新保祐司氏の『信時潔』*1を読んだ。正確には学祭騒動の直前に読み終えていたのだが、一連のバタバタで、記事にするのが遅れてしまった。入手したのは更に前、夏休みの直前に届いていたはずで、読みながらこの夏の神経戦を思い出したりもした。
さてこの本は、都留文科大学教授、文芸評論家である新保氏ならではの視点からみた「信時論」であり、単純な時系列的な伝記とは違う。まず同時代に現れた文学、美術作品と作者の言葉を通じ、信時とその作品を浮かび上がらせている。信時作品で最も知名度の高い「海ゆかば」について、思いがけないような人物が、単なる讃辞には止まらない言葉を述べているのを読むと、不幸にして、戦争という国家の死命を制する重大事に多用されてしまったこの曲の運命を感じずにはいられない。
信時の実父、吉岡弘毅は攘夷思想を持った武士で、維新後、弾正台に職を奉じ、そこでキリスト教に触れて牧師に転じたという。信時の音楽体験は、幼少期、父の教会で奏でられる賛美歌から始まったと思われる。信時自身も、東京音楽学校を一旦退学し、救世軍に加わるなど、キリスト教思想の影響を色濃く受けている。バッハを敬愛し、当事流行の最新の音楽書法には批判的であったという話は、彼の作品を聴けば容易に納得できよう。
新保氏は、信時の作品として「海ゆかば」とともに、オラトリオ「海道東征」を繰り返し取り上げておられる。不勉強な私はこの作品を知らなかったのだが、読了後直ちに、現在購入できる唯一のCDを手に入れ、繰り返し聴いている。バッハに通じる、決して奇を衒うことのない音楽の進行に合わせて語られるのは、北原白秋の詩。そしてそのモチーフは、言うまでもなく神武東征伝説である。「海ゆかば」と同様に、日本の古典に取材し、その言葉の美しさを損なわない音楽が、そこには存在する。決して西洋一辺倒ではなく、日本の精神史にも深い造詣を感じさせる音楽なのである。
「海道東征」については別項に譲るとして、本書に戻ろう。新保氏が、信時の人物像を伝えるエピソードとして取り上げたいくつかの逸話の中で、ふたつ、強く心に残ったものがある。ひとつは山田耕筰との対比だ。同時代を生き、同じ時代の要請で曲を書いた二人だが、山田は戦後、機敏に立ち回り、自己の行動から「戦争の陰」を払拭した。しかし信時は、自身を潤色する言葉を弄さず、戦前、戦中と変わらぬ作風を保った。信時が戦後、楽壇において山田に遅れる印象をもたれる由縁であろうか。このブログの読者諸彦、可能ならば、「からたちの花」と「海ゆかば」のメロディーを思い浮かべてみてほしい。私はこれが、山田と信時の相違そのものだと思う。そして私は、信時の音楽に現れた彼の精神性に強い共感を禁じ得ない。
そしてもう一つのエピソード。これは、本書に紹介された信時の言葉を引用させてもらおう。
音楽は野の花の如く、衣装をまとわずに、自然に、素直に、偽りのないことが中心となり、しかも健康さを保たなければならない。たとえその外形がいかに単純素朴であっても、音楽に心が開いているものであれば、誰の心にもいやみなく触れることができるものである。日本の作曲家で刺激的な和声やオーケストレーション等の外形の新しさを真似たものは、西洋作曲家のような必然性がない故に、それの上を行くことがはきない。自分は外形の新しさを、それがどうしても必要とするとき以外は用いない。外形はそれがいかに古い手法であっても。*2
信時の音楽を語るには、この信時自身の言葉が最も雄弁であり、必要にして十分である。音楽について述べた言葉ではあるが、これは日々変化する社会の中で、半ば流れるように生きている現代人にも、重い教戒として響く。勿論、私自身にも。