2007.07.24 火曜日 00:23
自然 人生 愛
昨日の(もうおとといか)日曜日、録画しておいた『題名のない音楽会21』を観た。サブタイトルは「指揮者になる夢かなえます」。テレビマンユニオンの傑作『オーケストラがやってきた』が終って以来、民放にあって、クラシック音楽という、ややテレビうけしにくいジャンルで孤塁を守り続けた由緒正しい番組だ。
素人がオケの指揮をするという「夢」。弦が中心のオケとは違うものの、14年間一緒に活動してきた手兵の吹奏楽団と分かれたばかりの私には、非常によくわかる。
番組でグランプリを獲得した青年が振ったのが、ドヴォルザークの三部作『自然・人生・愛』から第2曲、「謝肉祭序曲」だった。人生の最も華やかな瞬間を描こうとしたのか、タンバリンとトライアングルが弾けるようなリズムを刻み、途中に甘美なボヘミア民謡を挟んで、輝かしいエンディングへと駆け登る。良くいえば力強くおおらかで、悪くいえば通俗的な作品だが、私はこの曲が大好きだ。でも指揮するのは難しい。あまりにテンポが速いため、リズムを出すだけで精一杯で、表情を付けるというより無駄な動きが目立ってしまう。私もそうだった。
今年の3月15日、手兵たちとの最後のステージのために編曲したのもこの曲だ。練習不足は毎年のことで、技術的に見れば人前で演奏などできないレベルなのだが、今年の演奏は例年とは違っていた。楽員の大半から、痛いほどの視線を感じ、ときに気圧されそうになる。彼らは、私のタクトが伝えるどんな小さな指示も見逃すまいと、これ以上はないというくらい真剣に私の手を見ていた。私も、一秒でも長く彼らと音楽をしていたいと念じながら棒を振った。その思いが音に乗ったのだろう。演奏後、普段クラシックを聴くことなど絶対ない、と断言できそうな一般学生諸君から、気恥ずかしいくらい好意的な評価の声が寄せられた。
甲斐に移って以来、身近にいろいろなことが起り過ぎて、この土地に慣れる暇もなかったが、むせ返るような盆地の暑さを忘れさせてくれるみずみずしい白桃を手にする時、厳しくても豊かな自然と、そこに生きる力強い人々との結びつきを思い、この地にしっかりと立たなくてはならないと感じる。
この一月あまりの辛い時間、私を支えてくれたのは、加賀と、甲斐と、そして会津から寄せられた有形無形の善意だった。どんな形でこの善意に応えていくか、これからの大きなテーマになるが、とりあえずは12月に開かれるという(元)手兵たちの演奏会に客演し、もう一度「謝肉祭」を振ろう。私の人生の中で非常に重要な部分を占める音楽という表現手段で、私は彼らから貰った愛情に応えることを目指そうと思う。「永遠に未完の三部作」に付き合わされる彼らは気の毒かもしれないが。
ご心配いただきましたが、もう大丈夫です。本当にありがとうございました>各位
素人がオケの指揮をするという「夢」。弦が中心のオケとは違うものの、14年間一緒に活動してきた手兵の吹奏楽団と分かれたばかりの私には、非常によくわかる。
番組でグランプリを獲得した青年が振ったのが、ドヴォルザークの三部作『自然・人生・愛』から第2曲、「謝肉祭序曲」だった。人生の最も華やかな瞬間を描こうとしたのか、タンバリンとトライアングルが弾けるようなリズムを刻み、途中に甘美なボヘミア民謡を挟んで、輝かしいエンディングへと駆け登る。良くいえば力強くおおらかで、悪くいえば通俗的な作品だが、私はこの曲が大好きだ。でも指揮するのは難しい。あまりにテンポが速いため、リズムを出すだけで精一杯で、表情を付けるというより無駄な動きが目立ってしまう。私もそうだった。
今年の3月15日、手兵たちとの最後のステージのために編曲したのもこの曲だ。練習不足は毎年のことで、技術的に見れば人前で演奏などできないレベルなのだが、今年の演奏は例年とは違っていた。楽員の大半から、痛いほどの視線を感じ、ときに気圧されそうになる。彼らは、私のタクトが伝えるどんな小さな指示も見逃すまいと、これ以上はないというくらい真剣に私の手を見ていた。私も、一秒でも長く彼らと音楽をしていたいと念じながら棒を振った。その思いが音に乗ったのだろう。演奏後、普段クラシックを聴くことなど絶対ない、と断言できそうな一般学生諸君から、気恥ずかしいくらい好意的な評価の声が寄せられた。
甲斐に移って以来、身近にいろいろなことが起り過ぎて、この土地に慣れる暇もなかったが、むせ返るような盆地の暑さを忘れさせてくれるみずみずしい白桃を手にする時、厳しくても豊かな自然と、そこに生きる力強い人々との結びつきを思い、この地にしっかりと立たなくてはならないと感じる。
この一月あまりの辛い時間、私を支えてくれたのは、加賀と、甲斐と、そして会津から寄せられた有形無形の善意だった。どんな形でこの善意に応えていくか、これからの大きなテーマになるが、とりあえずは12月に開かれるという(元)手兵たちの演奏会に客演し、もう一度「謝肉祭」を振ろう。私の人生の中で非常に重要な部分を占める音楽という表現手段で、私は彼らから貰った愛情に応えることを目指そうと思う。「永遠に未完の三部作」に付き合わされる彼らは気の毒かもしれないが。
ご心配いただきましたが、もう大丈夫です。本当にありがとうございました>各位