卒論合宿スタート

大雪警報の出る中、奥能登までやって来た。卒論指導と、その後の食事会が主な内容で、食事は私が作る慣例になっている。

昨夜、数時間かけて料理とデザート2品ずつを仕上げ、現地で3品作る予定でいたのだが、今年の4年生のうち2人、バイトで包丁を握っている者が、見事に働いてくれる。何度となくこのイベントを実施しているが、私がグランシェフだけで済むのは初めて。

光のどけき

日付が改まる頃、一家を代表して近所の天神様にお参りに行く。かつては本殿の扉すら開かれなかった社も、いつの頃からか、境内には篝火が焚かれ、氏子集が縁起物を売るようになった。三々五々集まる町内の人々。顔も分からぬ暗夜でも、「おめでとうございます」と言葉を交わしつつ、心静かに平穏な年明けを祝うことが恒例となった。見上げると夜空のあちこちに星が。しんしんと冷える。

陽が昇り、午前9時の気温が氷点下6度。もうちょっと早く外に出れば、ダイヤモンドダストが見えたかも、と思うくらい寒い。雪から生えたような庭木の枝には樹氷が。
庭の樹氷

会津では元日の朝、長命を祈って蕎麦を食べる。一家で挽きぐるみ生粉打ちの蕎麦を食べるのも、いつに変わらぬ年中行事。何の変哲もないが、この穏やかさが暖かい。

例年は自室に戻り、ブラームスの一番あたりを聴いて「音楽家」としての一年を始めるのだが、今年は信時潔『海道東征』を聴く。昨年後半から強まった「信時信仰」は新年でも変わらない。楽曲についての解説、感想は後日改めて稿を起すつもりだが、過剰な技巧とは全く無縁の、木訥で力強いこの音楽は、日本のオーケストラ作品の一つの頂点ともいえよう。現し世の荒海を漕ぎ渡る力をこの曲から授かりたい。

恐ろしく静かな大晦日

30日夕方から降り始めた雪は、朝までに50センチ以上も積もり、除雪施設ある幹線道路以外は、RVじゃなければ身動きもできないような有り様。そのため交通量が極端に少なく、田舎町は静まりかえっている。大掃除の仕上げを、と思っていたのだが、朝から雪かきに追われ、家の中まで手が回らない。家の丑寅に古いお稲荷さんの祠があり、正月はお供え物をしなければならないが、雪のせいで近寄ることもままならない。スコップを片手に数時間かけて産道を切り開き、祠の雪を払うともうくたくた。

日常と変わらないのは猫たち。特に長毛の四女は新雪の上を歩き回り、体中に雪を着けてご帰宅。そのまま室内を駆け巡り、そりゃもう大騒ぎ。こいつのおかげで、家中が沈黙する事態を回避しているのだが、落としていく雪の始末は難儀この上ない。

例年以上にお手軽な掃除を済ませ、ベーム、ウィーン・フィルが70年に入れた第九を聴く。これで年内の行事はほぼ終了。夏以来、体力の衰えを感じた年だったが、このディスクで気力だけでも取り戻し、新しい年を迎えたい。

今年もお世話になりました。どうぞよい年をお迎え下さい>各位

極寒

帰った翌朝は、8時でもまだ氷点下3度。父を連れて年末の挨拶回りに出掛けるが、凍結した路面で通常の倍以上、時間がかかる。

29日朝は氷点下5度。病院に行く予定だった母の車は、低温のためバッテリーが弱り、ピクリとも動かない。結局、私が病院まで3往復する。大きくて力のある車で良かったと思う。

土木用のスコップで、雪かきならぬ氷かき。家の前には融雪のため流した水が、厚さ3センチの氷に。

床暖のある居間で一息入れていると、猫達が代る代るやってくる。写真は次女。この天候では身動きも出来ないので、否応なく静かな正月になりそうだ。

年末の帰省

強風の止まない北陸道、磐越道を走りぬけ、無事会津に帰着。高速では予想できない悪路に何度か恐い思いもしたが、轍に逆らわないという雪道の基本を守り、普段より若干遅くなっただけですんだ。だが、高速を下りると加賀とは比べ物にならないほど寒い。凍結した路面で何度かABSが働く。

両親、猫5匹はそれなりに息災で一安心。

食後、日テレの『河合継之助』を観た。勘三郎は実にいい。勘太郎、七之助が若々しい演技を見せると、三津五郎や獅童が要所を締めるなど、マゲものにはやはり歌舞伎役者がいいと思わざるを得ない。というか、「視聴率のためにアイドルタレントを並べるな、国営放送」といいたい。我が会津の秋月悌次郎や佐川官兵衛が少々軽く描かれていたのが気に入らないが、素早い展開でありながら単なる教科書的描写に陥らず、継之助の人間像をよく活写していたと思う。今年一番の時代劇だった。

