衰弱ぶりで、親戚知人縁故関係手当たり次第に、様子を見てくれるよう頼んで回ったが、今回は随分と回復したようで、正直ほっとした。もっとも父に続いて母の大病は、私には相当のストレスだったようで、残念ながら体調が思わしくない。医者通いは望ましくないのだが。

久しぶりのエントリがこの記事へのコメントとは、少々複雑。

<長崎市長射殺>死刑判決の要旨(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
昨日の午前中、実家で母と軽い食事をしている時に、ニュースで「主文後回し」が報じられた。量刑相場から死刑はないだろうと思いこんでいたから、判決理由を詳しく知りたいな、などと考えていたら、老母が言った。「市長を殺したから死刑だが、私を殺しても死刑にはならないんだろう。なんか納得できない」。我が母ながら、なかなか鋭いことを言う。もう少し若かったら、裁判員として堂々と「正論」を吐くだろう。

甲府に移動した後に見たニュースや、今朝の新聞報道で確認したが、判決は被告人の行動を「暴力によって被選挙人の選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪うとともに、選挙民の選挙権の行使を著しく妨害したのであり、民主主義の根幹を揺るがす犯行というべきである」と極めて厳しく指弾している。被害者が選挙運動中であったことを最大限に考慮し、犯行に「政治的意味」見いだそうとしている。が、はたしてそうだろうか。この論法だと、被害者である市長が選挙期間外の公務中に遭難した場合、選挙期間外の私用中に遭難した場合とで、犯行への評価が異なることにならないか。

以下私見だが、大前提として、本判決の結論を支持する。しかし理由は、公人に対する政治的テロ、選挙テロだった、と評価するからではない。
    1.被告人は極めて反社会性の強い暴力団の
    2.幹部構成員であり
    3.不正不順な経済的要求が認められなかったことで市長を逆恨みし、
    4.銃器を使用し
    5.多くの人々が往来する市街地で
    6.他者を巻き込む危険も顧慮せず複数回発射した
結果、被害者を死に致らしめたものである。被害者の人数に拘泥し、機械的に死刑を回避できるような事例ではない。

ここで、被害者が現職市長であり、候補者として選挙活動中だったという点を重視しすぎてはいけない。確かに、直後の選挙に与えた影響は甚大だったが、理不尽に命を奪われた被害者の選挙権、被選挙権のみが尊いというがごとき論調は、平等権を犯しかねない。本件は上記各理由をもって、十分に死刑に値する憎むべき犯罪である。被害者である市長の無念は如何ばかりであろうか。だが、自宅に籠城した暴力団員を包囲したところ、県警幹部の拙劣な現場指揮で犯人の前に身体を晒す羽目になり、結果射殺された警察官も、市長と同じか、あるいは目前で職務を果たせなかった分だけ、市長よりはるかに春秋に富む分だけ余計に無念だったであろう。抗争に巻き込まれ、果ては人違いで、兇悪な暴力団員の手にかかった名もなき市民は、犯人と接点がない分だけ、より一層無念であろう。

本件のみが、ことさらに重大な結果に至ったのではない。

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