2006.04.23 日曜日 22:02
三田に行ってきた
22、23の両日、法制史学会の総会が、母校の三田キャンパスで開かれた。久しぶりの三田を楽しむ余裕は勿論なかったが、恩師、先輩方と久し振りにお目にかかり、同業の方々と専門の話をするのは実に楽しい。地方の大学に出ると、この点が一番足りないのだ。
わずかな時間の合間に生協の書籍部に行き、いつも通り一つかみほど本を買う。近くに専門書を多数揃えた書店がないのは、本当に辛いことだと思う。返す刀で、院生時代、何度となく通った蕎麦屋へ。ここは、慶應法制史の祖、手塚豊先生がご贔屓にしていらっしゃった店。かつて「三田の三美人」のひとりに数えられたという看板おばあちゃんはお留守だったが、静かな店内で昔と変わらぬ蕎麦つゆを味わう。
初日の研究報告は、法科大学院教育における法制史の役割を念頭に置いたもので、各報告者の苦慮の跡が滲むものばかり。聞いていて切なくなる。
報告が終り、会場を出ようとすると、どうも大学には似つかわしくない背格好の集団が、ぞろぞろと校舎から出て行く。地味、派手様々だか、どう見てもおじさん、おばさんの一群。こりゃ何の集まりだろう、と、その群れから少し離れて歩き出して、はたと気づいた。学会と同じ日、同じ三田で、卒業20年の同窓会が開かれるという葉書が、私の自宅にも届いていた。この一群のおじさんおばさんは、全員私と同期の三田会会員なのだ。同期の仲間たちのおじさんおばさんぶりに我が身を重ね合わせ、悄然と三田を後にした。
わずかな時間の合間に生協の書籍部に行き、いつも通り一つかみほど本を買う。近くに専門書を多数揃えた書店がないのは、本当に辛いことだと思う。返す刀で、院生時代、何度となく通った蕎麦屋へ。ここは、慶應法制史の祖、手塚豊先生がご贔屓にしていらっしゃった店。かつて「三田の三美人」のひとりに数えられたという看板おばあちゃんはお留守だったが、静かな店内で昔と変わらぬ蕎麦つゆを味わう。
初日の研究報告は、法科大学院教育における法制史の役割を念頭に置いたもので、各報告者の苦慮の跡が滲むものばかり。聞いていて切なくなる。
報告が終り、会場を出ようとすると、どうも大学には似つかわしくない背格好の集団が、ぞろぞろと校舎から出て行く。地味、派手様々だか、どう見てもおじさん、おばさんの一群。こりゃ何の集まりだろう、と、その群れから少し離れて歩き出して、はたと気づいた。学会と同じ日、同じ三田で、卒業20年の同窓会が開かれるという葉書が、私の自宅にも届いていた。この一群のおじさんおばさんは、全員私と同期の三田会会員なのだ。同期の仲間たちのおじさんおばさんぶりに我が身を重ね合わせ、悄然と三田を後にした。
二日目は個人報告で、同門の後輩たちが何人か、演壇に立った。やや準備不足と思われる報告もあったが、総じて、緻密でありながらも若い力に溢れた良い研究。彼らが目指す法制史学者への道は、今や舗装も剥がれ去り、ぬかるんで、どこで途切れるかも分からない細道だが、力の続く限り前に進んで欲しい。
北陸での教え子を、塾の先輩に紹介し、今回の私の用事は終了。先輩から共同研究のお誘いもいただき、収穫たっぷりの二日間だった。
北陸での教え子を、塾の先輩に紹介し、今回の私の用事は終了。先輩から共同研究のお誘いもいただき、収穫たっぷりの二日間だった。
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