2006.05.31 水曜日 16:53
察斗詰
江戸幕府の刑事手続においては、被疑者被告人の自白が判決、そしてそれに続く刑罰の絶対条件だった。自白が取れると、「吟味詰りの口書」(今風に言えば自白調書のようなもの)が作られ、それが判決の起訴とされた。逆に、証拠があろうと自白がなければ、判決、処刑はできないことになり、奉行は老中の許可を得て、拷問を行った。
拷問は、江戸では伝馬町の牢屋敷で行われ、叩き、石抱き(以上牢問)、海老責め、吊責め(以上、狭義の拷問)の四種類が行われた。これで自白すれば、上記の手続に戻ることになる。
囚人の間では、拷問を受けて自白したものを蔑み、反対に、自白せずに帰牢したものは誉めそやし、手厚く看護したという。そして、気絶すれば拷問が中止されることを経験的に知り、拷問を早く済ませるための便法に利用したりした。拷問に引出されていく同房の囚人にこれを教え、自白せずに戻れば介抱する、こんなつまらないことで、かりそめの反権力姿勢を楽しんでいたのだろうか。
だが、証拠が十分で自白のみが足りない場合、老中の特別の許可で判決、刑の執行が行われることが希にあった。これを察斗詰という。有名なところでは、播州無宿、木鼠吉五郎という恐喝犯が、天保五年から足かけ三年(途中脱走したため約四ヶ月間空白があるが)で28回の拷問を受けても自白せず、遂に天保七年五月、奉行所からの何度目かの察斗詰の願いが許され、自白のないまま刑場の露と消えた。
自白しない被疑者と、それをさも偉いことのように誉め称える同囚たち。自白しなければ助かるかもしれない、と淡い期待でも抱いていたであろう連中は、この決定をどう聞いただろうか。
このところ世評を賑わす、とある重大事件関係の報道を見ながら、ふと、こんなことを思った。
拷問は、江戸では伝馬町の牢屋敷で行われ、叩き、石抱き(以上牢問)、海老責め、吊責め(以上、狭義の拷問)の四種類が行われた。これで自白すれば、上記の手続に戻ることになる。
囚人の間では、拷問を受けて自白したものを蔑み、反対に、自白せずに帰牢したものは誉めそやし、手厚く看護したという。そして、気絶すれば拷問が中止されることを経験的に知り、拷問を早く済ませるための便法に利用したりした。拷問に引出されていく同房の囚人にこれを教え、自白せずに戻れば介抱する、こんなつまらないことで、かりそめの反権力姿勢を楽しんでいたのだろうか。
だが、証拠が十分で自白のみが足りない場合、老中の特別の許可で判決、刑の執行が行われることが希にあった。これを察斗詰という。有名なところでは、播州無宿、木鼠吉五郎という恐喝犯が、天保五年から足かけ三年(途中脱走したため約四ヶ月間空白があるが)で28回の拷問を受けても自白せず、遂に天保七年五月、奉行所からの何度目かの察斗詰の願いが許され、自白のないまま刑場の露と消えた。
自白しない被疑者と、それをさも偉いことのように誉め称える同囚たち。自白しなければ助かるかもしれない、と淡い期待でも抱いていたであろう連中は、この決定をどう聞いただろうか。
このところ世評を賑わす、とある重大事件関係の報道を見ながら、ふと、こんなことを思った。
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