明日からは家の周りの除雪やら、年末の親戚回りやらで忙しくなる。

雪ネタは嫌いだ

14日から続く寒波。今年は「暖冬」の予報を3度も聞いてしまったから、絶対に寒いと確信していたが、これほどまでとは。

交通の断続的マヒ

 飛行機、電車、道路が断続的に切れている。そのため、年末の上京を断念する羽目になってしまった。陸路上京を試み、一日かけて引き返したなんて笑えない話も聞こえて来る。宅配便の配達日数も読めない状態が続いている。

生鮮品が高い

 近郊野菜は、収穫そのものが困難なのか、極度の品薄。近県から運ばれて来る野菜類も、我が国の税金と見紛う程の急騰ぶりを見せている。ブロッコリ一株350円では、いくら家計センスゼロでも躊躇する。時期的に需要が高まるイチゴ、仲卸で一パック1000円を越えているとか。

名物ズワイガニは

 地物なんて、探すのが難儀なくらい少ない。強風で出漁できず、必然的に漁獲が激減しているという。近江町市場には、観光客向けカニ屋を中心に数を揃えるところもあるが、殆どがロシアからの輸入品。歳暮に使うことも、自宅でにんまりすることも不可能。

街の風景

 車で外出する時、マンションの前の路地から大通りに出るのに、激しい段差を踏み越え、テールを滑らせ逆ハンを当てる、という、非現実的なドライビングテクを要求され続けた。だが幸いにも交通量が少なく、大渋滞に巻かれることだけは、まだない。
 郊外の大学へと進んでいくと、街並から色がなくなっていく。派手な看板も横殴りの吹雪の後は真っ白で、これだけは歓迎する。
 最近増えて来たLED式信号機は、発熱量が少ないのか、ガラス面まで雪が付着し、光らなければ絶対に色が分からない。

まだ冬は序の口だというのに、もう疲労困憊。雪の降らない所に移住したいと、しみじみ思う。


夢見が悪い?

昨夜、妙な夢を見た。大略、こんなかんじ。

 慶應三田の西校舎、508あたりの大教室。
 でも学校は随分以前に非常勤に行った都内某女子大。
 講義を始めようとすると、マイクが使えない。
 事務員さんが調整してくれると動くが、彼が帰るとまた動かない。
 困っていると、何故か男子数名を含む学生がアジビラを撒き始める。
 排除しようとしてもマイクが使えないから声が通らず、ただイライラ。

このところストレスが多いのは確かだけど、何だったのかしら、この夢は。
フロイトに詳しい方、教えて下さい。

弟子あり、あちこちより来たる

土日と、吹奏楽の練習に付き合った。来る26日の演奏会に向けての練習だが、想像を絶する出来の悪さで、棒を振るのが嫌になるくらい。

土曜日は、練習前に自動車屋へ寄ったのだが、その途中、仙台で仕事をしている古い弟子からメール。見ると本学の校舎が。この男、突然思い立って予告なしに仙台から金沢まで夜通し走ってくるという奇行を、年に一度ずつ繰り返している。あわてて研究室に行くと、奴は地元の銘菓を持って現れた。いくら若いからといっても無茶し過ぎ。

日曜には、OBとして吹奏楽部を手伝うため弟子が三人、駆け付けてくれた。うち一人は近江から車で日帰り。こいつも始終無茶をする。私がずっと吹奏楽部を見ている関係で、ゼミ生にも部員が多いが、一時に三人も来てくれるのは珍しい。練習後は現役部員を部室に残し、弟子たちと馴染みのそば屋で新そばを囲み、近況報告などに時を移す。本当に弟子には恵まれていると思うことしきり。

慌ただしく加賀へ

3泊4日、実質的に中2日の会津行き。さすがに疲れた。2年前にはもっとハードな移動を繰り返したのだが、しばらく安定した日々をすごしたせいか、もう気力が足りない。

親孝行のまねごとと、ネコ孝行だけで終った連休だが、これはこれで良い。

明日からはまた、日常の講義と吹奏楽の指導で休む間がなくなる。どんなに忙しくても、せめて本くらいは読みたいものだ。

留守中迷惑をかけた吹奏楽部OB諸君、済まなかった。
面会の約束をドタキャンしちゃったOGのKちゃん、後日必ず埋め合わせするから堪忍して。
ご心配頂いた各位、無事に戻りました。

帰省

事情があり、急遽予定をやりくりして帰省した。日曜の昼まで会津で過ごす。
『事情』とは大方のご想像の通りだが、大事にならずに済みそうで、まずは一安心。
猫たちも、5匹中4匹が出てきて愛想をふりまいていった。
ショートステイで少々キツイが、努めて穏やかに過ごしたい。

途中の北陸自動車道にて、路肩にパトカーと道路公団の車が赤色灯をつけて止まっていた。減速しつつその横を通過する瞬間見たものは、


ライトをつけた原付1台。


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