2010.07.27 火曜日 22:09
講演を目前にして
研究職に就いて以来、地方を中心に活動して来たためか(要するに実力がないのだが)、対外的な活動の機会は少なかったのだが、この度、海上自衛隊第3術科学校から講演の機会を頂いた。
父が空自の1術校(浜松)に勤務していたから、私はF-104やF-4の爆音を子守歌に育った。前任校で可愛がって下さった曽村保信先生は、海上自衛隊を強くすること、を常に考えておられた。だから今回、ご縁があって海自の術科学校で話をさせて頂けることは、無上の喜びである。
今回お訪ねする下総は、3術校と203教育航空団を擁する航空基地であり、航空機運用等、技術的教育に力を入れていると聞く。その下総で私は、『日本海軍の父 木村摂津守』と題し、海軍建軍前史を語ってこようと思う。秩序、合理性、そして進取の気風は、古今の隔てなく海軍から海自へと継承されていると考え、その基となった忘れられた恩人の事績を研究者の言葉を交えて語り、あまり歴史に関心を持っておられない技術系士官諸氏に、一片でも記憶に止めて頂ければ幸甚である。
気負いはない。痩せ我慢でもない。静かに、大いにやりがいを感じている。
父が空自の1術校(浜松)に勤務していたから、私はF-104やF-4の爆音を子守歌に育った。前任校で可愛がって下さった曽村保信先生は、海上自衛隊を強くすること、を常に考えておられた。だから今回、ご縁があって海自の術科学校で話をさせて頂けることは、無上の喜びである。
今回お訪ねする下総は、3術校と203教育航空団を擁する航空基地であり、航空機運用等、技術的教育に力を入れていると聞く。その下総で私は、『日本海軍の父 木村摂津守』と題し、海軍建軍前史を語ってこようと思う。秩序、合理性、そして進取の気風は、古今の隔てなく海軍から海自へと継承されていると考え、その基となった忘れられた恩人の事績を研究者の言葉を交えて語り、あまり歴史に関心を持っておられない技術系士官諸氏に、一片でも記憶に止めて頂ければ幸甚である。
気負いはない。痩せ我慢でもない。静かに、大いにやりがいを感じている。